夜の7時間目に
スタッフから渡されたメニューを広げると、ロゼリーは疲れた目をこすりながら料理を選んだ。
「昨日はタジーンやマハシーだったから、
今日は別のエジプト料理にしましょうか。
リベーロ、ラムや羊の料理は平気?」
「辛いとかなければ、全然いけるよ!」
「では、リベーロは。ラムと牛のひき肉を丸めて炭火で焼いたコフタと、
ジューシーな羊肉のケバブの盛り合わせ。焼きトマトや玉ねぎのグリル、パセリもたっぷり添えてあるわ。それに、エジプトの伝統的なモロヘイヤのスープ、ショルバ・モロヘイヤ。主食はひよこ豆のペースト、フムスを全粒粉パンにつけて食べるといいわ。デザートはナッツとデーツが乗ったプリン、ムハラビーヤを」
「飲み物は冷たい紅茶を下さい」
「私は前菜に『ババガヌーシュ』(焼きナスのペースト)
スープはさっぱりしたレモンと鶏肉のスープにするわ。
メインはエジプトの名物料理『ハマーム・マフシー』(ハトに米を詰めた丸焼き)
副菜に『サラタ・ハドラ』(グリーンサラダ)
飲み物はフレッシュなマンゴージュース
デザートは『バスブーサ』(アーモンドをトッピングしたフィナンシェ)
をお願いするわ」
注文を終えると、まずリベーロの冷たい紅茶とロゼリーの濃厚なマンゴージュース
そして焼きたてのパンと二人の前菜が運ばれてきた。
リベーロは焼き立てのパンをちぎり、フムスをたっぷり掬って口へ運ぶ。
「疲れた体に塩分が染みるー!うまいなぁ」
「ババガヌーシュも香ばしくて美味しいわよ。ナスのスモーキーな風味がパンにぴったりだわ」
続いて二人のスープ、リベーロの深緑色の「ショルバ・モロヘイヤ」と、ロゼリーの澄んだ「レモンと鶏肉のスープ」が届いた。
「モロヘイヤはビタミンが豊富で、疲労回復に一番いいのよ」
「スタミナに肉をガツンと!ってよく広告にあるけど。
実際は回復って野菜だよね」
リベーロは笑いながら話した。
「そうね、イメージがそうなんでしょ。でも、体調を整えるのは、お野菜だわ」
微笑みながら、ロゼリーは爽やかなレモンの酸味が効いたスープを
少しずつ口に運ぶ。
そして、リベーロがシャワー中に組んだスケジュールの要点を伝え始めた。
「明日は6時半には起きて準備しましょう。今日で分かったでしょ?熱中症や日焼け対策は絶対よ。そして、向かうサッカラ遺跡だけど、この場所から南へ約30キロ離れているわ。朝7時半にタクシーでホテルを出発するわよ。
サッカラ考古学地域はギザ台地より広大だから、このタクシーをそのまま1日チャーターして移動しましょう」
「6時半起き、わかったよ。今日よりだいぶ楽だ。何よりチャーター車で行くなら現地での移動が助かるね。ギザ台地で移動が大変だったよ」
「そうね、朝食は遺跡手前のオープンエアレストランがあるから、そこで済ませましょう。現地に着いたら、まずはサッカラにある3つのピラミッド――ジョセル王の段階ピラミッド、ウナス王、テティ王のピラミッドと順番に内部まで回るわ。
どれも、あなたの推理通り。地下に複雑な玄室や巨大な石棺を持っているわ」
「そうだね、まずはその3つのピラミッドを調べよう。結構デカイの?」
「いいえ、どれも今日見たギザ台地のピラミッドより小さいわ。ジョセル王の
段階ピラミッドが一番高いけれど、それでもクフ王の大ピラミッドの半分にも満たないのよ」
会話が弾む中、メイン料理が届いた。リベーロの前には炭火焼きのコフタとケバブの鉄板プレート、ロゼリーの前にはこんがりと黄金色に焼き上げられたハトの丸焼き「ハマーム・マフシー」と新鮮なサラタ・ハドラが運ばれてきた。
「待て待て!ええ!?ハトじゃん!これ食べるってことでしょ?」
「そうよ。エジプトではハト料理は珍しくないわ。お米や香辛料を詰めて焼く、伝統的な料理なの。見た目に驚くかもしれないけれど、味は美味しいわよ」
「まあ、小型の鶏って思えばいけなくもないかな?どう、なに味なの?」
ロゼリーがハトを食べる姿を珍しそうに見ながら、コフタを食べた。
「香ばしくて、思ったより優しい味よ。スパイスが効いているけれど
くどくはないわ」
「優しいってことは臭みとかないんだ。明日の夕食、頼んでみよう」
「あなた……人を毒見のようにしないでよ。ひどいわね」
ハト料理に2人で笑いながら食事を続けた。
「コホン。話を戻すわ。その3つのピラミッドを調査したら、セラペウムに向かう予定よ。あそこは完全な地下の岩盤トンネルになっていて、重さ最大60トンから80トンもある黒色玄武岩や花崗岩の巨大な石棺が24個も並んでいる場所よ。『反応の条件が地下』なら、どこかに手がかりや反応があるかもしれないわ」
リベーロはちぎったパンの空洞部分にラムと牛肉のコフタ、香ばしい焼きタマネギとパセリを挟み、大口でかぶりついた。ロゼリーはナイフとフォークでハト肉を丁寧に切り分け、中に詰まった香ばしいお米とともに口へ運んでいく。
「ジューシーで美味いね! スープも見た目は緑だけど、わりとニンニクが効いててこのパンに合う。うん、ピラミッド3つを巡って、セラペウムの地下トンネルだね。明日が楽しみになってきたよ」
「ハトのお肉もすごく引き締まっていて味わい深いわ。現地で気温が40度を超える午後はなるべく避けたいけど、これはあくまでも予定のスケジュールよ。そこでなにがあるかわからない。だから今夜はしっかり寝ましょう」
食後には、リベーロのムハラビーヤとロゼリーのシロップが染み込んだバスブーサ
そして食後の温かいミントティーが運ばれてきた。
2人は食後のデザートとお茶をじっくりと楽しみ、まだ18時半前。
満足して夕食を終え、ホテルの部屋に戻った。
すぐロゼリーは洗面台で歯を磨いてから、ナイトウェアに着替え、
メモ帳とタブレットを取り出し、机で画面を開き、ダウンロードしてあった
ヘリオポリス神学の文献を読みながら、時折メモ帳に書き写していった。
「すごいね、本当にどこでも読書するんだね。まあ俺のスマホを見るのと一緒か」
ロゼリーは本から一度だけ視線を上げ、静かに微笑んだ。
「今は集中したいの。内容を説明しても、あなたにはわからないでしょうし。
邪魔しないでくれると助かるわ」
そう言って、彼女は再びタブレットに目を戻した。
静まり返った部屋で、リベーロは一人スマートフォンを取り出した。
「ロゼリーは読書だね、さて、どうするかなぁ」
(すーばーぬちゃんが言ってたな。確か……。
【夜の7時間目に、干上がる砂漠に置くのがオススメ】
干上がる砂漠か…。ん?潤った砂漠ってなくね?砂漠は全部砂漠でしょ。
まずは一番近い砂漠から順番に探してみるか)
アラビア語なんて一文字も読めないリベーロが、この街で目的の場所を探すにはGoogle Mapsを頼るしかない。マップアプリを起動し、現在地のオシリスホテルを中心にして画面を拡大した。
最初に目をつけたのは、ナイル川に浮かぶ大きな島――カイロタワーのある
ゲジーラ島だった。ホテルからは800mほどでとても近い場所。
だが、地図を衛星写真モードに切り替えて拡大してみても、画面に映し出されるのは緑豊かな公園やクラブ、整地された街並みばかりだった。
(ダメだ、カイロタワーの島には砂漠はない。次)
マップの画面を東へスライドさせる。ダウンタウンのすぐ近くに、緑色の敷地が表示された。『アブディーン・ガーデン(Abdeen Palace Garden)』と書かれている。
(ここは?いや、画像を見る限り、ただの綺麗な芝生と宮殿の庭園だな。砂なんてどこにもない。それより、ぱっと見でダウンタウンに砂漠の雰囲気がない。)
リベーロは焦りを感じながら、指先で勢いよくマップをズームアウトし、検索範囲をカイロの郊外へと大きく広げた。すると、東側の広い黄色い領域にいくつかピンが引っかかった。
『ワディ・キャンプ(Wadi Camp)』
(お!キャンプ場だ、画像はいい感じに砂漠だぞ。 距離は…っと現在地から
22キロ離れてる!? 無理無理! タクシーでもどんだけかかるんだよ。
ちょっと行って帰ってくる距離じゃない)
22キロという、とてつもない数字に、リベーロは少しだけ無謀さを感じながらも。
諦める事なくチラリと机の方を見ると、ロゼリーは眉間にしわを寄せながら静かに頁をスライドしている。
(もっと近くで、砂漠はないのかな?砂漠で調べるから、観光地を出しちゃうのかも検索の仕方を変えて、砂地にしよう)
画面を再びダウンタウン周辺へと戻し、観光地を無視して一区画ずつ慎重に指で拡大しながら辿っていく。
すると、オシリスホテルから東へ直線距離で2kmちょっと、道のりでも3kmほどの場所に、小高い緑のエリアと、その東側に広がる茶色い土地の境界線が目に入った。
『アル=アズハル・パーク(Al-Azhar Park)』
画像を確認すると、公園自体の緑色のエリアを越えて、その東側外縁部の旧市街の古い城壁や荒地が続く一角に、乾いた土と砂利、そして一面の砂地がハッキリと映し出されていた。そこは、とても綺麗でベンベン石の欠片返却場所に相応しく思えた。
(うん、いい感じに干上がってる。ホテルから4キロも離れてない。これならすぐ行ける)
リベーロの胸が跳ね上がった。
(『干上がる砂漠』なんだから、広大な砂漠も砂地もどっちも同じ意味だ。
要は、山は山だし、川は川。砂漠は全部干からびてるんだから砂地も一緒だよ。
すーばーぬちゃん、やってみるからね)
自分の都合の良いように解釈を折り重ね、リベーロはニヤリと口元を緩めた。
時計を見ると、時刻は18時35分を回ったところだった。今からタクシーを拾って向かえば、ちょうど19時直前に到着する計算だ。
リベーロはスマートフォンをポケットにねじ込むと
ロゼリーに怪しまれない様に、ベンベン石の欠片が入ったリュックを背後に持って
ベッドから静かに立ち上がった。
「ロゼリー、読書の邪魔しないようにちょっと夕焼けを見てくるよ。
まだ寝るには時間も早いからね」
「あなたが景色を楽しみたいなんて言うのは珍しいわね。夕焼けなら、ここのテラスから一望出来るわよ?」
「いや、近くにいい公園見つけたから、そこで夕焼けを見たいんだよ。上からの眺めもいいけど、公園の植物に囲まれた夕焼けもいいもんだよ。タクシーで行くから
『アル=アズハル・パーク東側までお願いします』って言葉教えて」
「そう…。あなたがそんな叙情的なんて、まあいいわ、こう話すの」
「Hadeeqat el-Azhar el-Sharkeya, min fadlak」
(アル=アズハル・パーク東側までお願いします)
「これで通じるわ」
「ありがとう。何かあったら電話する」
「私はまだ文献を読んでるから、気をつけてね」
リベーロは読書するロゼリーを邪魔しないように部屋を出て、ホテルにタクシーを呼んでもらい、乗車すると教えてもらった通りに話した。
「Hadeeqat el-Azhar el-Sharkeya, min fadlak」
(アル=アズハル・パーク東側までお願いします)
タクシーは一路アル=アズハル・パーク東側へと向かう。
目的地に到着し料金を支払い、降りてスマートフォンの時計を確認すると
画面には「18:57」と表示されていた。
「すーばーぬちゃんが言ってた『夜の7時間目』に間に合った」
全てにおいてリベーロは大きな勘違いをしていた。それは知っているはずもない。
エジプト神話における「時間の概念」『アムドゥアト書』などの古代エジプトの冥界思想における時間は、固定時間ではなく「日没(第1時)から日の出まで」の間を等しく12等分した不等時法であり
6月末の夜の7時間目とは、深夜1~2時頃である。
不等時法を誰もが知ってて当たり前だと、あるば・すーばーぬは発言してしまったのだ。現代では特殊に感じる不等時法をなぜ、当たり前だと思ったのか。
あるば・すーばーぬは、ロゼリーの推理通り、スウバーヌ・アルハラーク。
正体は「破滅の大蛇」アペプの化身だ。
破滅の為に、ベンベン石の欠片を破棄に導く事を企て、誰の目にもわからぬよう最初からリベーロの近くにいた。そう新人VTuberとして。そして同級生から忠告も届いていたのだ。
遅刻ギリギリの朝、次回の配信を確認していた時。
「VTuberって声は可愛いけど、顔とかわかんないよ?」
「お前深夜2:00まで全部観たのかよ?逆にすげえよ」
何も気づかないまま、リベーロはリュックから
【ベンベン石の欠片】を取り出した。
公園の砂地の上に、静かに欠片を置く。
「振動とか、なんにも反応ないけど。どうかな」
夜風が吹き抜けるアル=アズハル・パークで、リベーロはひとり、期待に満ちた目を輝かせていた。




