闘牛の楽園
その朝、俺は生命というものについて考えていた。どうして、男の人のアレを、女の人のアソコに突っ込むと、赤ちゃんができるんだろう?
受精すると卵子が赤ちゃんになるというのは分かる。でも、どうして受精すると、赤ちゃんになるんだろう?ただの細胞が結びついて新しい細胞になる、というところまでは自明だが、それに意識が宿り知性が宿るまでの過程がどうも想像できなかった。
物質に魂がもたらされる瞬間というものは、文系というか高卒の俺には想像もつかない。
いや、もしかしたら、そもそも人間は魂など持っていないのだろうか。全ては脳味噌の構造が生む物質的な認識で、一切合切は物理的に壊せてしまうものなのだろうか。人間を殴って殴って殴り殺したら、それでその人は永遠にお終いなのだろうか。死後に何が残るのかは分からないが、少なくとも人間の死生観に"生まれる前"は無い。
布団を蹴っ飛ばして起き上がる。裸で寝たので、喉が痛い。壁にたてかけた姿見の前まで来てみると、そこには大きな男がいた。自分自身なのだと受け入れるまでに今でも数秒を要する、大きな男だ。
身長一八二センチ体重一〇二キロ。ウィングスパンは一九三センチに及ぶ。それが鏡の中の男の体躯だった。首、肩、胸、腕、腹回りは無数の鋼索が極太の束になったような質感があり、腹筋の上に薄く張った脂肪の膜は巨体のヒョウアザラシを思わせる。
自分の肉体を見ると、拳骨がうずうずした。こんな肉体を殴ってみたい。こんな肉体の水月に踵をぶちこみ、人中に正拳を叩き込み、目ん玉に指を入れて抉り出し、睾丸に皮の潰れた背足を放り込みたい。
街のペラペラでチビっちゃいゴンタクレを警察に駆け込まれない程度にイジメるのはもうたくさんだ。俺と同じような肉体で、俺と同じように技を練り上げた奴を、俺は思い切りぶん殴り、そして思い切りぶん殴られるべきなのだ。
人間に魂が無いのなら、死とはあまりにも悲痛だ。死を慰めるには、弓を引くヘラクレス像のような体躯の男達と拳骨を振るい合い、そしてキンタマの震えるような幸福の中で斃れるしかない。
鏡の中の自分と、相四つで構え合う。肉体の拍動が分かる。脳が、眼前に敵の存在を取り違える。腱の一つ一つ、骨の一つ一つ、筋肉の一つ一つが指令する。敵を、殴り殺せ。俺はその指令に身を委ね、理性を霧散させ──
気づけば、畳に鏡の欠片が散っていた。
※※※
朝になると妹尾が来たので、俺は彼に着いて行った。彼が斡旋してくれるという仕事にありつくためだ。
「なあ、裏ビデオを撮るって何なんだよ。いかがわしいことされるんじゃねえだろうな」
「そういうんじゃねえよ師匠。来れば分かるからさあ」
「不安だなあ」
前を行く妹尾の肉体を見てみる。背は170cmを過ぎたくらい、体重は並よりはありそうという感じで、肉体に硬質な張りが感じられる。これからどれくらい強くなるのかは分からない。だが、俺には彼が20歳になろうが30歳になろうが殺せるという確信があった。
彼は素朴で真っ直ぐな青年だ。今後ろにいる大男が、ひょっとして首を極めてくるのではないかというようなパラノイアが無い。常在戦場。それは、ある者には10歳からあるし、無い者には80歳になっても無い第六感だ。今後、彼は戦士になることはあっても武道家になることはないのかもしれなかった。
やがて、汚らしいビデオ屋に辿り着いた。かすんだ青色の庇テントには白文字で「ビデオショップ・ドロクボ」と書かれており、あちこち穴が空いて錆びた鉄骨が丸出しになっている。
妹尾がガラス戸を開けると、得も言われぬイカ臭さが店から漂ってきた。店内は電灯がついていないために薄暗く、床にはカーペットも無く硬い床材が剥き出しになっている。棚に取り揃えられているビデオの大半はいかがわしいもので、あっちを見てもこっちを見ても肌色の上に赤いポッチの浮いたパッケージが並んでいる。
「おい、オヤジ!いるんだろ!」
妹尾が大声をあげる。カウンターは無人だが、奥から何かか細い呻き声が聞こえた。1秒、2秒、3秒、4秒……。やがて、カウンターの奥からどろりと人間が現れた。もっとも、それが人間であると理解するのには2回瞬きするほどの時間が必要だった。
現れたのは右足を重そうに引きずり、背中は貝殻のように丸まり、頭はぬるぬるにハゲあがった蝸牛を思わせる老人だ。極端に黒目がちな眼球は瓶底メガネの奥で蟲のように蠢き、長い髭は濡れた海苔のように唇に張り付いている。
「おう、おう、イモ坊かあ。どうしたっ、ハメ撮り、か。ハメ撮り、なのか。裏ビデオのために、ハメ撮りを売ってくれるのかっ」
「ちげえよオヤジ、ハメ撮りなんか持ってねえよ」
「しけてんなあ、若えのがっ。そのデカいのはっ?」
「俺の師匠。古武術家で、ボクサーで、空手家で、ムエタイファイターで、忍者で、プロレスラーの壬生諒斗先生」
「壬生です。忍者ではないです」
「ふうん、色々やってても、武道と喧嘩は別だからなあっ。あんた、そのへん勘違いすんなよなっ」
かーっ、ぺっ。老人は俺のスニーカーに痰を吐きつけた。信じられなかった。俺は一歩も動けなかった。
「師匠、このオヤジはビデオ屋の泥久保美雄って人。これからしばらく世話になると思うぜ」
「うん……あの、なんで痰を吐いたんですか」
「そんでよう、イモ坊。こんなデカいの連れてきて、一体どういう了見だいっ、うちに強盗でもしようってかっ」
「違えよオヤジ、師匠の裏ビデオを撮りたいんだよ」
その一言で、不審に揺らめいていた泥久保の体がぴたりと止まった。彼はメガネを掛け直すと、粘的な笑顔でこちらを覗き込んでくる。
「ま、待ってくれ!確かに俺は貧乏だが、まだ男優になる気はない!」
「へへへ、演技はいらねぇよう。そのイイ体を活かして、やりたいようにやってくれりゃあいいからよっ。それじゃあ、相手役を呼ぶかあっ」
「助かるぜオヤジ!とびきりハードな相手を呼んじまっていいからよ!」
「いや、だから俺は……」
泥久保は驚異的な速さで這うようにバックヤードへ消えていく。
「おい妹尾!そんなの聞いてねえぞ!」
「なんで?師匠、お金欲しいだろ?」
「そりゃそうだけど、俺だってプライドがあんだ!心の準備も無しにこんなことできるか!」
「そんな怒ることじゃねえって。師匠のケツの穴のデカさを見せてくれよ」
「何言ってんだお前!」
「それにさ、どんな相手とビデオ撮るか分かんねえぜ?師匠にとっても楽しい相手かもしんねえしさ」
はっとした。ハナから角刈りでムチムチのクマ男と絡まされるとばかり思っていたが、裏ビデオと言えば男と女が絡むものの方が主流だろう。それで"とびきりハード"であるなら、俺は一向に構わない。
そう思うと、途端にソワソワしてきた。今日は仕事の話ということで白いポロシャツを着てきたのだが、女優さんにつまらない男と思われたくないので、ボタンを開けて襟を立ててみる。なんだかドン・ジョンソンのような趣があってよいのではないだろうか。
やがて、黒電話の受話器を握ったまま泥久保が戻ってくる。
「よぅ壬生、今に来てくれるって奴がおったでよっ。丁度ウズウズしてて辛抱たまらんかったから、発散したいとよっ」
「おお……なんて子です?」
「長村薫ってのだっ」
「か、薫!どんな子なんです!?女の子ですよね!?」
「角刈りでムチムチのクマ男だっ」
みるみると膝から力が抜ける。世界が色を失っていくのが分かった。
※※※
「長村薫。34歳。本職自衛官、ガンガン攻めたい派だ。よろしく」
到着するなり、剛竜馬にしか見えない角刈りでムチムチのクマ男はそう言った。彼の鼻息の荒さを感じるだけで涙が滲んでくる。
「壬生諒斗、28歳、フリーター、いますぐ逃げたい派です……」
場所はビデオショップ・ドロクボのある雑居ビルの2階。何のテナントも入っておらず、板張りの床だけが一面に広がる殺風景な空間だ。そこの入り口に日立の大きなビデオカメラを担いだ泥久保と、やたらニコニコした妹尾が佇んでいる。
「おめぇら、着替えるんなら着替えちまえっ。そしたら始めるからよっ」
長村がリュックから何やら取り出し、モゾモゾしているのを見ると、俺はいよいよ涙が零れないように上を向いた。
怖いよ。嫌だよ。千葉の実家に帰りたいよ。俺、こんなことをしに東京に来たんじゃないよ。ちゃんと大学を出てれば、俺もこんな思いをせずに済んだのかなあ。
そんな思いが込み上げて止まらなくなる。どうしてこんな事になってしまったのだろう?根本的なところから考えるのなら、俺が東京などという危険な街に来てしまったのがいけないのだろう。そもそも、俺が東京に来たのは28歳になってからだ。それまでは各地を転々としつつようやく居着いた横須賀で、米兵に混じって……
「君、着替えないのかい?」
長村の声に視線を戻すと、己の目を疑うことになった。着替え終わった彼は、レスリング用の真っ赤なシングレットに身を包んでいたのだ。
「それを着てプレイするんですか……?」
「プレイ?ああ、俺はこれを着て戦うよ」
「ん?戦う?」
泥久保の方を見る。
「あの、泥久保さん、戦うっていうのは?」
「ああっ、何言ってんだっ。お前らが戦うのをオイラが撮って、ビデオにするんだろうがっ」
どうやら、話が変わってきた。
「つまり、裏ビデオっていうのは、アングラな格闘ビデオってことですか?俺と長村さんが戦ってる本物の喧嘩映像を、ビデオショップ・ドロクボでこっそり売ると?」
「だからっ、そう言ってるだろうがっ」
同時にやってきたのは、安堵と昂揚だった。
あらためて、落ち着いた状態で長村をじろっと観察してみる。ノンケの俺にとって長村薫という男は性的には全くそそられない。しかし、武道家として見れば相当に"そそる"男だった。
餃子になった耳、擦りむけてマメだらけの手、バイソンのような首、肩、胸板。身長は俺と同じくらいで、厚みは二回り余分にある。拳骨がムラムラした。早く、一刻も早く拳に彼の顔面をぶち抜く手応えが欲しくなる。
俺は立ち上がると、屈伸運動を始めた。
「長村さん、あんた格闘技歴は?」
「小学校から自衛隊体育学校までレスリング一筋だ。力猛山に憧れた世代でね。自慢にゃなるが、モスクワ五輪の100kg超級に内定してたんだぜ。アフガン侵攻が無きゃ俺も五輪選手さ」
「そんで、競技は引退して拳法訓練隊か、でなくても部隊の格闘教官か」
「ほう、分かるかい。連隊の格闘訓練隊にいるよ」
「鼻が曲がった釘みたいになってるからな。レスリングじゃつかない傷だ」
「そういう君は?」
「色々つまみ食いしてきたキャリアでね。たくさんの武道をやって、忍法まで修行したよ」
「詳しくは教えてくれないんだな。それは忍者流の心理戦か?」
「あんただって、自衛隊格闘のことを黙ってただのレスラーに見せかけようとしたろ?これ見よがしにシングレットなんて着ちゃってさ」
長村はニヤリと笑い、構えた。背筋の伸びたアップライトで、胸を見せない半身の構えだ。それのどこがレスリングだ、俺は苦笑いせざるを得なかった。
「そこまで見抜かれてちゃお手上げだ。さすが忍者殿。じゃ、今度は伊賀の体術で驚かせてもらおうかな」
「イジってくれるなあ。いいぜ、火遁キックを見せてやるよ」
俺もステップを踏み、リズムを作り始める。ゾクゾクした。しばらくぶりの本物との喧嘩だ。風俗代にもならない駄賃をもらってゴロツキをいじめていたここ数ヶ月の喧嘩とは訳が違う。
相手は殺傷能力を持つ巨大な雑食獣である。バックマウントをとられて後頭部に全霊の肘を連打されても、殺人的なブレーンバスターで頸椎をぶち折られても、五輪レスラーの腕力でネックロックをくらって骨を捩じ切られても、恨みっこなく死ぬべし。それが今から臨む戦いなのだ。
「もう回ってるぞっ」
そして、その言葉が合図となる。一切の起こりが無い、神懸かりなまでのノーモーションストレートだった。
動いたことすら悟れぬまま、長村の右が俺の鼻面を貫き、頭蓋を振動させる。自衛隊格闘の原型である日本拳法に由来する、見えないストレートだ。やはりこの男、ただのレスラーではない。
コンビネーションを嫌ってロングガードを出しつつバックステップすると、長村は執拗に追ってくるので、彼が上体を沈めた瞬間、顔面に猿臂を叩き込んだ。
掴み無しで回転技でもない肘を有効に使うのは至難の業だが、こうして相手が攻めながら意識をこちらの足や腰への組みに移した瞬間には非常な爆発力を発揮する──はずなのだが、長村は頭を押し込まれただけで、目をつぶることすらなくタックルを強行した。
バイソンの肉体が迫る。それは、一種の打撃だった。強靭な男体が一個の砲丸となり、高速で下半身を吹き飛ばす。俺はそれにどうにかがぶり、左腕を極太の首にまきつけた。右手はアンダーフックに滑り込ませて押し込みながら、独楽の軸のように回り、長村の怪力を利用して牛殺し式に巨体を後方へ捩り倒す。
次の瞬間、俺の肉体は浮遊した。長村は、倒されながら俺の股下に手を通していたのだ。彼はそのまま立ち上がり、俺の全身を担ぎ上げた。180cmを超えるであろう長村が完全に立ち上がると、流石にマズい状況になった。床が遥か下に見える。
「師匠!」
妹尾の声が届くや、俺は物凄じい速度で射出された。行先は板張りの床、頭からの突撃だ。どうにか肩から着地し、後転しながら立つと、予備動作に移っていた長村のハイキックから距離を取って逃れる。後頭部がジンジン痛む。路上なら今ので決着がついていた。
「どんな鍛え方してんだ?化け物め」
「自衛隊流だよ、猿飛佐助くん」
そして、再びノーモーションストレートが飛来する。俺は面白いようにこれを貰った。ぱがっと頭部が跳ね、確実にダメージが溜まっていくのを感じる。戦いを始めたときよりも手足が重くなっていた。
そのまま攻め込まれるのを嫌い、俺は反射的に左右のフックで壁を作った。と、拳の左へと長村はスウェーするや、打ち終わりに肉弾となって特攻した。
強烈なタックルが到来し、肩峰が腿に深々と突き刺さる。そのまま押し倒されるかと思ったが、長村は股下のクラッチを垂直に引き上げた。スラムする気だと気づいた俺は、フリーの右足を引きつつ長村の首根っこを押さえ、顎を目掛けて何発も肘を叩き込む。
しかし、それは全く効力を示さない。ジェットコースターの落下点へ向かうのを待つように、俺の体は無情に持ち上げられていく。
俺は右手を熊手にし、固め、尖らせ、第二関節をドスのようにして長村の喉仏に突き刺した。彼は反射的にクラッチを解除し、咳き込みながらバックステップする。俺はそこへ飛び込みながら右の拳を振るい入れる。しかし、長村は急所を突かれた後とは思えない冷静さで左へと流れていった。
「驚いたよ。君、そこまでやれる奴なんだな」
「喋って時間稼ぎしようってか?」
「そうじゃない。宣言だ。君が"できる"奴なら、俺も"やる"ってね」
そして、長村の踏みつけるような関節蹴りが左膝へ飛んだ。すんでのところで引き、蹴り終わりに合わせて右を振るが、ガードしながら左にかわされる。
スナップを効かせた左足の軽打が光のような速さで俺の股間へと接近していた。完全なブロックはできなかったが、どうにか右足の内腿をぶつけて軌道を変え、睾丸は守り切る。しかし、意識が股間に向いてコンビネーションの右はマトモにもらった。
意識がじわりと立ち消える。次に気づいたときには、俺は尻餅をついていた。後退しながら無我夢中で立ち上がり、再び構える。
そろそろ余裕が無い。これまでに蒔いた布石を回収するときが来た。俺は極限までモーションを大きくした右のロングストレートを放つ。当然、この流れに慣れた長村は左へスウェーを開始しているが、これはただのストレートではない。
右拳と一緒に右足を前方に投げているのだ。このストレートが完了するとき、左足が俺の奥足となる。そう、長村が逃げた方向と同じだ。そして、俺の左足と、長村の頭部の間を遮るものは何も無かった。
左膝が長村の顔面を跳ね上げた。膝の皿が高速でバウンドするかのような手応えがある。長村の体は一瞬びくりとゆらめき、そして、脱力して崩れ落ちた。
板張りの床に、人喰い牛のような巨体がどしゃっと横たわった。どうやら一撃で長村の意識を打ち抜いたらしい。俺は素早くS字マウントに移行すると、切り株のように重たい無抵抗の腕をとり、腕三角絞めでいつでも殺しに移れる体勢になった。
「おい泥久保さん!どこまでやっていい!?」
「バカ、そんなもんにしとけっ、猟奇ビデオを撮る気はねえっ」
そうして、ブレイクが入った。どうやら、俺は喧嘩に勝ったらしかった。
※※※
その後、長村は大変満足した様子で俺の膝を褒め、電話番号を渡してきた。「君の忍者キックは素晴らしいよ。是非また喧嘩に付き合ってくれ」とのことで、午後から住民票を取りに行かねばならないとして帰っていった。その後、俺たちは近くの喫茶店に移った。あちこち痛み、腫れているのをウインナーコーヒーの甘味で誤魔化してみる。
「強えだろう、長村はっ。奴はウチじゃ14戦13勝だぞっ。負けたのは足首をぐねったとこに畳み掛けられたときだけだっ」
可愛らしいクリームソーダをヌメヌメした口で啜りながら、泥久保は言った。
「ええ、レスリングには終始対応できませんでしたね。日拳っぽいノーモーションのストレートも怖かったし、危ない技の使い方も上手かった」
「自衛官が集まって格闘術で競争する防衛大臣杯ってえのがあるが、奴はそこでも2回優勝してるっ。五輪の組みにあれだけの打撃がありゃあそのへんの奴じゃ勝てんっ」
「はあ。あの……このへんで格闘技やってる奴は結構泥久保さんに裏ビデオ撮ってもらいに来るんですか」
「会員制だよ、師匠」
オムライスにがっついていた妹尾が口を挟んだ。
「結構な数の会員がいてさあ、そいつらがビデオに出演するんだよ。喧嘩が強い奴だけね。で、そいつらが外から他の強い奴引っ張ってきたらオヤジから紹介料もらえんの。だから俺も師匠を紹介したんだよ」
「じゃ、お前も裏ビデオに出てんのか?」
「うん。2戦して1勝1敗」
「ふうん。しかし、格闘なら幾らでもプロがやってるのがあるだろ。素人の泥試合なんか裏ビデオ買ってまで見る奴いるのかね?」
「意外に物好きはいるぞっ、真剣勝負の何でもアリってのはまだ興行になってねえからなっ」
それと、と言って泥久保はポケットから財布を取り出した。中からグシャグシャになった万札を2枚取り出し、机に叩きつけた。
「ファイトマネーだっ、持ってけっ」
「な……2万!?そんなにくれるんですか!?」
「いい大人が2万くらいで騒ぐなっ、早く持ってけっ」
この時代の2万円は、大金だった。大卒初任給が20万円いかない時代だ。喧嘩して2万円稼げるなら、相当にウマイ話である。
こうして、俺は定期的にビデオショップ・ドロクボに出入りすることになった。2万円あれば家賃が払えるし、トルコ風呂に行けるし、3食鰻重という日だって作れる。
そして、何よりクセになった。俺と同じように肉体を鍛え上げ、俺と同じように技術を練り上げ、俺と同じように闘争に飢えた闘牛のような男達との、素面素手での壊しあい。それをまた味わいたくなったのだ。命が脅かされるその瞬間の甘美さを、俺は知り尽くしたくなった。




