新たな目的地
タクシーでギザ台地の混雑を抜け、ギザ駅の駅前広場へと戻ってきた時には、腕時計の針は16時30分を回っていた。
車外へ一歩踏み出すと、街中に設置されたスピーカーから、割れた重低音とともに午後の祈りを告げるアザーン(アスル)が響き渡った。
哀愁を帯びた長調の旋律が、排気ガスとクラクションが入り乱れる激しい喧騒の上に重なっていく。
「アザーンだ。これさ、なんで男性シンガーなの?女性シンガーの方がいいよね」
ロゼリーは淡々と説明した。
「アザーンは歌ではなく宗教的な呼びかけよ。
こうした礼拝の招集は男性が担う決まりになっているのよ」
歩きながら、リベーロは続けた。
「そうでしょ?宗教的な事だからこそ思うんだよ。例えば、人魚とかセイレーンとか女性の方が神聖な声で歌うイメージあるじゃん?おとぎ話だけどね」
「神聖な声の概念とは別よ。アザーンは娯楽ではなく儀礼なの」
二人は改札を通り、モハメド・ナギーブ駅方面への電車に乗り込んだ。
揺れる車内でリベーロはさらに熱弁した。
「儀礼って、どれぐらい厳しいの?例えばさ、礼拝堂のマイクをちょっと一回VTuberに貸して代打してもらうとか良くない?マイクで話すなんて余裕だよきっと。みなさーん、こんカイロ~。お祈りの時間だよ!みたいなさ」
身振り手振りでリベーロは話した。
「スパチャじゃないからナイスパじゃない、お布施だ。だからナイスお布施~!
この方が可愛いが発生するよ」
ロゼリーは肩を揺らして笑いながら突っ込んだ。
「ちょっとやめてよリベーロ、あははは!ほんとアホね。
宗教儀礼をVTuberに代打させるわけないでしょう」
一緒に笑いながらリベーロは続けた。
「違うよ、何回も礼拝のお知らせをするんでしょ?その内の一回だけ、VTuberが貸して貰うの。これもダメ?」
ロゼリーは、ギザで勇敢だったあなたを一瞬思い出し落差を感じながら教えた。
「あなたね折角頼もしかったのに、急に宗教儀礼をVTuberで代打する案を出さないでよ」
それでもリベーロはさらに言った。
「何回も歌うんだから、その内の一回ぐらいいいじゃん。
たまにハミングでアザーンとかやってもダメなの?」
ロゼリーは笑いながらも容赦なく返した。
「そもそもアザーンは歌じゃないの。ハミングで代用できるものじゃないわ。
あなたの発想、面白いけど出来るわけないのよ」
「宗教儀礼はそんなに厳しいんだね」
ロゼリーは短く答えた。
「厳しいわよ。だからあなたの案が飛び抜けておかしいの」
そんな話をしていると、電車はモハメド・ナギーブ駅へ到着した。
階段を上がって地上へ出ると、ダウンタウン特有の19世紀欧風建築のビル群と、夕刻にかけて活気づく商店街の熱気が二人を迎えた。ロゼリーはすぐさま通り沿いで白地にチェッカー模様の入ったタクシーを拾い、短く行き先を告げた。
「«إِلَى فُنْدُقِ أُوزِيرِيس فِي وَسَطِ الْبَلَدِ، مِنْ فَضْلِكِ.»」
(ダウンタウンのオシリスホテルまでお願いします)
夕方の渋滞に巻き込まれながらも、駅からすぐ近い為。
タクシーは数分で拠点であるオシリスホテルの入る古いビルの前へと
横付けされた。鍵を開けてホテルの部屋に入るなり手に持った荷物を降ろすと
リベーロは一安心して声をあげた。
「あー!疲れた。ロゼリー先にシャワーどうぞ。疲れたでしょ?俺も足パンパンだもん」
リベーロはベッドに倒れ込みそうな体をどうにか支えながら声をかけた。
朝3時にアザーンで起こされて二度寝した直後に起きて以来、ヘリオポリス神殿の公園からギザの猛暑の中をひたすら歩き回った足はもう限界だった。
「ありがとう、お言葉に甘えさせてもらうわね」
ロゼリーも流石に疲労困憊だったのか、いつもの絶対開けるなと忠告することもなく着替えを手に取り、そのままバスルームへと向かった。
シャワー室からお湯の流れる音が聞こえ始めると、リベーロはベッドの端に腰を下ろし、スマートフォンを取り出した。
「前にロゼリーは、あんな風に警戒していたけれど…」
リベーロにとって新人VTuberあるば・すーばーぬは、画面越しにずっと癒やしをもらってきた大好きな配信者だ。ロゼリーと過ごした時間よりも、すーばーぬの配信を見てきた時間の方が圧倒的に長い。
画面の向こうの彼女が自分たちに直接害を及ぼすなんて、その方法がない事から到底考えられなかった。
「結局ロゼリーは、知らないんだよ。把握してない。YouTubeなんて!って見た事ないんだよ。だから妙に警戒ばかりして、偏見だよ。もしかして自分より可愛い存在が許せない!とかあるのかな?」
それに何より、今日のギザの出来事を振り返った。
カフラー王のピラミッドでも、そして最後に巡ったメンカウラー王のピラミッドでも、地下へ降りるにつれて欠片は確かに強く反応した。けれど、メンカウラーの石棺は地中海に沈んでいてそこにはなかった、その事から共通点は棺ではなく地下なのじゃないかと推理した。そして、そのままホテルへ戻ってきた。
「地下には確かに反応があった。ヘリオポリス神殿って地下に何かあるのかな?
あとで聞いてみよう。やっぱり、すーばーぬちゃんが言ってた
【干上がる砂漠に置くのがオススメ】って話、かなり関係ある気がする。
これで返却場所を見つけたらロゼリーはYouTubeへの偏見も消えて、更に俺の手柄になるな」
「素敵!リベーロ、あなたはこの世を救った救世主様よ!VTuberを私も勉強するわ。なんてね」
(ロゼリーの真似をして考えていた)
すーばーぬちゃんの声をもう一度聞きたい。
リベーロはYouTubeアプリを立ち上げ、下部の「登録チャンネル」をタップした。
自分が登録しているチャンネルの一覧が並ぶ。
だが、どれだけ下へスクロールしても、いつもあるはずの【あるば・すーばーぬ】
のアイコンが見当たらなかった。
「マジかよ、結構ショック…やっぱり登録一覧からも消えてる」
機内で見た履歴だけでなく、登録チャンネルすら影も形も消え去っている。
「ヘルプで調べるか」
画面を見つめたまま、リベーロは寂しさと不安の混ざった溜息をつきながら。
ヘルプで登録チャンネルが見えなくなった対処を調べた。
あんなに楽しく「こんばぬ~!」と配信していた彼女のチャンネルが、まるで最初から存在しなかったかのように消えている現実を、彼はただ必死で抗った。
「登録チャンネルだけでこんなにヘルプあんのかよ。うぜえ!探しにくい」
画面に表示された公式ヘルプのテキストをスクロールして関連ワードを探しリベーロは思わず低く毒づいた。【登録チャンネルが表示されない場合】という項目を開いたものの、そこに書かれているのは「YouTube で制限付きモードをオンまたはオフにする」「制限付きモードの無効化に関する問題のトラブルシューティング」「非表示のチャンネルを再度有効にする」といった既に知ってる定型文ばかりだ。
「ふざけんなよ、アカウントごと消えたのかどうかを知りたいんだよ。なんだよ端末の再起動ってクソみたいな解決策ばっかり出しやがって」
画面を指で荒々しく弾くが、どれだけスクロールしても求めている答えには辿り着かない。無駄な長文テキストを読まされる時間のせいで、イライラと焦燥感だけが募っていく。
「やっぱり、通信のバグじゃなくてチャンネル自体消したのかもなぁ」
不毛なヘルプと格闘し、すっかり疲弊してスマートフォンを投げ出しかけたその時、カチャリと静かな音を立ててバスルームのドアが開いた。
湯気とともに、さっぱりとした表情のロゼリーが出てくる。濡れた髪をタオルで拭いながら
彼女はベッドの端でスマホを握りしめたまま険しい顔をしているリベーロに視線を向けた。
「お待たせ。シャワー、すっきりしたわよ。……どうかしたの?
バスルームまであなたの怒ってる声が丸聞こえよ」
「いや、YouTubeのヘルプがクソでさ。ついつい」
リベーロは吐き捨てるように言うと、役立たずなヘルプ画面を閉じてスマートフォンを雑にベッドへ放り投げた。これ以上画面と格闘しても、不満が溜まるだけで何も解決しない。
「俺もシャワーにするよ。あ、でもひとつだけ聞いていい?」
ベッドから立ち上がり、着替えの入った鞄を手に取りながら、リベーロは濡れた髪をドライヤーで乾かそうとするロゼリーに向かって問いかけた。
「ヘリオポリス神殿ってさ、地下になにかあったりする? 神殿だから地下は全然関係ないか。いやね、今日のギザ台地で分かったけど、欠片が反応するのって地上じゃなくて【地下】だったじゃん?
だからヘリオポリス神殿の地下も、なにかあるのかなと思って」
「リベーロ。結論から言うと、関係は大ありよ。ヘリオポリス神殿の地下にも
重要な遺構は存在するわ。ラムセス2世の巨大玄武岩像の破片なんかも
泥と地下水の中から発見されてる…つまり、あなたの推理は」
「やっぱりか!ロゼリー。明日2人で向かうべき場所は、地下に重要な玄室等がある場所だよ!どう、地下がヒントだ、何かわかる?」
「地下ね…すぐに浮かぶのはサッカラ遺跡よ。3基あるピラミッド全て地下に玄室があるわ。それとなによりセラペウム。完全な地下の岩盤トンネルと、重さ最大60〜80トンの黒色玄武岩・花崗岩の石棺群が
24個もあるのよ」
「見つけた。きっとサッカラ遺跡だ!お風呂入って来るよ、明日の為にも回復優先」
そう言って、リベーロはバスタオルと着替えを手にバスルームへと向かった。
リベーロがシャワーを浴びている間、ロゼリーはすぐにスマートフォンで
サッカラ遺跡に向けた明日のルートと時間配分を緻密に組み上げ
メモ帳にまとめた。
シャワーを浴びてさっぱりとしたリベーロがバスルームから出てくると
珍しく、ロゼリーが机に突っ伏してうたた寝していた。
「大丈夫ロゼリー?夕食に行こうよ。お互いコシャリ食べてから何にも食べてない。もう腹ペコだよ」
「んん。シャワー出たのね。大丈夫、疲れて寝てしまっていたわ。行きましょうか」
重い身体を起こしたロゼリーとともに、二人は階段を上って屋上テラスへと向かった。6月末のカイロは18時前であってもまだ太陽が高く、テラス席には真昼のような強い光と乾いた風が吹き抜けていた。




