打つ手なし
警察車両は、元のサッカラ遺跡へ走って行く。
その後部座席で、リベーロは隣に座るロゼリーに向かって頭を下げた。
ロゼリーは腕を組み、窓の外に視線を向けたまま答えなかった。
車内には、運転席の警察官たちが交わすアラビア語の会話が聞こえていた。
彼女はゆっくりと顔を向けた。その瞳に怒りの色はなく、深く思考を巡らせている様子だった。
「怒るつもりはないわ。私も中へ入ったのだから……」
静かな声に、リベーロは恐る恐る顔を上げた。
「でも、俺のせいだよ」
「それより……私たち二人がこうして無事にサッカラへ戻れるのは、お母様が即座に罰金と保釈金を支払ってくださったおかげよ。見ず知らずのあなたの分まで含めてね」
スマートフォンを静かに握りしめた。
「あんなにも私の渡航に反対していたお母様が、助けてくれた……。だから到着したら、何よりもまずお母様へ電話をかけ、心からの感謝を伝えたいの」
「反対を押し切ってエジプトへ来て、2人だけで達成出来ると思っていたけれど。そうではなかった。
こうして助けられないとダメなのよ、私はまだ未熟なんだと痛感したわ。それも謝りたい」
真摯な想いを口にするロゼリーの横顔に、リベーロは頷きながら言葉を続けた。
「原因は俺なんだよ。それに保釈金まで…ロゼリーの家に謝罪は先にさせて欲しい」
「リベーロ、それは……」
「いや、そうでしょ。なんの義理もない俺まで、ロゼリーのお母さんが助けてくれた」
リベーロは顔を上げ、ロゼリーの目を見た。
「ちゃんと謝りたいんだ。今回のことも、助けてもらったことも」
ロゼリーはすぐには答えなかった。
窓の外へ視線を戻し、しばらく考え込んでから、静かに口を開いた。
「わかったわ。お母様に、あなたからも話してちょうだい」
「ありがとう」
「でも、その前に私から電話をかけるわ。突然あなたが謝罪したら、お母様も驚くでしょうから」
警察車両はサッカラ遺跡に到着し、2人は降りると
ロゼリーはスマートフォンを取り出し、母親の連絡先を開いた。
しかし、発信ボタンに触れようとした指が止まった。
「警察沙汰にまでなって、きっと混乱しているわ」
「俺も警察沙汰は初めてだよ。学校での問題ならしょっちゅうだけどね。」
やがて、ロゼリーは発信ボタンを押した。
『ロゼリー!無事なの?』
電話がつながった瞬間、ロゼリーの表情がわずかに変わり落ち着いた声で話し始めた。
「お母様。2人とも無事に警察車両を出た所です。どうしてもリベーロが話したいとの事です、代わってもよろしいでしょうか」
「待ちなさい。あなたの声を聞いて一先ず安心したわ。ロゼリーが単独で侵入するなんて考えられないもの、警察から知らせが来た時、直ぐに何か事情がある事は分かったわ。リベーロという同級生は真面目に行動し、足並みを合わせてくれているのでしょう?母はいつだってあなたを愛している事を忘れないで。そして、どうか無事に帰ってきて」
「お母様……私は何も迷惑をかけず目的を果たせると思っておりました。でも、今回のことで、自分がまだ未熟だと思い知らされました。それなのに、お母様は私を責めるどころか、リベーロのことまで信じてくださって……。お母様は、ずっと私のことを考えてくださっていたのですね。
心配をかけて、ごめんなさい。そして、助けてくださって、本当にありがとうございます。
必ず無事に帰ります。帰ったら、直接お礼を言わせてください。リベーロへ代わります」
「リベーロ・エキタスと申します。お母様、大変申し訳ありませんでした!今回の事は全部自分が考えてやったことです」
「あなたが、リベーロさんね。ロゼリーから聞いてるわ。とても真面目に足並みを揃えてくれていると、その言葉を嘘にしないで頂戴。私は期待はしていない、でもこうして電話をかけてきたのは評価したわ。予定ではあと2泊と聞いています、安全を最優先する事を約束して」
「もちろんです。速やかに終わらせて、そちらに帰った時もう一度謝らせて下さい。本当に申し訳ございませんでした」
『言葉はいい。ロゼリーがあなたを信頼して行動を共にしているなら、私もその判断を尊重する。ただし、私は言葉を信用をしません。ロゼリーを守って見せなさい。それがあなたが見せれる謝罪よ』
「はい。必ず守ります」
『では、ロゼリーを』
リベーロは静かにスマートフォンをロゼリーへ戻した。
「お母様……」
『ええ。もう十分よ。これ以上の時間は取らせないわ。二人とも、無理はしないで。そして、ロゼリー。あなたが無事でいてくれることが、何より大切なの。分かっているわね』
「はい。お母様。本当に……ありがとうございました」
通話が切れた後も、ロゼリーはしばらくスマートフォンを握ったまま動かなかった。
窓の外に広がるサッカラの乾いた大地を見つめながら、彼女は小さく息を吐いた。
「お母様は、ずっと私を信じていてくれたのね」
「ここはもう諦めて、一度ホテルへ戻ろう」
2人はオシリスホテルに戻り、話し合いをした。
「一体どうして、立入禁止区域に入ったの?」
「地下水の方に惹かれたんだよ、なにか地下水で思い当たる遺構はない?実は、夢で見たんだ。地下水を貰うって」
「確かに、リベーロあの時、私が止めても何かに誘われるように入っていったわ。また夢の話?アザーンでVTuberが地下水を貰うって言ったの?」
「うん、言いたい事はわかってるよ。有り得ないんでしょ?アザーンは男性だけと決められてるから。でも夢ではそうだったんだよ、そんな話をしてたからだと思うけど。」
「リベーロの見たその夢にヒントあるのかしら?それにすがるのは、知的と言えない。それに地下水を貰うってだけでは、私の知識でもわからないわ。有難くいただける貴重な水を貰う、それは誰か。多くの人がそうだから。推理は難しいわ。
一応、この辺りでサッカラ遺跡を上回るほどの、地下水に関わる場所あげるなら…」
「メンフィス周辺はサッカラから車で15〜20分程度。地下水位の影響を受けやすい低地に位置するわ」
「ダハシュール、赤いピラミッドが有名で、ここはサッカラの南に隣接。比較的近いけど
地下水との強い構造的結びつきは弱いわ」
「ギザ台地の一部、特にスフィンクス周辺や谷の神殿も候補には一応なるけど。
現代で地下水上昇が深刻な問題となっていて、古代から意図的に水を取り入れた構造ではないわ」
「それじゃ、明日メンフィス周辺に行ってみようか」
「それでも、サッカラ遺跡に比べると。地下水との関わりは弱いと言う事を覚えておいて。それと
私たちは既に、一度拘束されたばかりよ。もう禁止区域は避けることになる」
「そうだね…それでも前に進むしかないんだ。ロゼリー、ほらベンベン石の欠片を見て」
リュックからベンベン石の欠片を取り出し、2人でその表面を見つめた。
その欠片は、じっと沈黙したままだった。
「ほらね。破棄されていない。つまり、まだ創世の途中なんだよ。破滅なら、この世は終わってしまうんでしょ? でも、世界はまだ続いている。だから、今創世に向かって進めているんだよ」
「リベーロの言う通りかもしれないわ。まずはシャワーを浴びましょう。戻ってすぐに話し合いを始めたから、後回しにしていたの。予定も決まったことだし、私はシャワーを浴びてくるわ」
「そうだね、行ってきな。『俺は鍵を開けるな!』って言われる前に、テラスで外の景色を見てくるよ」
ロゼリーは、淡々と支度を済ませシャワー室へと入っていった。
屋上テラスに出たリベーロの目に、眩しい日差しに照らされたナイル川と
川に停泊している漁船が映った。
「船が止まってる…あれって、夜になると動く船なのかな?あとでロゼリーに聞いてみよう」
リベーロが部屋に戻ると、シャワーを済ませたロゼリーが髪を乾かしていた。
「この時期は昼が長いからテラスでも、大変な暑さだったでしょ?」
「ほんと暑かったよ。俺もシャワーを浴びてくるね」
シャワーを出て、明日のメンフィス周辺に向けた準備をし。この日の夕食にテラスへ向かった。
19時を回り、夕食が始まると全粒粉パンでフムス掬いながら、リベーロは尋ねた。
「あそこに見える船ってさ、これから動く船なの?」
「ええ、夜間に活動する漁船よ。特にナイル川の大型のナマズや底生魚を狙う漁師たちは、日中の暑さを避けて夜間や明け方に網や仕掛けを打つの。夕暮れから深夜にかけて船を出すことが一般的ね」
「あれを、止めたら相当迷惑だよね」
「なんでそんな事するのよ。漁師を困らせてどうしようっていうの?」
20時頃のアザーンが響く。
そして、ナイル川の船がナマズ漁を始めていく。
「そうだよなぁ。止める方法だってない。声で言った所で無視されるだけ…明日のメンフィス周辺に賭けるしかない」
空は闇夜へ変わる中、ロゼリーが答えようとした時。
隣の椅子に置いていた、リュックの中でベンベン石の欠片が光っていた。
「ロゼリー!待って…何だろう??」
リベーロは誰もいない事を確認しながら、リュックの中からベンベン石の欠片を出すと
光が遥か遠くを指して消えた。
ゆっくりと冷静にロゼリーは話した。
「リベーロ、あの方角は南よ」
「南…って事はダハシュール?でも構造的に地下水との関係は薄いって言ってなかった?」
「ええ、でもそれはサッカラ遺跡から見て南よ。今の位置から南側の地下水と関わる遺跡は1つしかない…」
冷静なロゼリーが、顔をこわばらせ初めて動揺の色を見せた。
「アビドス遺跡群…オシレイオンよ。ここから450km以上先、滞在時間は残り2日。明日早朝に出てギリギリね」




