第40章 いつもと違う朝
バリの透き通るような朝日が、高揚するトリアの心を後押しするかのように降り注いでいた。
オフィスのロビー前には、出勤する社員たちが集まり始めている。そこに、シャニアの車がゆっくりと滑り込んできた。
トリアはすぐに降りる準備をしたが、運転席に座るシャニアの視線に気づき、動きを止めた。実の姉のように慕っているその女性は、ひどく意地悪そうな笑みを浮かべてトリアを見つめていた。
シャニアは両眉を上下させ、あからさまにトリアをからかっている。昨夜、トリアが恥を忍んで打ち明けた「勘違いの告白事件」と、その後のユダからのメッセージを頭の中で反芻しているに違いない。
「あらあら……。今はもう、『ご飯は食べたか』なんて気にかけてくれる人がいるんですものね」
シャニアがくすくすと笑いながら茶化す。トリアは思わず片手で口元を覆った。込み上げる笑いと、ぶり返してきた羞恥心を必死に抑え込もうとする。浮かれた気持ちが声に出ないよう、トリアは努めて冷静を装った。
「もう、お姉様! 行ってきます!」
トリアは逃げるように車のドアを開け、外へと踏み出した。シャニアの返事も待たず、振り返る勇気もないまま、ロビーの入り口へと急ぐ。背後で短く手を振るのが精一杯だった。
「はいはい! 意中の人に会うのが待ちきれないのね!」
車内からシャニアの鋭い叫び声が響いた。トリアの足元がふらつく。あまりに大きな声に驚き、危うく自分の足に躓きそうになった。
トリアはわざとらしく膨れて見せたが、真っ赤に染まった頬のせいで、シャニアの目にはただ愛らしく映るだけだった。
「あはは、バイバイ、可愛いトリア!」
シャニアはそう言い残すと、アクセルを踏んで去っていった。一人残されたトリアは、その場に立ち尽くしたまま深く息を吐き出した。しかし、抑えきれない微かな笑みが、どうしても唇の端にこぼれてしまう。
トリアは軽やかになった足取りでロビーへと進んだ。警備員ににこやかに挨拶を交わすと、フロアの隅にあるエレベーターホールへと向かう。
上ボタンを押し、もどかしい気持ちで到着を待つ。扉が開くと同時に、まだ誰もいない鉄の箱の中へと足を踏み入れた。
扉が閉まろうとしたその瞬間、センサーを遮るように一つの手が差し込まれた。ゆっくりと開いた扉の向こうに立っていたのは、今この瞬間に最も避けたくて、同時に最も会いたかった人物だった。
「待ってくれ」
その声にトリアの肩が跳ねた。そこに立っていたのは、少し呼吸を乱したユダだった。整えられたシャツに身を包んだ彼は、朝の光を浴びてひどく眩しく見えた。
トリアの頬は一瞬にして火照り、茹で上がったタコのように赤く染まった。心臓が肋骨を突き破らんばかりに激しく脈打ち、耳の奥までドクドクという音が響く。
ユダは素早くエレベーターに乗り込んできた。トリアは彼が隣に並ぶまで、金縛りにあったように開ボタンを押し続けていた。
扉が閉まり、密室となった空間に二人きりになる。急激に温度が上がったかのような錯覚に、トリアは息苦しさを覚えた。一瞬だけ視線が重なったが、彼女はすぐに目を逸らした。
チーン、という高い音と共にエレベーターが上昇を始める。隣に立つユダが、ふいにトリアの方を向いた。
そして、トリアにしか見えない速さで、彼はいたずらっぽく片目を瞑ってみせた。ウィンクだ。トリアは目を見開き、彼のあまりの不意打ちに言葉を失った。
慌てて正面の扉に視線を戻し、深く、深く頭を垂れる。今の自分の顔は、きっと誰にも見せられないほど赤くなっているはずだ。
「おはよう、トリア」
ユダの声は低く、驚くほど落ち着いていた。
「お、おはよう……ユダさん」
緊張のあまり、トリアの声は消え入りそうなほど震えていた。
彼女はバッグのストラップを指が白くなるほど強く握りしめた。ユダのあまりに大胆な振る舞いに、思考回路が完全にショートしている。
(彼……どうしちゃったの? 急に、あんな……)
胸の奥で弾けるような喜びと、耐え難いほどの恥ずかしさが入り混じる。いつもはすぐに着くはずのフロアが、今日に限っては永遠に続くかのように感じられた。
自分に向けられているユダの視線を肌で感じ、トリアはますます居心地が悪くなる。ただひたすらにエレベーターの床を見つめ、顔を上げることができなかった。
3階に到着し扉が開くと同時に、トリアは脱兎のごとく駆け出した。フロアの端にある自分のデスクを目指し、脇目も振らずに突き進む。
エレベーターの中に残されたユダは、勝利を確信したような笑みを浮かべていた。トリアの愛らしい反応に、彼はこの上ない満足感を覚えているようだった。
デスクですでに仕事を始めていたミラとセラは、飛び込んできたトリアの姿に驚愕した。顔を真っ赤にし、肩で息をしながら椅子に座り込む彼女を、二人は呆然と見つめる。
トリアは慌ててコンピュータの電源を入れ、忙しいふりをした。背後の通路をユダが通り過ぎる間、彼女は頑なに顔を伏せ続けた。ユダは余裕たっぷりの足取りで歩いてくる。
「おはよう、ミラ。セラも」
ユダは爽やかに二人に声をかけた。
「おはようございます、ユダさん!」
ミラとセラが声を揃えて返す。ユダは小さく頷いて微笑むと、一度も振り返ることなく自分の執務室へと消えていった。
執務室のドアが閉まった瞬間、セラが椅子を滑らせてトリアに詰め寄った。その瞳には鋭い好奇心の色が宿っている。
「どうしたのよ、トリア? 顔が信じられないくらい真っ赤じゃない」
「なんでも……なんでもないわよ、セラ」
トリアは親友の視線を避け、必死に誤魔化した。しかし、ミラも黙ってはいない。彼女も椅子を寄せ、トリアを挟み込むようにして腕を組んだ。
「とぼけないで。昨日から様子がおかしいと思ってたけど、今日はもっと変よ」
「いいから全部話しなさい。隠し事はなしよ!」
ミラの断固とした口調に、トリアはついに白旗を上げた。彼女はデスクに両腕を置き、そこに顔を埋めて、観念したように呟いた。
「わからないのよ、ミラ……心の準備ができてなくて」
「準備って何によ? 早く話しなさいってば!」
セラの追求に、トリアはゆっくりと顔を上げた。周囲に誰もいないことを確認し、声を潜めて昨夜の出来事を話し始めた。
電話での「勘違いの告白」――。ユダをミラだと思い込み、心の内を叫んでしまったこと。そして、それを聞いたユダの反応。トリアは包み隠さず、すべてを打ち明けた。
話を聞き進めるにつれ、ミラとセラの目はどんどん見開かれていった。二人の表情は驚きから、やがて堪えきれない衝撃へと変わっていく。
「はあ!? 本気で本人にあんな風に叫んじゃったの!?」
ミラの叫び声がフロア中に響き渡った。セラは吹き出し、慌てて口を押さえたが、もう遅かった。二人は腹を抱えて笑い転げ始めた。静かだった3階のオフィスは、一瞬にして騒がしくなる。
「ちょっと! 静かにして、ミラ! セラ! 声が大きいわよ!」
トリアはパニックになり、ミラの口を必死に塞ごうとした。しかし、そんな努力も虚しく、二人の笑い声はますます大きくなっていく。周囲の社員たちも、何事かと微笑ましそうにこちらを眺めていた。
トリアは再びデスクに顔を伏せ、ミラとセラという「嵐」のような親友を持った自分の運命を、ただひたすらに呪うしかなかった。
第40章、お読みいただきありがとうございます。
ユダさんの大胆なウィンク、そしてミラとセラの大爆笑……朝から賑やかですね。
「ユダさんイケメンすぎ」「トリアちゃん頑張れ」など、応援コメントをいただけると嬉しいです。
オフィスでの恋の行方、次章もどうぞお楽しみに。
ブックマークよろしくお願いいたします。




