いつも通りの朝だった。
はじめまして。
「創世の欠片は禁忌の石」をお読みいただき、ありがとうございます。
現代の北米を舞台に、平凡な一人の少年、そして一人の秀才少女が
欠片を返却する物語です。
それでは、第1話「いつも通りの朝だった」をどうぞ。
安いスマホのスヌーズが同じアラームを10回はうるさく鳴り響いて
俺——リベーロ・エキタスは目を覚ました。
ボロアパートの薄い布団を蹴飛ばし、きしむパイプベッドから起き上がる。
ボロ部屋の壁に掛けられたカレンダーは、蒸し暑い夏の始まりを告げていた。
朝食と呼ぶのもはばかられるような、固く冷めたパンを牛乳で胃袋に流し込み
ヨレかけた制服に袖を通す。
「やべっ、もうこんな時間かよ!ちゃんと起こせよスマホ!」
使い古した腕時計の針を見つめ、俺は慌てて鞄を引っつかむと
埃っぽい部屋を飛び出した。
初夏の太陽が容赦なくアスファルトを焼いて照りつける通学路を
俺は全力でダッシュしていた。
遅刻の二文字が頭をよぎる。いくら勉強が苦手でバカと言われようが
遅刻すればまた担任の説教時間が始まる。あれはごめんだ。
息を切らしながら駅の改札を抜け、ホームへの階段を駆け上がる。
その時だった。
「——!انتظر! أرجوك، خذ هذا معك!」
アラビア語(おい待て!頼む、これを持って行ってくれ!)
「え? うわ、なになに!?なんて言ったの?落とし物なら、これは俺のじゃないよ」聞いた事のない言葉に両手のひらを振ってジェスチャーした。
階段の踊り場で、突進してきた外国人の男と正面衝突しかけた。
一瞬だったが男の身なりは異常だった。
汗くさい作業着を着崩し、顔は青ざめ、目の下に濃い隈を作って
呼吸を荒らげている。何かの怯えの様な物がその瞳に宿っていた。
男は俺の胸元にしがみつくように寄ると
俺の右手の中に強引に「何か」を押し付けてきた。
冷たく、異常なほど重い感触が手のひらに伝わる。
「ちょっと待って! なんだよこれ!」
「!لا تُفْلِتْهُ! أَوْصَيْتُكَ…! 」
(手放すな! 頼んだぞ……!)
叫ぶ俺を置き去りにして、男は人波をかき分けるようにして階段を駆け下りていってしまった。
嵐のような出来事に呆然と立ち尽くしながら、俺は手のひらを開いた。
そこに握らされていたのは、変な模様や浮き彫りが刻まれた
掌に収まるほどの黒ずんだ欠けた石ころだった。
ただの石にしては妙に角ばっており、ズシリと手首に負担がかかるほど重い。
(なんだろう……模様がカッコイイな……あ!電車が来た。とりあえず学校だ。
石はそれから調べればいい)
追いかけようにも、今更男の姿はすでに
朝のラッシュの混雑した人波の中に消えていた。
俺は意味の分からない、ちょっとカッコイイ感じの石を制服のポケットへ押し込み、電車に飛び乗って学校へ向かった。
「おいリベーロ! また遅刻ギリギリかよ!」
「まあな! 俺はお前と違ってカワイ子ちゃんにモテモテなんだよ」
教室のドアをバァンと開けると席についていた男子どもが一斉にワッと湧き立った。
「まーたYoutubeとかのライブ配信にハマったんだろ?」
「わかってないな。俺の名前を呼んで、コメントも読んでくれたんだぞ」
「向こうは視聴者さんとしか思ってねーよ」
俺は、席に着くと昨日深夜で観た可愛い子の次のライブ配信の日時を確認していた。
「Vtuberって声は可愛いけど、顔とかわかんないよ?」
「お前深夜2:00まで全部観たのかよ?逆にすげえよ」
「萌えるってだけじゃない。話しをちゃんと聞いてみると、面白いんだよ。
雑談とか、わりと」
思い出しながら言い返す俺。俺は昔から成績はどん底
言動もバカで下品そのものだが、男同士のノリにかけては
誰とでも分け隔てなく付き合える。
気取ったところが一切なく、誰にでも平等にバカをやれるのが俺の数少ない取り柄だだから男子からの人気だけは無駄に高かった。
だが、当然ながら女子からの評判は最悪だ。
「……本当、朝から教室で確認する事なの?」
「女子をどんな眼で見てるの……? 相変わらず下品」
教室の隅で身を寄せ合っている女子グループから
刺すような視線とヒソヒソ声が飛んでくる。
まるでゴミ箱のウジ虫でも見るかのような冷血な目つきだ。
しかし、俺にとってはそれも日常茶飯事だった。
「へいへい、安心したまえ。あなた達に興味はございません。
ボディラインに興味がある!うひゃひゃひゃひゃ」
俺はいつも通りクラスの女子をからかいながら
スマホを鞄の奥底へ押し込み、自分の席に着いた。
一時間目の授業へ向かうため、教室の廊下を歩いていたときのことだ。
ガヤガヤと騒がしかった廊下の喧騒が
ある一瞬を境にピリッと冷たく引き締まった。
雑多に歩いていた生徒たちが、まるで示し合わせたかのように
自発的に左右へと避けていく。人の波が割れたその中央を
静かに歩いてくる一人の女子生徒がいた。
ロゼリー・ヴェスティ。
我が校の生徒会長であり、誰もが知る名門ヴェスティ家の令嬢。
腰まで届く美しいキャラメルブラウンの髪を揺らし、鋭い青い瞳は前方の空間だけを冷ややかに見据えている。隙のない制服の着こなし、ピンと伸びた背筋
そして全身から立ち上る凛とした知性と威厳。
彼女が歩くところだけ、まるで別の空間であるかのように静寂が広がっていく。
女子生徒たちは、彼女の近寄りがたい雰囲気に誰もが見送り
男子生徒たちは息をのんで道を開ける。
彼女の周囲には友人と呼べる存在が一人もいない。彼女は誰とも目を合わせず
誰とも言葉を交わさないのだ。
テレビの流行、SNSの話題、ネットのライブ配信
友達同士のくだらないおしゃべり——そういった俗世のすべてを
「得る物のない無価値なもの」と切り捨てているかのような冷徹さが
彼女の完璧な側顔には漂っていた。
噂によれば、彼女が笑う姿を見た者は誰もいないという。
彼女にとって笑う瞬間が存在するとすれば、それは
「勉強もせずに遊んでいて自業自得で酷い成績を取った愚か者を目撃した時」
くらいなものだ、とまで言われていた。
すれ違いざま、彼女が纏う高級な香水の気品ある香りが
ふわっと俺の鼻腔をかすめた。
(これが気品ってヤツか。俺は嗅いで妄想するしか・・)
俺は廊下の端に寄り、へらへらと笑いながらその背中を見送った。
声をかけるなんて滅相もない。住む世界が違いすぎるのだ。
バカで下品で貧しい俺と、名門ヴェスティ家の完璧な令嬢ロゼリー。
本来ならば、この三年間で一度だって言葉を交わすことなく
卒業していくはずの二人だった。
——制服のポケット内で
あのカッコイイ感じの黒い石がズシリと重みを主張していなければ。
「……たく、説教ならもっと短い時間で済ませてくれよな」
昼休みのピークも過ぎ、すっかり静まり返った学園の食堂。
朝礼の遅刻と授業中の素行の悪さでたっぷりと職員室で絞られたリベーロは
重い足取りで食堂の重い扉を押した。
普段なら無数の生徒たちの喧騒と熱気に満ちている広い空間には、もう誰もいない。差し込む昼の光だけが、誰もいないテーブルを無機質に照らしていた。
いや、誰もいないわけではなかった。
広大な食堂の中央、陽の光が一番きれいに落ちる席に
ぽつんと一人の人物が座っていた。
ロゼリー・ヴェスティ。
整えられた制服に身を包み、背筋をピンと伸ばして一人で静かに昼食を摂っていた。
彼女の周囲だけ、まるで時間が止まっているかのように静寂が支配している。
誰も寄り付かせない威厳と張りつめた空気が、広大な食堂に漂っていた。
「……うわ、ロゼリーかよ。なんの話しも合わないぞ。
どう考えてもVtuberとか観てねーよ」
引き返そうかとも思ったが、空腹で限界だ。
いつも通り食堂のおばちゃんにカツカレーを注文して少し離れた席に腰を下ろした。
スマホを見ようとポケットを探ると、朝の駅前で外人から手渡された
あの「欠けた黒い石」が指に触れた。
……そういえば、これ何なんだろうな。
俺はテーブルの上にトン、と石を置いた。
掌サイズの歪な石。表面には、細かな図形のような模様が刻まれている。
スマホを取り出してネットで検索してみても、この石の情報は一切出てこない。
ふと視線を上げると、少し離れた席でロゼリーが一人、静かにまだ昼ご飯食ってた。優雅な昼食タイムだ。
だが、俺にとっては静かな昼飯なんて苦痛だ。よし、話しかけてみるか。
俺はジュースと石を手に持ち、彼女のテーブルへと近寄った。
「……やあ、ロゼリーさん。僕の事は知っているかな?リベーロ・エキタス
世の女性の憧れの的だ」
渾身のギャグを放つが、彼女は心底鬱陶しそうに、冷ややかな瞳を微かに向けた。
そこで俺は構わず、テーブルの端にひょいと黒い石を載せて見せる。
「それじゃこれ、カッコイイ模様入った石なんだけど何だか分かる?
朝、駅前で変な外人に押し付けられたんだよ」
「……」
ロゼリーは一瞬、関わりたくないと言いたげに視線を逸らしかけた。
だが、テーブルの上に置かれた石が視界に入った瞬間
その青い瞳がぴたりと固定された。
「……見せなさい」
ロゼリーはそっと手袋をはめた指先を伸ばし、石に触れることなく
至近距離から観察し始めた。
その瞳の奥で、恐ろしいほどの速度で思考が巡っているのが分かる。
「……この表面の刻印。『ウジャトの目』に王名を囲む『カルトゥーシュの枠』……そして基壇の傾斜角……間違いないわ」
「え? ウジャ……なんだって? これ何の石か分かんの?」
ロゼリーはゆっくりと顔を上げ、冷酷なまでに整った表情で彼に告げた。
「これは『ベンベン石』の欠片よ」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
本作では、古代エジプト神話や実在の地理・文化をできるだけ丁寧に描いています。
「ベンベン石」も実在の伝承に基づく聖遺物です。
現実では、カイロのエジプト考古学博物館(タハリール広場)の一階中央ホールに展示されています。
次話では、ロゼリーが石の正体についてさらに踏み込んだ説明を行います。
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