第十章 血の輪の中で
それから、二か月ほど経った頃だった。
ある日の夕食後、志津香が少し改まった様子で切り出した。
「ねえ、健介さん。ちょっと話があるんだけど」
「どうした?」
「実は……生き別れになっていた弟が見つかったの」
健介は箸を止めた。
「弟さん?」
「うん。小さい頃、母方の親戚に養子に出されて……それで苗字も変わって、本城っていうの」
志津香はゆっくりと言葉を続ける。
「そのあと、その家が離散しちゃって、ずっと行方が分からなかったんだけど……最近、やっと連絡がついて」
健介は、素直に驚いた。
「そうだったのか……」
「それでね、仕事と住むところが見つかるまでの間だけ、この家に置いてあげられないかなって思って」
少しだけ遠慮がちな目で、健介を見た。
「ほんの短い間でいいの。落ち着いたら、ちゃんと出て行くから」
健介はほとんど迷わなかった。
幸せの真ん中にいるような日々が続いていた。家も広い。部屋も余っている。家族が増えることに対して、抵抗はなかった。
「いいよ」
そう答えると、志津香の顔がぱっと明るくなった。
「本当に?」
「うん。身内なんだろ。困ってるなら、助けてやらないと」
「ありがとう、健介さん」
三日後。
玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると、大きなバッグを一つ持った青年が立っていた。
背が高く、整った顔立ち。爽やかな笑顔を浮かべている。
「本城康政です。お世話になります」
しっかりと頭を下げるその姿は、礼儀正しく、どこか好青年という言葉が似合う雰囲気だった。
聞けば、幼い頃に母方の親戚に養子に出され、そのまま本城姓になったという。その後、その家庭が離散し、頼れる場所もなく転々としていたらしい。
志津香の話と一致していた。
「大変だったんだな」
健介がそう言うと、康政は少しだけ照れたように笑った。
「まあ、なんとかやってきました」
それが、最初の印象だった。
だが。
それから、少しずつ生活が変わり始めた。
最初は、ほんの些細な変化だった。
「康政、これどう思う?」
「康政、手伝ってくれる?」
志津香が、何かと康政に声をかけるようになる。
次郎も、掃除の合間に康政と話し込む時間が増えた。
静江は、食卓で康政の好きなものを優先して作るようになった。
小夜も、気がつけば康政の隣に座るようになっていた。
「おじさん、これ見て!」
そう言って、学校の話をする。
あれほど健介のそばにいた小夜が、今では康政の後を追うようになっていた。
最初は、健介も気にしなかった。
長い間行方不明だった身内が見つかって、一緒に生活できるようになったのだ。嬉しくて当然だろうと思った。
だが、日が経つにつれて、その変化ははっきりしてきた。
食卓でも、会話の中心は康政だった。
「康政、仕事はどうするんだ?」
「康政、昔はどんな生活してたの?」
皆が、康政に話しかける。
健介は、黙ってそれを聞いていることが多くなった。
志津香も、以前のように健介の隣に座らなくなった。気づけば、康政の向かいに座って、よく話をしている。
次郎も静江も、康政に声をかける回数が増えていった。
小夜も、健介にしがみつくことはほとんどなくなった。
「康政、遊ぼう」
そう言って、腕を引く。
その光景を見ながら、健介はふと気づいた。
自分だけが、少し離れたところにいる。
同じ家の中にいるはずなのに、輪の中に入れていない。
食事のあと、皆がリビングで笑っている中で、健介は一人で食器を片付けていることが増えた。
話しかけられることも、減った。
悪気があるわけではないのだろう。
ただ、血のつながりのある者同士の空気が、そこにあった。
そして、その中に、自分は入っていない。
志津香も、次郎も、静江も、小夜も。
皆、康政との会話の方が多くなっていった。
ふとした瞬間に、胸の奥が冷えるような感覚が走る。
この家は、自分の家のはずだった。
それなのに。
一人だけ血のつながらない健介は、いつの間にか、家の中で少しずつ浮いていくような感覚に苛まれていた。




