05話 旅立ちの日
それから数日後。
屋敷内は相変わらず大忙しで、まるで天井をひっくり返したようになっていた。
何しろ、魂の継承が無事に終わった事を帝国へ報告したり、近隣の町や村への新しい領主としての挨拶をしたりと、仕事は山積みで忙しさは加速するばかりであった。
そんな時に、俺は長男カッタドと次男ケルンに対して少し時間を貰える様に依頼した。
ケルンはこんなに忙しい時に何の用だ?と少し怒っていたが、カッタドがなだめてくれた。
そして、カッタドの執務室で俺は2人にこう告げる。
「兄上達に報告があるのですが、私は騎士団を辞めようと思います。」
そう言うと、2人は黙って顔を見合わせた後、次男のケルンが口を開いた。
「何を言うかと思えば、そんな事か。当然わかっているだろう?ダメだ。」
想定通りの答えがすぐに返って来たが、続いてカッタドが口を開く。
「辞めてどうするのだ?怪我により怖じ気付いたとでもいうのか?」
俺は直ぐに答えた。
「そうではございません。私は、騎士団を辞めて、冒険者になりたいのです。」
そう。俺はレンド村に帰って来て、この数日で心に決めた事がある。
冒険者になろうと。
この世界にそういう職業が存在している事は既に知っていた。
前世で俺は、証券会社でサラリーマンとして働いていた。
雇われている身としてはかなりの厚遇であった事は間違いないだろう。
しかし、相対する顧客は誰も彼もが成功者ばかりであり、そんな彼らと接すれば接する程に、雇われている側と雇う側には圧倒的な差がある事を感じていた。
だからこそ、今回の人生では自分がそれになりたいと思った。
雇う側であり、責任を取る側であり、成功者と呼ばれる側でありたいと。
その為には、先ず自分自身を売り出す必要があると。
それは、前の世界ならSNSなどを使って出来たことだが、この世界ではその方法が非常に限られていた。
また、兄カッタドの魂の継承を見た事も、俺にとっては大きかった。
まだまだ自分の知らない事がこの世界には溢れている。
それを一つ一つ確かめていきたい。
折角の新しい世界である。
隅々まで自分自身の目で見てみたいと思った。
冒険者になりたいというのは、だからこその選択だった。
その返事を聞いて、不機嫌なケルンは一層顔を赤くする。
自分の弟にその日暮らしの生活をさせる訳にはいかないと憤った。
俺はどうしてもなりたい事を伝えるが、その度にケルンが激怒する。
何度か同じやり取りを行い、話が平行線で進まない中、カッタドが口を開いた。
「レンド家を追放されてもか?」
顔がぐっと熱くなるのを感じたが、2人を見て答えた。
「それでもなりたいと思います。」
しばらくの沈黙の後、カッタドは静かに口を開く。
「わかった。自由にしろ。お前の人生だ。」
「なっ!?兄上!!」
ケルンが驚いた顔をしていたが、カッタドは続けて言った。
「これは決定事項だ。アペイロンよ!!明日、レンド家の領地から出て行くように。」
そう言うと、カッタドは、ケルンに彼の仕事である作物の品種改良を引き続き行うように指示し、それ以上はケルンの発言を許さなかった。
「ありがとうございます。」
それだけを告げて頭を下げた後、カッタドの執務室を出た。
次の日の朝、辺りがまだ暗く皆が寝静まっている頃に、俺は1人身支度を整えていた。
「着替えを1つと、銀貨が20枚、干し肉の塊を1つ、水筒を1つ、それと剣が1本とナイフを1本っと。」
(少しづつ貯めていた銀貨が役に立ったな。)
皆が起きる前に準備を整えた後、村を出て、6時間程歩いた先にある街で、乗り合いの馬車を捕まえて目的地へと行く予定だった。
騎士団脱退の報告と借りた馬の返却は、ケルンからやってくれる事となった。
なんだかんだで面倒見の良い兄である。
ちなみに、剣とナイフについては、騎士団の養成所に入る時に父親から譲り受けたものなので、そのまま持って行かせてもらう事にした。
今回の俺の件は、領地のお金を勝手に使い込んだ罪により、レンド家から除名の処分を受け、そのまま村を出て行った形を取る事となった。
当然の話なのだが、今後はレンド家の名前を口に出す事を一切禁じられた。
「さて、行きますか。」
辺りが明るくなる前に、ひっそりと屋敷を出る。
庭を通り過ぎて、門の前に着いたところで、暗闇からふと声を掛けられた。
「アペイロン様、アペイロン様」
ひそひそとした声が暗闇の中から俺を呼ぶ。
近付いてみると、そこには見慣れた執事の1人が立っていた。
「カッタド様よりこちらを預かっております。」
そう言うと執事は、小さな小袋を渡し、すぐに屋敷の方へと戻って行った。
その場で中身を確認しようと思ったが、門番の男が走り寄ってきて、急いで屋敷から出て、東門に走るようにと伝えて来た。
今からしばらくの間、東門の門番が席を外す事になっているため、その隙に走って村を出るようにとのことだった。
その指示通りに村を出るため、急ぎ足で東門へと向かうと、話の通り門番が立っていなかった為、周りに人の気配が無いかを確認した後、俺は走って村を出た。
そのまま3時間程度だろうか。
一旦の目的地である隣の街へと向かう為に、休みなく歩いていたのだが、途中から辺りが明るくなって来たので、休憩も兼ねて道端の石に腰を下ろした。
口に水を少し含んだ後、干し肉をナイフで薄く切り、1枚を口に放り込む。
(天気が良かったのは、幸いだったな。)
行く先を見ると、太陽が広大な空を赤く照らし始めていた。
ふと、執事から貰った小袋を思い出し、中を開けてみると、そこには大量の銀貨と金貨が1枚。そして、僅かな銅貨が見受けられ、全部でおよそ金貨2枚程度になりそうであった。
そしてその中に、小さく折り込まれた紙が1枚入っていることに気が付く。
その小さな紙を開いていくと、それは手紙へと姿を変え、宛名や差出人が一切無い中にたった一言。
【自分を信じ続けろ。】
それだけが書かれていた。
レンド家の財政状況で、このお金を工面するのがどれだけ大変であったか。
俺の勝手な決断はどれ程の迷惑を家族にかけたのかが、今更になって、本当に今更になって実感として湧いた。
誰に宛てたのかを分からないようにしている手紙に自然と涙が溢れてくる。
朝焼けの広大な大地にたった1人、自分の歩いて来た道に、俺は深く頭を下げ続けた。
金貨1枚=100万円
銀貨1枚=1万円
銅貨1枚=100円
くらいのイメージでいきたいと思います。