リベーロの行動力
「ただいまより、カイロ行きの搭乗案内を開始いたします。まずはビジネスクラスをご利用のお客様、およびプレミアムメンバーのお客様よりご案内いたします——」
ターミナル4の搭乗口にアナウンスが響いた。
ロゼリーは手際よく搭乗券を握り締めると、長い一般列を横目に、スムーズに優先搭乗用のボーディングブリッジへと踏み出した。
リベーロも背中のリュックを抱え直しながら、その後に続く。
金属製の長い通路を渡り切ると、重厚な航空機のドアが開かれ、客室乗務員が洗練された笑顔で出迎えた。
「ご搭乗ありがとうございます。お席は3Aと3Bでございます」
指示された区画へ一歩足を踏み入れると、そこは通路を挟んで個室のように独立したシートが整然と並ぶ、静寂な空間だった。各座席にはすでに大きなクッション厚手の毛布、高級感のあるアメニティポーチ、そしてノイズキャンセリングヘッドホンがセットされている。
「すげえ。俺、ここでずっと暮らせって言われたら暮らせるよ」
リベーロは座席を自分の基地の用に感じながら、目を輝かせて声を潜めた。
「静かにしなさい。……手荷物のリュックは上の棚か、足元の収納スペースへ。
ベンベン石の欠片を衝撃で痛めないよう、奥へ固定するのよ」
ロゼリーは流れるような所作で上着をハンガーに掛け、シートの操作パネルで座席が完全に180度水平に倒れる仕組みを素早く確認した。
手元のパネルを眺めていたリベーロが、疑問を口にする。
「ねえロゼリー、これボタン押して席を倒す時後ろの人になんか言わなくていいの?
弁当食べてて、急に傾いたら、わっ!なったりするでしょ?」
後ろの席を振り返るリベーロに、ロゼリーは手元を指さしながら教えた。
「大丈夫よ。これは外側の枠が固定されたシェル構造になっているの。どれだけシートを倒しても、この枠の中で座席が前にスライドして水平になる仕組みだから、後ろの人のスペースには一切影響しないわ。倒した時の足元も、前の席のテーブルの下に入る設計になっているの」
「すごいな……! そりゃそうか、急に倒れてきたらビックリするもんね」
感心しながらボタンを押し込むと、スーッと滑らかにフラットになっていくシートの仕掛けにリベーロは目を輝かせた。
やがて重厚な機体ドアが閉まり、ポーンという電子音とともにシートベルト着用サインが点灯した。
滑走路へ向けて巨大な機体が静かに動き出すと、スピーカーから落ち着いた女性の声で機内アナウンスが流れ始めた。
「皆様、カイロ行きのエジプト航空にご搭乗いただきありがとうございます。シートベルトをお締めになり、座席の背もたれとテーブルをお戻しください——」
続いてアラビア語の独特なイントネーションのアナウンスが響き、機内モニターには安全設備のビデオが映し出される。
機体は長い誘導路を通り、夜の滑走路の停止位置で一瞬静止した。
その直後、機内の照明がふっと落とされ、天井に沿ったライン状の温かみのある案内灯を残して暗闇に包まれた。
「離陸のため、機内の照明を暗くいたします」
ゴオォォォ……という地鳴りのようなジェットエンジンの重低音が客室に響き渡り、背中が強力にシートへ押し付けられる。巨大な鉄の塊が夜のアスファルトを滑走し、ふっと重力が消えた瞬間、機首が夜空へと持ち上がった。
窓の外には、遠ざかる北米の街並みが無数の宝石のように輝いていた。
安定飛行に入り、再び低いポーンという音が鳴る。
機内アナウンスが、深夜便特有の静けさに配慮した低いトーンで語りかけてきた。
「皆様、シートベルト着用サインは消灯いたしました。安全のため、ご着席の際はシートベルトをお締めください。間もなく、皆様にお休みいただくため機内の照明を減光いたします——」
天井の案内灯までもが極限まで落とされ、客室は淡い群青色の夜間照明へと切り替わった。
「ロゼリー、この手元のボタンは押すとどうなるの?」
「そこのボタンはアテンダントコールよ。
押すと客室乗務員が座席まで来てくれるのよ。メニュー表から飲み物をちょっと頼んでみたら?」
リベーロが座席横のメニュー表を開くと、見たことのない名前が並んでいた。
「カルダモン入りの紅茶? こっちは…カーカデ? ハイビスカスの赤い紅茶だって」
「カーカデはエジプトの伝統的なお茶よ。クエン酸とビタミンが豊富で、甘酸っぱくて飲みやすいわ」
「えー。どうしよう。飲めなかったら悪いしな…」
リベーロがおずおずとアテンダントコールを押すと、小さくポーンと音が鳴った。
数秒後、ギャレーから足音を殺して歩み寄ってきた客室乗務員が、周囲を起こさないよう静かにかがみ込んできた。
「お飲み物はお決まりでしょうか?」
暗闇の中でもわかる丁寧な微笑みと、囁くような低い声。
「あ、えっと……マンゴージュースをひとつ」
「かしこまりました。マンゴージュースですね。すぐお持ちいたします」
「あ、はい! お願いします」
乗務員が静かに頷き、音を立てずに奥へと戻っていくと、リベーロは感心したように息を漏らした。
「こんなに暗くてみんな寝てるのに、マンゴージュース飲むの初めてだよ」
リベーロは薄暗い座席で睡魔も感じないまま、ずっと笑っている。
隣の席で小さな読書灯を点けていたロゼリーが、本から目を離さずに囁いた。
「好きなのを飲めばいいけど。……でも、周りは静かに休んでいるんだから、あまり騒がないようにね」
「わかってるって。……大空で飲むマンゴージュース楽しみだな」
しばらくすると機内は静寂に包まれ、エンジンの低い唸りだけが規則正しく響いている。
灯りは足元灯と小さな読書灯だけが残っていた。
隣のロゼリーのシートはすでにほぼフラットに近い角度まで倒されており、シートを伸ばし、目を閉じたまま動かなかった。
リベーロは窓側の薄いシェードをわずかに上げ、外の暗闇をぼんやりと見て
今、飛んでいる事を実感しながら、数時間前の出発した時の事を思い出していた。
——学期終業日の15時過ぎ。
リベーロの母親は、最初半信半疑でいた。
「ヴェスティ家の令嬢と。うちの息子が旅行だなんて。」
しかし数日前から、真面目にキャリーバッグとリュックを準備する姿を見て
リベーロが本当にエジプトへ行くのだとわかった。
「ほんとに、エジプト行くんだね」
「母ちゃん、心配しないで。無事に帰って来るよ」
「あんたの心配なんかしてないよ。それよりヴェスティ家のご令嬢だよ
二人でエジプト行くんだろう?」
リベーロは鞄の紐を握り直した。ベンベン石の欠片のことは一切口に出せない。
「そうだよ。反対されても、俺もロゼリーも行かないとダメなんだ。」
母親は深いため息をついた。昔からそうだった。
リベーロが一度「やる」と決めたら、どんなに説得しても無駄だった。
頑固な所は、早くに病気で亡くなった父親によく似ていた。
「父ちゃんはね、自分が正しいと思ったことは、周りが何と言おうと
やり遂げる人だった。その代わり、誰にも迷惑をかけなかった。
病気である事も隠して、たった一人で亡くなったんだよ」
そう言いながらも、母親の声に本気の怒りはなかった。むしろ、亡くなった夫の面影を息子に見つけて、どこか諦めたような、それでいて少しだけ柔らかい表情を浮かべていた。
「止めやしないよ。ただ、今から話す事を良く聞きなよ」
「何だよ、母ちゃん。」
「行動するなら、ロゼリーさんに決して迷惑をかけないこと。それとあんたが守るんだよ。父ちゃんが生きてたら、きっとそう言ってるよ。」
「わかったよ」
母親はエプロンのポケットから、少しだけ厚みのある封筒を取り出し、リベーロの手に押しつけるように渡した。
「昔、父ちゃんと一緒に貯めた、何かあった時ようのお金だよ。
あんたがここまで、かあちゃんに何も教えないんだ
よっぽど何かあったんだろう?……必ず2人とも無事に帰って来るんだよ。」
リベーロは封筒を鞄にしまい、小さく頷いた。
「約束するよ」
「気をつけてね」
扉を閉めた後ろで、母親が小さく「父ちゃんに似て、本当に頑固なんだから」
と呟いた声が聞こえた気がした。
リベーロは機内で席を倒したまま、自分に出来る事を模索した。
いつも観ている新人Vtuberはウェヘムを話題にしていた事を思い出し
ふと、スマホのロックを解除して、機内のwi-fiを入れて
Youtubeのアプリを立ち上げてみる。
ここまでは出来る、出来ないであろう事は上空では回線の問題で動画は重く、
本来視聴は難しいはずだったが。
普通にそのライブ配信は観れた。他の配信はどうかわからない。
リベーロは急いで持参したイヤホンを装着し配信に聞き入った。
そのVtuberの名は、あるば・すーばーぬ
前から、リベーロが夢中になっていた新人Vtuberだ。
ただ、リベーロは気づいてない。
Youtubeに、【あるば・すーばーぬ】という名のVtuberは存在していない事を。




