第十一章 居場所のない家
健介が感じていた疎外感は、やがて気のせいでは済まされないものへと変わっていった。
ある日の夕方だった。
仕事を終えて一階へ降りると、どこかから食事の匂いが漂ってきた。ダイニングへ向かうと、志津香、次郎、静江、小夜、そして康政の五人が、すでに食卓を囲んでいた。
笑い声が上がっている。
健介が入ってきたことに気づくと、志津香が少しだけ驚いた顔をした。
「あ……」
健介は黙って席につき、空いている皿を探した。
だが、そこには何もなかった。
「ごめんなさい、忘れてた」
志津香が軽く言った。
その一言は、あまりにもあっさりしていた。
誰も気まずそうな顔はしない。次郎も静江も、康政も、ただ食事を続けている。
小夜だけが一瞬、健介の方を見たが、すぐに視線を逸らした。
健介は何も言わず、台所に立った。
冷蔵庫を開けても、残り物はほとんどない。
その日、健介は結局、適当にパンをかじるだけだった。
それが一度だけではなかった。
掃除も、いつの間にか健介の部屋だけされなくなっていた。
廊下もリビングも綺麗なのに、自分の部屋に入ると、ほこりが溜まっている。
洗濯物もそうだった。
他の家族の服はきちんと畳まれているのに、健介のシャツだけが、洗濯機の横に置きっぱなしになっている。
「これ、洗ってないのか?」
聞いても、
「あ、ごめん。忘れてた」
それだけだった。
休日になると、家が妙に静かな日が増えた。
リビングに誰もいない。
しばらくして帰ってきた志津香たちは、楽しそうに話している。
「どこ行ってたんだ?」
健介が聞くと、康政が笑いながら答えた。
「ちょっと買い物に」
それ以上の説明はない。
気づけば、健介を除いた全員で出かけることが増えていた。
志津香との距離も、明らかに変わっていた。
夜、健介がそっと肩に触れても、志津香はやんわりと手を外す。
「ごめんね、今日はちょっと疲れてて」
それが、一日、二日ではない。
何日も、何日も続いた。
同じ屋根の下にいながら、まるで他人のような距離があった。
そして、ある日。
ついに、健介の中で何かが切れた。
「一体どういうつもりだ!」
リビングにいた全員が、びくっとして振り向いた。
「この家は俺の家だぞ!」
声が、思っていた以上に大きく響いた。
次郎も静江も、小夜も、驚いた顔をしている。
その中で、康政だけがへらへらと笑っていた。
「まぁまぁ、お兄さん。落ち着いて」
その言い方が、火に油を注いだ。
健介は一歩踏み出し、康政の胸ぐらを掴んだ。
「お前が来てからおかしくなったんだろ!」
次の瞬間。
拳が、康政の顔に当たっていた。
鈍い音が響く。
康政がよろめいて、床に手をついた。
「ちょっと!何するの!」
志津香が駆け寄る。
康政は口元を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
その目は、さっきまでの軽い笑顔とは違っていた。
「……この件は、被害届出させてもらいますよ」
低い声だった。
健介は、怒りで呼吸が荒くなっていた。
「勝手にしろ!」
吐き捨てるように言った。
そのまま、康政は志津香に支えられるようにして玄関へ向かった。
「病院、行こう」
静江の声が聞こえる。
次郎も黙って後に続く。
小夜も、不安そうに志津香の後ろに隠れていた。
ドアが閉まる。
家の中は、急に静かになった。
健介は、拳を握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。
怒りが、まだ体の奥で震えていた。




