深海に沈む棺と3大ピラミッド
時刻は14時20分。内部への最終入場締め切りである16時まで、あと1時間40分。
リベーロの行く手にそびえるカフラー王のピラミッドは、その巨大な質量で視界の半分を遮っている。
そしてそのカフラー王の左奥、さらに一段高い台地の砂漠の地平線に
ギザの3大ピラミッドの最後の一基、メンカウラー王のピラミッドが小さくその姿を現していた。
「マジかぁ、まだ、もう一個あるのか…」
リベーロは猛暑の中を歩みながら、カフラー王のピラミッドを目指しながら
その奥に見えるピラミッドを見つめた。
前の二基に比べると半分以下の大きさしかなく、熱気で白く霞む空間の向こうで、赤黒い花崗岩で組まれた裾野が地を這うように佇んでいる。
「今はカフラー王のピラミッドだ」
決意の眼差しで1人進むリベーロ、だが、そこに至る石敷きの直線路には、遮熱する日陰がただの1平方センチメートルも存在しなかった。6月末の14時過ぎの太陽は、容赦なく帽子の頭上を灼き、砂岩の路面からは沸き立つような熱気が足裏を突き抜けてくる。猛暑の中、肺に吸い込む空気は乾燥した熱風そのもので、一歩進むごとに体力が急速に削られていく。普段なら五分かそこらの距離が、今は気の遠くなるような上り坂に感じられた。喉はすぐに乾き、ペットボトルのぬるい水を一口含んでも、渇きは微塵も癒えない。額から流れ落ちる汗が目に入り、痛みに顔を歪めながらも
リベーロはただカフラー王の四角錐だけを見据えて足を動かし続けた。
時折振り返り、背後からロゼリーがついてきていることを確認しながら前へ進む。
すると前方から、ラクダや馬車を引いたガイドが、しつこく声をかけてきた。
「«اِرْكَبْ، سَيُغْلَقُ فِي السَّاعَةِ الْخَامِسَةِ مَسَاءً.»」
(乗れ!17時に閉まるぞ)
「La, Shukran.Alaikum」
(いいえ、結構です。さようなら)
リベーロは以前覚えた
あの『カイロ旅行で使える!簡単アラビア語5選』を駆使して答えた。
相手の言葉は全くわからないが、「ラクダに乗れ」といった勧誘であることは容易に予測できた。
乗った方が早く着くかもしれないという考えが脳裏を一瞬よぎったが、欠片の返却を最優先しなければならない。ロゼリーはまだ後方にいるし、万が一にもベンベン石の欠片の存在に気づかれたら終わりだ。リベーロはギザ台地で残された時間が迫る中、必死に己の役割を果たそうと勧誘を振り切った。
ひたすら陽炎の立つ参道を這い上がるように歩き続け、ようやくピラミッドの東面の麓へと辿り着いた。腕時計の針はすでに14時30分を過ぎている。
標高が上がった台地の上では強風が吹き荒れ、砂埃が容赦なく顔に叩きつけられた。
見上げるカフラー王のピラミッドの頂付近には、滑らかな石灰岩の化粧石が強烈な太陽光を浴びて白くぎらぎらと輝いている。
タイムリミットまで、あと1時間30分もない。
リベーロは息を荒らげたまま水を一口飲み、内部への入り口がある北面へと回り込むため、巨石の根元を急いだ。
入場して進むと通路は、入った瞬間から強烈な下り傾斜となって、ピラミッドの基盤よりもさらに深い、地底の岩盤へと一直線に落ち込んでいた。
「地下にあるんだ」
リベーロは、クフ王の上昇通路と同じように、深く身を屈めながら背中のリュックをロゼリーの荷物と持ち替えて、欠片の反応を探りながら進んだ。
すると僅かに欠片が振動を始めた、ヘリオポリス神殿の時よりも強く、降りていくほどに反応が高まる。
「下か、ここにあるのか」
天井に等間隔で灯る裸電球が、剥き出しの荒々しい石灰岩の壁を黄色く照らし、這い下りるリベーロの影を前方の闇に歪んで引き伸ばす。換気ファンは回っているものの、地底に籠もった熱気と、数千年の時を止めた乾燥した石の粉塵、吸い込むたびに喉の奥が粉っぽく抉られた。手すりを掴み、滑り止めの木製ステップを踏み締めながら地底の底まで下りきると、
通路は突如として平坦な水平道へと切り替わった。頭上が少し高くなり、立ち上がって歩を進める。
床や壁は、途中のひび割れた天然の岩盤から、精密に切り出された巨大な花崗岩のブロックへと変わっていく。
降りてから3分ほど進むと、通路の突き当たりにカフラー王の「玄室」が静かに口を開けていた。
「ここか。さっきよりもだいぶコンパクトで調べやすいよ」
東西に長いその長方形の部屋は、クフ王の王の間とは異なり、天井が平らではなく、巨大な石の梁が左右から合わさった切妻型の三角屋根を形成している。リベーロは無機質な石棺にリュックを近づけて欠片の反応を確かめ、
その後、裸電球の光が照らす花崗岩の壁面に沿ってさらに反応を探っていったが
それ以上強くはならなかった。
部屋の西側の壁際、床に沈み込むようにして設置された黒っぽい花崗岩の石棺。
そこに着いた時、ついに反応は消えてしまった。
南壁上部に、黒いチョークか塗料のようなもので書かれた乱暴な文字がはっきりと残っていた。
「誰かの文字が書いてある。日付となんだろう」
リベーロが文字を見ていると、丁度追いついたロゼリーが息を切らして声をかけた。
「はぁ…はぁ…その文字は1818年3月2日、この部屋を最初に調査したイタリアの探検家、ジョヴァンニ・ベルツォーニが自らの名前と日付を書き残した、生々しい落書きの痕跡よ。反応はどう?」
「うん。反応はあったよ、でもここに来たら消えた。棺が違うのか?わからない。
この途中で、ピラミッドもう一基あったからそれを見よう」
「でも大きな手がかりね!リベーロが見たピラミッドは、メンカウラー王のピラミッド、カフラー王の実子のものよ」
「時間がないわ。急いで外に出ましょう」
二人は来た道を引き返し、急勾配の通路を這い上がるようにして地上へ戻った。
外に出た瞬間、再び強風と砂埃が二人を包み込む。
カフラー王のピラミッドの影が、西日を受けて長く台地に伸びていた。リベーロは腕時計を確認する。
「14時50分まだ行ける。大丈夫だ」
「いいえ、そんなに余裕でもないわ。もうすぐ15時、気温はピークを迎え、アスファルトは45度を超える熱さに達するわ。それと、こんな速度で夏のギザ台地を次から次へと観光する客はいないわ。観光警察に怪しまれる前に、いち早くあそこへ。」
ロゼリーは暑さと足への疲労で満身創痍になりながらも、メンカウラー王のピラミッドが小さく見える南西の方向を指差した。
「最後が一番キツそうだ。ロゼリー無理しないで、一度戻って日陰になる場所で休んでから向かってくれればいい」
リベーロは疲弊しきったロゼリーの様子を気遣い、しっかりと目を見て告げた。
「ええ。分かったわ……頼んだわよ、リベーロ」
ロゼリーの了解を得ると、リベーロはリュックを背負い直し、ロゼリーの荷物を手に抱えた。
今日最後の目的地である南西のメンカウラー王のピラミッドへと向けて、遮蔽物のない陽炎の中を一直線に進んでいく。
「ここだけ、なんか隠してるみたいなピラミッドだな。ファラオってすごいんじゃないの?」
ブツブツと愚痴と一緒に疑問を呟きながらひたすら歩いた。
西日は傾き始めて強烈で、砂漠全体が白茶けた光を照り返し、視界の端々をぎらぎらと眩ませる。
標高の上がった砂丘の上を、乾燥した強風が砂埃を巻き上げて吹き抜けていく。
水を飲みながら行く手に佇むメンカウラー王のピラミッドを見ると、これまでに見た二基に比べると圧倒的に小ぶりで赤黒い石だった。
「このサイズならすぐ終わる。しかし、ここだけ石も違うのかよ。なんか雑だし」
ピラミッドの根元に近づくにつれ、ここだけが持つ異様な質感が目についた。
メンカウラー王のピラミッドの裾野を構築しているのは、上部の白い石灰岩ではなく赤黒い、それも表面が平らに削られていない不揃いな花崗岩の巨石群だった。
何千年も前に、アスワンからナイル川を運ばれてきたという鉄のように重い岩の塊が、加工途中のまま無骨に積み上げられ、どす黒い影を砂の上に落としている。
リベーロはとにかく、急いだ。距離はないが猛暑が体力を削り、時間を奪った。
ようやく内部への入り口がある北側の斜面に辿り着いたとき、時間は15時を超えていた。16時まで猶予は残り1時間もない。周囲に他の観光客の姿は少なく、岩の隙間に設置された鉄のゲートの奥に、裸電球の黄色い光が、地下へと続く狭い垂直の穴を寂しげに照らし出しているのが見えた。
中へ入ると、カフラー王のピラミッドと同様の急勾配を持つ下降通路が、下へと一直線に落ち込んでいた。腰を深く曲げた姿勢のまま、1段ずつ滑り止めの木製ステップを踏み締めて、これまでと同じ様に欠片の反応を探ると、再び反応が出た。
急いで巡ってきた脚には、この姿勢を維持することは苦痛を伴い、ひたすら祈る様な気持ちだった。
「ここの棺が、手がかりになる。頼む」
短い傾斜を下りきると、通路は平坦な水平道へと切り替わり、頭上が高くなった。
しかし、リベーロの目に映ったのは前の2基には存在しなかった空間だった。
「壁に模様がある!」
「パネルの部屋」と呼ばれる前室の壁面には、古代エジプトの宮殿のファサードを模したという、精緻な格子状の溝が立体的に彫り込まれていた。
「今まで、お墓に文字も絵もないのに。ここだけあるんだ、よくわからないな」
狭い石の迷宮の奥までリベーロは欠片の反応を探った。前室の床から、さらに下に穿たれた短い傾斜通路を十数歩下る。辿り着いた最深部の玄室は、完全な赤色花崗岩の世界だった。
「これはもう。洞窟じゃん」
部屋は小さく、最大の特徴はその天井だった。平らな石の梁ではなく、巨大な花崗岩のブロックが内側へ向かって緩やかな弧を描くように削り出され、まるで洞窟のような丸天井を形成していた。
裸電球の放つ黄色い光が、その丸みを帯びた頭上に鈍い光沢を与えていた。
部屋の最奥でリベーロは石棺を探した。
「あれ?ここが一番奥だよな棺ないの?反応を見たいんだけど」
その時だった。暗がりに潜んでいた観光客混じりの現地人が、気配もなく近づき
低い声で囁きかけてきた。
「«يا كابتن، بتعمل إيه عندك؟ هدفع للشرطة وسيبك، هات أي حاجة.»」
(おい、さっきから何やってるんだ。観光警察には黙ってやるからいくらか払え)
「え?えーっとAssalamu」(こんにちは)
男のジェスチャーは金銭を要求していた。
リベーロは、言葉がわからないので、とにかくハッキリと話す力技で、ジェスチャーを交えて答えた。
「お金は持っていません。ない。私お金はない。」
お互い、嚙み合わないまま意思疎通を図っていた時だった。
「«امشي من هنا فوراً! لو ما مشيتش دلوقتي، هطلع أبلغ شرطة السياحة عنك وآخد رقم الكارنيه بتاعك!»」
(すぐにここから消えなさい! 今すぐ立ち去らないなら、上に上がって観光警察にあなたを通報して、身分証の番号も突き出すわよ!)
暗がりの中に毅然とした冷ややかな声が響き渡った。
ロゼリーは息を乱しながらも男を鋭く睨みつけ、一切の容赦がない威圧的な眼差しで詰め寄ると。
男は一瞬で顔色を変え、舌打ちをしながら気まずそうに目を逸らし、逃げるように通路の奥へ立ち去っていった。
「ロゼリー、大変だったでしょう!到着したんだね、そんなに怒るほどの事を言ってたの?」
「あなたは今、確実にタカられていたのよ」
ロゼリーは荒い息を整えながら、呆れたように肩をすくめた。
「まあいいわ……それより欠片の反応はどう? 何か変化はあった?」
「ここに棺はなかった。でも反応した。つまり地下に反応してるんだ」
リベーロが周囲の空っぽな空間を指差すと、ロゼリーは丸天井を見上げて静かに頷いた。
「そうね、石棺がないのは当然よ。十九世紀にイギリスの探検隊が発掘して持ち出そうとしたけれど、運搬船が地中海で沈没してしまったの。だから棺は今も海底に沈んだままなのよ」
「海底か、まさか返却場所が海底なんてないと願いたいよ」
「とりあえずこれで、ギザの主要な3つのピラミッドとスフィンクス、すべて試したことになるわね。
一度オシリスホテルに戻って、情報を整理し直しましょう。次の作戦を練るのよ」
「そうだね。ホテルへ戻ろう、正直ヘトヘトだよ」
二人は重い足取りで急勾配の通路を引き返し、灼熱の陽光が残る地上へと戻っていった。




