書記神トトは受理した
「——あははっ! やめて、本当にお腹が痛いわ……っ!
それで、そのあとどうなったの?」
隣町のレストランでの作戦会議は、思わぬ方向で盛り上がっていた。
向かい合うテーブルで、ロゼリーは上品なハンカチで目元を押さえながら
リベーロの話しに声を上げて笑っている。
普段の冷酷で凛とした生徒会長の姿はどこにもない。
肩を震わせ、青い瞳には笑い涙まで浮かんでいる。
「職員室で教頭まで出てきて怒られたよ。教師のカツラを引っぺがす生徒なんて前代未聞なんだって」
リベーロは焼きたて餃子をむしゃむしゃ食べながら、まるで昨日の天気でも話すかのように淡々と説明した。
「それだって、ずっと説教して最後に『お前、他に隠し事はないだろうな?』
なんて偉そうに聞いてくるからさ」
ロゼリーは必死に笑いを堪えている。
「だから取ってやったんだよ」
リベーロは箸を置き、思い出したように
右手で掴んで持ち上げるジェスチャーを加えた。
「『隠し事をしてるのはそっちだろ!』って」
「ふ、ふふっ……!」
ロゼリーの肩が震える。
次の瞬間。
「あはははッ!!」
ついに耐えきれなくなり、ロゼリーはテーブルへ突っ伏した。
「あなたって人は……っ! 本当に救いようのない問題児ね……っ!」
笑いながら苦しそうに顔を上げる。
「普通、説教中に教師のウイッグを剥ぎ取りにいかないでしょう……ッ!!」
「何もないのにしつこく言ってくるからだよ。隠してるのはどっちなのか明確にしてやった。うひゃひゃひゃひゃ」
「そこを正論みたいに言わないで……っ!」
ロゼリーは再び口元を押さえた。
その姿を見ながら、リベーロは首を傾げる。
「しかし、そんなにロゼリーが笑うと思わなかったよ」
「あなたの発想と行動力が理解できないのよ……!」
笑い疲れたロゼリーは、ようやく深呼吸をして姿勢を整えた。
ウェイターが静かに新しい料理を運んでくる。
冷製メロンのスープを一口飲み、気持ちを落ち着かせるように息を吐いた。
「ふぅ、一旦落ち着かないとね」
そして再び、鋭い青い瞳をリベーロへ向ける。
「こんな問題児とエジプトへ行くなんて、考えただけで頭が痛くなるわね」
「それはまだどうなるか分からないよ、ロゼリー、断言は早いよ」
「いいえ、不安要素だらけよ」
即答だった。
「空港で余計なことを言う。入国審査でふざける。遺跡で勝手に触る。砂漠で迷子になる。……もう未来が簡単に想像できるもの」
「俺そんなことしないよ、多分」
「怒られたその場で、教師のウイッグを剥ぎ取った人の台詞とは思えないわね」
「それは、報復っていうか。なんというか」
「全部同じよ。例え思ったとしても普通は行動に出ないわ。」
ロゼリーは呆れたように微笑んだ。
「……いい? リベーロ。笑い話で済んでいるうちに、絶対に叩き込んでおかなければならない現実があるの」
冷製メロンのスープを完全に飲み干すと、ロゼリーはスプーンを静かに置き、それまでの笑顔を完全に消し去り、重要な事を語り始めた。
「現実?まだ何か問題あるのかよ」
リベーロは、最後の餃子を口に押し込みながら首を傾げた。
「そうよ。私たちの目的地であるエジプトの遺跡や神殿等の警備体制についてよ」
ロゼリーはテーブルの上で指を軽く交差し、リベーロの顔をじっと見つめた。
「こっちの感覚で『ちょっと立ち入り禁止のロープを潜り抜けて立ち入ってみよう』なんていう甘い考えは、一秒で命取りになるわ。
エジプトの主要な遺跡や神殿……カルナック神殿や王家の谷、アブ・シンベル
といった場所には、常に『観光警察』はもちろん、
自動小銃で武装した軍や治安部隊が配置されているの」
「なんでそんなのいるんだよ。観光地なのに」
「観光地だからこそよ。国家遺産の保護と治安維持のために、国を挙げた厳戒態勢が敷かれているの。もしも観光客が立ち入り禁止区域に忍び込んだり、夜間にコソコソと怪しい動きをしていたらどうなるか、想像できる?」
ロゼリーは身を乗り出し、低く静かな声で言い放った。
「即座に拘束されるわ。言い訳なんて聞いてもらえない。テロリストや密輸組織の疑いをかけられれば、現場の観光警察どころか、エジプト政府や軍が直接介入して身柄を抑え込まれる。
最悪の場合、取り調べすらまともに行われず、そのまま軍の施設へ収監されるか
二度と入国できない形で国外追放よ」
「ほんとかよ。やりすぎだろ」
リベーロの箸がピタリと止まった。
「事実なの。武器の所持、未所持に関わらず。立ち入り禁止区域内に侵入し不審行動とみなされれば、その瞬間に何本もの銃口を向けられることになるわ」
ロゼリーは厳格な眼差しで、言葉を一つひとつ噛みしめるように続けた。
「私たちは、神聖なベンベン石の欠片を正しく返却しに行くの。
そのためには、どうしても通常の観光ルートからは外れた場所……つまり、本来なら立ち入り禁止区域や制限区域へアプローチしなければならない可能性が高いわ。
だからこそ、不用意な行動は絶対に許されないの」
リベーロは真剣な眼差しで話を聞いた。
「調べられるチャンス自体少ないって事か。例えばここの遺跡、立入禁止区域まで行ったけどないや、じゃ次の遺跡って出来るわけないよな。複数の遺跡を荒らす手配犯になるだけだ。そりゃそうだな」
「理解できたなら結構よ。現地では私の指示に絶対従うこと。少しでも不審な挙動を見せたら、私があなたを力ずくで叩きのめしてでも止めるわ。
軍の監獄にぶち込まれて破滅するよりは、私に殴られるほうがまだマシでしょう?」
ロゼリーは冷ややかに言い捨てると、ナプキンで優雅に口元を拭った。
返却場所探しの裏に潜むリスクを的確に叩き込まれ、リベーロは一歩間違えれば国家レベルの警察・軍組織を敵に回しかねない過酷なミッションなのだと理解した。
この作戦会議で決定したのは他に、1ヶ月後から始まる夏休みに4泊5日の期間で
石の返却を決行する事が決まった。
ロゼリーはかなり場所を絞っていて、最短ルートでの移動や捜索時間から4泊5日にしたという説明を受けた。
その後、いつの間にかまた他愛のない会話で埋め尽くされていた。
リベーロは、沢山笑うロゼリーの意外な姿を見て、本人には言えないが、わりと普通の女の人なんだと思った。
一方でロゼリーは自分でも驚く程、こんなに笑えて話せる事が不思議で新鮮な気持ちだった。
そして——。
「申し訳ありません、お客様。本日はまもなく閉店のお時間となります」
ウェイターの丁寧な声に、二人は同時に時計を見る。
「え?…ああ!」
ロゼリーが目を丸くした。
「もうこんな時間だわ」
窓の外はすっかり夜だった。
「まずいね」
リベーロは椅子から立ち上がる。
「そうか門限あるよね」
ロゼリーは少しだけ黙った。
「もちろん、あるわ」
その声は、どこか自分でも信じられないようだった。
「急ぐわよ」
「はいはい」
二人は店を後にした。
もちろん帰りも別々。
レストランの前で再度1か月後までに行う事を確認して別れ
それぞれ自宅へ向かった。
―ヴェスティ家。
夜の静かな邸宅。
玄関の扉がゆっくりと開く。
「ただいま帰りました」
ロゼリーが玄関ホールからリビングへ入ると、室内にはまだ灯りがついていた。
ソファに座っていた母が、静かに娘を見る。
「おかえりなさい、ロゼリー」
「お母様、ただいま戻りました」
「珍しいわね」
母は優しく微笑んだ。
「夕食も家で取らず門限まで過ぎるなんて。学校は時間通り終わったのでしょう?」
ロゼリーは一瞬だけ視線を逸らす。
「少し話し込んでいただけです」
「話し込む?」
母は首を傾げた。
「あなたが?」
その一言に、ロゼリーは小さく息を呑んだ。
確かに自分でも不思議だった。
気づけば何時間も話していた。
しかも相手は——。
「まさか」
母が口元に微笑みを浮かべる。
「ボーイフレンドでも出来たの?」
「いません」
即答だった。
あまりにも早い返事に、母は少し驚く。
「本当ね?」
「本当です」
ロゼリーはいつもの凛とした表情へ戻った。
「そのような相手はいませんし、今後も必要ありません」
「ふふ。そう」
母は優しく笑った。
「でも、楽しそうな顔をしているわよ」
「……え?」
ロゼリーは思わず自分の頬へ触れた。
母はそれ以上何も言わず、ただ穏やかに立ち上がる。
「お風呂も沸いているわ。今日はゆっくり休みなさい。それとロゼリー。
あなたの家はここよ。毎日我が家で暖かい愛に包まれて暮らすの。約束してね」
「……はい」
ロゼリーは階段へ向かう。
その背中を見送りながら、母は小さく微笑んでいた。
一方、その人間たちのやり取りのすべてを
神々の領域から書記神トトは静かに見つめていた。
黄金の月明かりが差し込む神殿。
広げられた一枚のパピルスへ、トトは葦の筆を静かに走らせる。
ベンベン石の欠片が戻される予定の日時。
リベーロ・エキタス。
ロゼリー・ヴェスティ。
二人が歩み始めたエジプトへの道程。
一文字も漏らすことなく。
厳格なヒエログリフとなって、神聖な帳簿へ刻まれていく——。
こうしてベンベン石の欠片返却は予定として
2人は気づかぬまま書記神トトに正しく受理され
大いなる後押しを得ていた。




