ディバイン・ディテンション(神の拘束)
「べんべん? なんだよそれ、誰かのあだ名?」
ふざけて口を挟む彼に対し、ロゼリーの青い瞳が温度を失った。
「くだらない軽口で教養のなさを誤魔化さないで。……ベンベン石とは、古代エジプト神話において、創世の神アトゥムが最初に降り立ったとされる原初の丘——
その頂点に置かれていたピラミッド型の聖なる石のことよ」
「ロゼリー、ピラミッドってお墓じゃないのか?」
「軽口の精度まで底辺ね。……ピラミッドが単なる『お墓』だなんて、典型的な浅薄な俗説だわ」
呆れを通り越し、完全に冷め切った視線でリベーロを見下ろす。
「ピラミッドは王の墓であると同時に、王が神として昇天し、復活するための壮大な『装置』。そしてその最頂部に置かれる四角錐の笠石——ピラミッドテキストに刻まれた言葉を借りるなら『ピラミディオン』こそが、ベンベン石を模したものとされているの」
リベーロが持つ黒い石へと視線を落とし、言葉を継ぐ。
「原初の混沌から現れたその石は、世界の始まりと絶対の神性を象徴する存在。
……理解できたかしら? あなたが今、その粗雑な手で弄んでいるものが、どれほど恐ろしい歴史と意味を秘めているのか」
「なんとなくすごい感じはするよ。でも原初って事は世界の始まりって事だろ?
それがべんべん石って。ぺんぺん草みたいで、すごそうに聞こえないんだよ。
それなら元祖!太陽石って言われた方が、おお!なんかすげえって思うよ」
「……つくづく、あなたのその無知と不遜さには底がないのね」
青い瞳の奥に静かな怒りを宿し、冷酷な吐息を漏らす。
「神聖なる創世の象徴を、そんな矮小で下品な雑草と同列に扱うなんて……。
しかし本来ならカイロの博物館の最奥、あるいは古代遺跡の極秘区域に封印されているべき『禁忌の遺物』それがなぜ、あなたのような無知な人間の手にあるのか…」
「そうか俺、神に選ばれし人間って事?」
彼は少し照れながら、まんざらでもない顔で話し始めた。
「えーあれかなぁ。この前Youtubeのライブ配信でさ、それが新しく配信始めたって可愛い子でさ。俺、登録して応援してあげたんだよ。やっぱ神は見てたっていうか。うん。そうかそうか」
彼は終始照れくさそうに話した。
ロゼリーの理性は、即座に「無視して立ち去るべきだ」と結論を出していた。
が!
「……ハッ」
あまりの呆れと不条理さに、ロゼリーの口から極小の乾いた笑いが漏れる。青い瞳は完全に氷点下まで凍りつき、射殺さんばかりの鋭さでリベーロを見下ろした。
「神に選ばれし人間……? YouTubeのライブ配信……? 脳の構造を疑うレベルの
都合の良い解釈ね。頭の中に本当におめでたい花畑でも咲いているのかしら?」
軽蔑を包み隠そうともせず、一歩、リベーロへと冷ややかに歩み寄る。
「いい? 勘違いしないで。神がリベーロ、あなたを見ているとすれば、それは祝福のためではなく、己の領域を汚した不遜な害虫をいつでも潰せるよう、その『眼』を向けられているだけに過ぎないわ」
見下ろす瞳の奥に、絶対的な冷酷さと怒りを燃やしながら、静かに宣告する。
「配信者に登録した程度の善行で神の恩寵が得られると本気で思っているなら、今すぐそのおめでたい頭を叩き割って冷やしなさい。
……リベーロのその救いようのない浅はかさは、もはや見ていて怒りを通り越して哀れだわ」
「哀れで結構だ。こっちだってロゼリーに好かれたいと思った事はねーよ。
何がベンベン石だよ、正直に言おう!全く興味ない」
彼が宣言した、正にその瞬間だった。
——ズウン、と。
食堂全体の空気が、一瞬で超高圧の重力に押し潰されたような錯覚に襲われた。
「な……ッ!?」
リベーロは声が出ない。地面に触れ伏せた様な状態のまま指一本動かない。
全身の関節が透明なチェーンで固められたかのように
まるで金縛りのような状態に陥った。
それだけではない。
皮膚の表面を、バチバチと目に見えない電流が走り抜ける。
「うあぁっ……!? な、なんだこれ……!!痛い、痛いって!!」
全身が焼け付くような、猛烈な電気的苦痛が体中を直接叩く。
視界が真っ赤に染まっていく。
『……我が名は……アトゥム。欠片を持つ者よ……汝に告げる。』
頭の中に直接、地鳴りのような威厳に満ちた絶対者の声が響き渡った。
『……悔い改めよ。……そして、正しき道を選べ。』
彼は世界そのものが発しているかのような、圧倒的な威圧感を感じた。
冷や汗が滝のように噴き出し、視覚が明滅する中で、俺は死に物狂いでロゼリーの方を見た。
「痛てて!・・助けて!!謝るよ、だから。早くロゼリー助けて!」
「『アトゥム』創造神の名を、神の警告を、その身に受けて……。」
ロゼリーは、その異様な光景を前にしても微動だにしていなかった。
金縛りのような苦痛に身悶えする彼を見下ろし、冷淡そのものの声で吐き捨てる。
「自業自得、という言葉すら生ぬるいわ。神の怒りに触れてなお、助けを求める
その生存本能だけは認めましょう。けれど……。」
「まずは、その汚らわしい言葉を飲み込み、己の愚かさを真に悔い改めなさい。
さもなければ、次に天罰が下るのは、リベーロの命そのものになるわよ」
助けてくれる様子など微塵もない。徹底的な冷酷さ。
その時、再びロゼリーの頭の中に神の声が響いた。
「……ロゼリー、後は汝が決めなさい……あなたが許すなら
このディバイン・ディテンション(神の拘束)を解く」
(……私に、決断を委ねるというの……?)
「……偉大なる創世の神、アトゥム様。無知なる愚者の不遜を即座に正し、厳粛なる裁きを下してくださったこと……深き敬意と共に、心より感謝申し上げます」
「……分かりました。そのお言葉、謹んでお受けいたします」
ロゼリーは、神への返答として、凛とした声で告げた。
そして、視線をリベーロへと戻すと
冷徹な、しかしどこか慈悲を含んだ響きで言い放った。
「…リベーロ。あなたのその愚かさも、浅はかさもすべて含めて…
私が『許容』してあげるわ。だから、その無様な姿を今すぐ直しなさい。
神の慈悲を、無駄にするような真似は許さないわよ。」
リベーロは金縛りのような不思議な電流から解かれたが
すぐには立ち上がる事は出来ず、その場に寝たままだった。
「はぁ・・・はぁ・・なんだったんだ・・あとあの声、ロゼリーも聞こえただろ?
アトゥムって誰?」
ロゼリーは床に倒れ伏すリベーロを、腕を組みながら冷酷そのものの眼差しで
見下ろしたまま答えた。
「言葉通りの意味よ。アトゥム様はすべての始まりたる創世神であり……
世界の終わりにすべてを無に還し、原初の蛇へと戻る破滅の神でもあるわ」
「創世神!?じゃ、最後に言ってた【正しき道を選べ】ってどういう意味なんだ?」
ロゼリーは静かに一歩を踏み出し、氷のように冷たい青い瞳で凝視したまま答えた。
「神が今石を持つあなたに突きつけた『正しき道』とは
……改心や反省といった生ぬるい話ではないの。その石を正しき場所へ戻し
『世界を創造(再生)するのか』、それとも破棄し『すべてを破滅へ導くのか』
……その究極の二者択一を、己の手で選べということよ」
ロゼリーは息をのむリベーロに対し、微動だにせず冷徹に宣告した。
「誰かに無理やり押し付けられたのだとしても、今やその世界の命運を握る欠片は、リベーロの手にあるわ。逃げることも許されず、創世か破滅かの
選択を迫られている……それが、あなたの置かれた真の現実よ」
「……理解できたかしら、リベーロ・エキタス。」
ロゼリーが冷ややかな瞳で、倒れ込むリベーロを見下ろしている。
彼は震える手でポケットの中の「ベンベン石」を握りしめた。
実は既に起き上がれるぐらい回復していた、そして意を決して直ぐに立ち上がると
走り出して、ロゼリーと距離を離して振り返った。
「俺はリベーロ・エキタス!ボディラインに興味あり!」
満面の笑みで、そう大声をあげると慌てて逃げた。
その去り際に彼は心の中で呟いた。
「……わかったよ、元の場所に戻せばいいんだろ。エジプトだ」
大声でふざけた決め台詞を吐き捨てて逃げ去っていくリベーロの背中を
ロゼリーは呆然と見送った。一瞬、完璧な彼女の思考が完全にフリーズした
「……は?」
静まり返る食堂に、ロゼリーのポカンとした呟きだけが虚しく響く。そして数秒後
言葉の意味を脳が理解した瞬間、真っ白だった頬が一気に朱に染まった。
「!? な、何言ってるのよ、あのバカはーっ!身の程を知りなさいっ!!」
ロゼリーは全身から怒気と恥ずかしさの混ざった凄まじいオーラを噴出させ
去っていった足音に向けて叫ぶ。普段の冷徹で完璧な令嬢の面影はどこにもなかった
「ボ、ボディライン……!? 命の保障も危ういこの状況で、どこを見て……ッ!
ああもう、本当に救いようのない愚か者ね……っ!」
沸騰しそうなほど赤くなった顔を慌てて両手で覆い、ハッと我に返って周囲を警戒するように見回す。そして、小さく、しかし激しい憤りを込めて足踏みをした。
「許さないわ。絶対に……! その腐った性根を骨の髄から叩き直してやるわッ!」
太陽神アトゥムはこの日から、黙って2人を見ていた。
その事に2人は気づいていなかった。




