準備と決断
あれから一ヶ月近くが経った。
ロゼリーとの会話は作戦会議を最後に途絶え、
二人はそれぞれ準備を進めていたが、
過ごし方はまるで違っていた。
リベーロは自室で時間が空くと、
目線の高さが丁度いいという理由で
ベンベン石の欠片をスタンド代わりに、スマホを立てかけて
新人Vtuberのライブ配信に夢中になっていた。
この様子を、もし世界中の考古学者が知れば、全員泡吹いて倒れるだろう。
そんな大それた事を知らず。
ファンネームは脱皮組。
画面には指定通りのファンマークをしっかり入力する。
ダークな感じがするマークだったが、よくあるキャライメージで指定されているのだろう。
@りべーろ:きちゃー!!
@りべーろ:こんばぬー
@りべーろ:うぉぉおおお!!!コメント読んでくれた!ありがとー
@りべーろ:エジプト詳しいの?俺も今度カイロ行ってくるwww
一方ロゼリーは、
自室の書斎で静かに文献を読み続けていた。
机の上には、
古代エジプトの文献、地図、神殿の配置図、
返却候補地の資料が整然と並んでいる。
窓から差し込む柔らかな光がページを照らし、
ロゼリーは一つひとつの資料を丁寧に読み解きながら
返却場所候補の絞り込みに余念がなかった。
更に候補に合わせた最短ルートを計算していく。
「ベンベン石の上にベンヌ…まずは、ヘリオポリスの神殿からね。
ならホテルはオシリスホテルが効率いいわ。」
二人はそれぞれ“来る日”に向かっていた。
出発2日前。
その日の朝、リベーロはまた飛び起きた。
顔を洗い、階段を駆け下りてキッチンへ向かう。
アイランドカウンターの脇では、スキレットでカリカリに焼ける
ベーコンの脂がはぜ、隣のフライパンではハッシュブラウンが香ばしく狐色に仕上がりつつあった。
母親は手早くボウルで卵を溶きほぐして、スクランブルエッグの調理に取り掛かっているところだった。
だが、調理の完成を待つ時間などない。
リベーロはカウンターの上に置いてあった焼く前の食パンを素手で掴むと、大口でかぶりついた。続けて牛乳をゴクゴク飲んでいると母親からの声がした。
「ちょっとリベーロ!あんたまたそんな時間まで寝てて!かあちゃんの美味しい朝ご飯があるのに!全くもう」
「分かってるよ、ごめん!あ、母ちゃん、2日後から同級生のロゼリー・ヴェスティとエジプト行ってくる!4泊5日で!チケットならもう持ってるから!」
「なんだって!?軽く近所へ買い物でも行って来るみたいな言い方してるけど
あんたがエジプトぉぉ!?ちょっと待ちなさい、ヴェスティさんって……
ここらじゃ有名な、あのヴェスティ家のご令嬢と二人きりでかい!?」
情報の処理に追いつかず、ボウルを持ったまま目玉が飛び出んばかりに驚く母親を置いて、口元を袖で拭いながらカバンを掴んだ。
「あんた、そんな大事な事勝手に決めて…この!待て。絶対にご令嬢に失礼や迷惑かけんじゃないよ!!ちょっと聞いてるのかい!?」
フライパンの焦げる香りと背後からの叫び声を背に、
「やばい遅刻するから!母ちゃん、学校行ってくる~!」
玄関から飛ぶように出ていった。
ロゼリーの朝食は、
柔らかな陽光が差し込むダイニングで始まった。
弦楽四重奏のクラシック音楽が静かに流れている。
真っ白なプレートには黄金色のエッグベイク。
横には宝石のようなフレッシュベリー・フルーツボウル。
銀皿には焼きたてのシナモンロール。
その横に牛乳。
ロゼリーは背筋を伸ばし、
ナプキンを膝に整え、
母と静かに会話を交わしながら優雅に食事を進めていく。
「ロゼリー、今日も学校から真っ直ぐ帰って来るのよ。
あなたの好きなディナーを用意して待ってるから。」
「はい。お母様。ただ終業後、クラスメイトと談話した後に自宅へ戻ります。」
「学校でお友達でも出来たのね。ロゼリーが選んだお友達ですもの、許しましょう。
夜は待ってるからね。」
「はい。ありがとうございます、お母様。では行ってまいります。」
その日の登校時に二人が顔を合わせても、
リベーロは約束通りロゼリーへ声をかけることは一切しなかった。
昼休憩の時間。
ロゼリーがリベーロの席へやってきて、
今日の放課後に隣町で最後の打ち合わせを行うとだけ告げた。
放課後
授業を終えたリベーロは、隣町のカフェへ向かった。
ベンベン石の欠片とパスポートのチェックや砂漠に備えた衣服の確認を終えた後
ロゼリーからルートについての詳細が語られた。
まず、ヘリオポリスの神殿は朝7時からなので明日夜間便を利用し、前日夕方〜夜カイロに到着しなければならない。
その為、空港集合時間は明日の23:00。
次の候補ギザは16時までしか入れず、カイロは大渋滞する為11時には切り上げて
ギザへ直ちに移動する。
その間、オシリスホテルを拠点とする旨が告げられた。
一通り話し終えると、2人はヌテラ&バナナを楽しみながら談話を始めた。
ふと、リベーロは疑問を投げかけた。
「ヌテラ&バナナは美味いな。そう言えばカイロって食べ物どんなのがあるの?
やっぱり気になるよ」
笑いながら、ロゼリーはスマホの画像を見せて解説した。
「そうね、例えばこういう料理があるわ」
「コシャリ。エジプトの国民食よ。お米、マカロニ、レンズ豆をごちゃ混ぜにして、ニンニクの効いたトマトソースとフライドオニオンをかけるの。
炭水化物の塊だから、過酷な移動前のエネルギー補給にはうってつけね。」
指でスワイプする。
「ターメイヤ。 エジプト風のコロッケのようなものよ。ソラマメのペーストにハーブを混ぜて揚げるの。
ピタパンにはさんで食べるのが一般的ね。」
更に次のページへスワイプする。
「モロヘイヤスープ。古代エジプトから伝わるスープよ。刻んだモロヘイヤとチキンブイヨン、ニンニクで煮込まれていて、オクラの様な独特の粘り気があるわ。」
ヌテラ&バナナを一口だけ優雅に口へ運び、ナプキンで軽く口元を拭うと、青い瞳でリベーロをじっと見つめる
「もう一度言っておくけれど、当日は朝7時ジャストにヘリオポリス神殿跡へ入るわ11時にはギザへ向けて出発しないと大渋滞で時間が無駄になってしまう。
何があっても遅刻したなんて理由は一切認めないわよ、リベーロ」
そう話してる所にロゼリーのスマホに着信が届いた。相手は母親。
「ロゼリー。今何処へいるの。とても心配だわ」
母の声には、いつもとは違う張りつめた響きがあった。
ロゼリーは一瞬だけ息を止め、リベーロへ視線を向ける。
彼はすぐに気を利かせ、飲み物を手にカフェの外へと歩いていった。
「お母様……すみません、まだ隣町のカフェにいます。話し込んでしまって」
「隣町? こんな時間まで? あなた、一体誰と……」
「お母様、落ち着いて聞いてください」
ロゼリーは深く息を吸い、背筋を伸ばした。電話越しでも
いつもの凛とした声を保つように。
「明日の夜、私は旅行に出かけます。行き先はエジプトです」
沈黙が流れた。
「今、何と言ったの?」
「エジプトです。学校の関係で、どうしても行かなければならない用件があります」
「エジプト……? 急に、何を言い出すの。聞いていないわ、そんな話」
「申し訳ありません。決まったのが最近で、お伝えする機会を逃していました」
「待ちなさい、ロゼリー。誰と行くの? まさか、一人ではないでしょう」
ロゼリーの喉が、一瞬だけ詰まる。
「……クラスメイトと、一緒です」
「クラスメイト? 女性?…男の方?」
「それは、同級生の男子生徒です」
電話の向こうで、母が息を呑む気配が伝わってきた。
「男子生徒と、二人で……? ロゼリー、正気なの?」
「お母様。これは決して、遊びや軽率な気持ちで決めたことではありません」
「期間は? まさか日帰りではないのでしょう」
ロゼリーは一瞬だけ目を閉じた。
「4泊5日です」
「4泊5日……!」
母の声が跳ね上がる。
「あなた、自分が何を言っているか分かっているの!? うちの娘が、素性の知れない男と、異国の地で5日間もともに過ごすなんて……許すはずがないでしょう!」
「お母様、お願いです。これは、私にとって……」
「理由を聞かせなさい。今すぐに。家に帰って来て。納得できる説明がなければ
絶対に許可しません」
ロゼリーは唇を結んだ。
家族を危険に晒す石のことは、口が裂けても言えない。
神の名も、禁忌という言葉も、一つとして母に明かすことはできない。
だから彼女に差し出せるのは、真実の輪郭だけだった。
「理由は、今は言えません。ですが、これは私自身の判断で決めたことです。誰かに強制されたわけでも、軽い気持ちで決めたことでもありません」
「言えない、ですって? 娘が得体の知れない事情を隠したまま、見ず知らずの男と海外へ行こうとしているのに、母親に何も説明しないつもり?」
「……申し訳ありません」
「謝罪はいらないわ。今すぐ帰ってきて説明なさい。分かったわね」
母の声は、これまでロゼリーが聞いたことのないほど強かった。
「……お母様」
ロゼリーは、電話を握る手にわずかに力を込めた。
「私はもう、決めたんです」
「ロゼリー、聞きなさい――」
「行ってきます。お母様」
そう告げると、ロゼリーは母の言葉を最後まで聞くことなく、静かに通話を切った。
スマートフォンの画面が暗くなる。
しばらくの間、ロゼリーはその場に立ち尽くしたまま、暗い画面を見つめていた。
心臓が、いつもよりずっと速く音を立てている。
やがて彼女は、小さく息を吐き、いつもの表情を取り戻しながら
カフェの中へと戻っていった。




