猛暑のギザ台地
ごつごつとした岩肌のトンネルを抜けると、通路は突如として極端に狭まった。
大ピラミッドの内部を貫く「上昇通路」だ。
幅はわずか1メートル強、天井の高さは1.2メートルほどしかなく、中を進むには深く腰を折り曲げた
鍾乳洞を歩くような姿勢をとることを強いられる。
きつい急勾配を上るため、足元には滑り止めの木製ステップが等間隔に渡されていた。
リベーロはリュックを片手に持ち、欠片の反応を感じ取りながら壁面に設置された金属製の手すりを掴み、一歩ずつ身体を引き上げる。
閉鎖された細い空間の酸欠のような息苦しさに耐えながら、ひたすら前かがみで這い進むと、唐突に視界が開けた。
「リベーロ。そこの広間は大回廊よ」
「大回廊?なんだここ…」
リベーロは頭上が高さ8.5メートルまで一気に突き抜ける大空間――
「大回廊」に足を踏み入れようとした。
「待って。足元を見て」
ロゼリーが制するように声をかける。
「え? 足元?」
「その床下に、もう一つ横に伸びる通路が見えるでしょう? あそこは『女王の間』へ続いていて
確認する価値は十分あるわ。大回廊を上る前に、先にそっちへ行きましょう」
言われたリベーロが視線を落とすと、まさに自分の足元付近に、もう一つの暗く狭い水平の通路が静かに口を開けていることに気づいた。
リベーロは腰を屈めてその平坦な一本道へと進路を変えた。
大ピラミッドのちょうど中央、王の間の真下に位置する「女王の間」へと続く通路だ。
天井の高さは1.7メートルほどしかなく、やはり頭を下げて歩くことを強いられる。
床は木製のステップではなく、凹凸のある剥き出しの石灰岩で、歩くたびに硬い靴底の音が狭い空間に反響した。少し進むと、突如として天井が高くなり、東西の壁が切妻型の三角屋根を形成している四角い小部屋に出た。
「ここが『女王の間』よ。アラブ人が名付けた名称で、実際には王妃が埋葬された場所ではないというのが通説ね。王のKa(魂)の像を安置する場所だったという説や、設計変更前の元の玄室だったという説もあるわ」
「なんだ、女王あんまり関係ないのか」
「ここはかつて財宝を探し求めた者たちが、強引に奥を掘り進めた破壊の跡が残ってるのよ、この穴がそうよ」
部屋の東側の壁には、高さ4.6メートルほどの、ニッチと呼ばれる階段状に窪んだ不自然な空洞が穿たれている。
「警備が厳重になってるのがわかるよ、こんなに穴掘ったヤツがいたんだもんな」
彩色壁画や文字の類いは一切ない。部屋の空気は、完全に密閉されているせいか、大回廊よりもさらに濃密で、埃っぽさが一段と増している。裸電球の光に照らされた壁面に沿うようにリベーロは、話しながらリュックを近づけて反応を見た。
「ダメだ、特に変わりはないよ」
何もない。ただ、完全に光と音を遮断された、数千年前の無機質な静寂だけが、重い空気とともに部屋の隅々に沈殿していた。床から這い上がってくる不気味なほどの静けさに背中を圧されながら、2人は元の通路を引き返し、再び大回廊の起点へと戻った。
大回廊を上り詰め、さらに身をかがめて低い花崗岩の産道をくぐり抜けると、2人は大ピラミッドの心臓部である「王の間」へと辿り着いた。
天井高約5.6メートル、幅約5.2メートル、奥行き約10.5メートルの四角い部屋。
リベーロは欠片の反応を見ながら話した。
「さっきの女王もそうだったけど。王の墓なのに壁画とかエジプトの文字とかなんにもないんだね」
リベーロは壁一面を埋め尽くしている景観を想像していたが、ここには絵も、文字も、装飾のかけらさえ一切存在しない。あるのは、ただただ精密に切り出され、執拗なまでに磨き上げられた赤黒い花崗岩の巨石の壁だけだった。
「ファラオの墓というと、誰しも壁一面の鮮やかな壁画や文字を想像しがちだけれど、壁面に『ピラミッド・テキスト』と呼ばれる文字が刻まれるようになるのは、ここから一世紀以上あとの第5王朝の時代からなのよ。
クフ王の第4王朝時代には、内部の壁に装飾を施すという風習そのものがまだ存在しなかったの」
ロゼリーは手すりや磨き上げられた花崗岩の壁に一瞬視線を走らせ、静かに続けた。
「建造時に作業員が残した赤い塗料の管理メモのようなものは非公開の裏空間に残されているけれど……表から見える壁面には絵も文字も、装飾の類いは一切ないわ。何一つね」
「これが、王が眠っていた棺?」
部屋の中央よりやや西寄りに、蓋のない、同じく赤黒い花崗岩の石棺がぽつんと置かれていた。かつて盗掘者たちによって激しく叩き割られたのか、縁の一角が大きく欠けていた。
「ええ、そうよ。クフ王の石棺だわ」
リベーロは慎重にリュックを近づけ反応を探ったが、何も変化は起こらず。
中を覗き込んで近づけても、底に赤茶けた空虚な空間が広がっているだけだった。
ロゼリーは欠けた石棺の縁に視線を落とし、静かな声で言葉を継いだ。
「実はね、この石棺の幅は、私たちが通ってきた上昇通路や王の間の入り口よりもわずかに大きいの。つまり、ピラミッドが完成した後に外から運び入れたんじゃなくて、王の間の壁や天井を組み上げる前に、あらかじめこの場所に設置されていたということになるわ。それから数千年の間、一度もこの部屋から外へ出されたことがない唯一の遺物よ」
「謎の多いお墓なんだね。ただ欠片に反応はなかったよ」
リベーロは出来る限り、王の間の何世紀もの間、存在している磨かれた花崗岩の壁に沿って隈なく欠片の反応を見た。
しかしリベーロに返ってきたのは、まるで生き物の肌のように生ぬるく、人間の体温をそのまま宿したかのような、じっとりと湿った岩の質感だけだった。
リベーロは肩をすくめ、リュックを背負い直した。
「王の間でも反応がないとなると……このピラミッドの中じゃないよ」
「そうね。でもギザの台地には、まだ調べるべき場所が残っているわ。……参道を下って、スフィンクスエリアへ向かってみましょう」
2人がクフ王の大ピラミッドを出ると腕時計の針は、すでに14時近くになろうとしていた。
16時の最終入場時間まで、残された時間は2時間程度。
2人はクフ王のピラミッドの東側に広がる瓦礫の荒野を抜け、南東の低い方向へと延びる緩やかな下り坂へと足早に向かった。
「大丈夫?ロゼリー、こんな足場の悪い道と、この暑さ。
膝を痛めたら終わりだよ。ちょっとそれ貸して」
リベーロは彼女の荷物を持ち、少しでも負担を減らした。
「体力だけは任せて。毎日遅刻ギリギリでダッシュして鍛えた体だよ」
「それは自慢にならないわよ。…ありがとう」
ロゼリーは笑い、明るい表情でリベーロは前を向き、2人は歩き続けた。
そこは、かつてクフ王の遺体をピラミッドへと運ぶために築かれたという、全長約700メートルの直線的な「参道」の遺構だった。遮蔽物は一切なく、六月末の強烈な西日が、行く手の砂漠の地平を白く爆発させている。
アスファルトの斜面からは、陽炎が生き物のようにゆらゆらと立ち上り、遠くの景色を歪めていた。歩くたびに、乾ききった熱風が正面から顔を叩き、喉の奥を瞬時に干からびさせていく。
「最終入場まであと2時間ちょっと……焦る気持ちはあるけれど、倒れたら元も子もないわ。水分だけはこまめに補給して進みましょう」
「そうだね、正に命の水だよ」
水を飲むとリベーロは口を固く結び、ベンベン石の欠片が入ったリュックを背負い直し、ロゼリーの荷物を手に持ち、ただ静かに下り坂を歩き続けた。
坂を下るにつれて、前方の視界が大きく開けていく。それまでクフ王の巨体に隠れて見えなかった、ギザ台地の全貌が眼下に迫ってきた。右手には、クフ王に次ぐ大きさを持つカフラー王のピラミッドの、鋭利な四角錐の頂部が見えている。
「あそこにも…でかいピラミッドが見えるよ。後であっちも調べたいな」
リベーロは額の汗を拭い、荒い息を吐きながら言った。
「カフラー王のピラミッドね。ええ、もちろん立ち寄る候補としては頭に入れてあるわ。でもまずは
この参道の先にあるスフィンクスの反応を確認してからね」
「そうだね……ふぅ、これで反応があれば終わりだよ。あれ?そう言えばさ。
スフィンクスってお墓なの?」
「いいえ、はぁはぁ。お墓じゃ…ないわ」
ロゼリーは照り返す熱気に目を細め、呼吸を整えながら言葉を区切って答えた。
「あそこは……ピラミッドや参道、それにミイラ作りをする『河岸神殿』を守る神聖な門番なのよ。
東を向いて鎮座しているのは毎朝昇る太陽神の象徴で、王自身の神格化された姿とも…
言われているわ…はぁはぁ」
「スフィンクスの方が、見た目は王の墓っぽいよね。ハハハ」
視界が変わっていき正面のさらに低い谷の奥、茶色い泥岩の集落と砂漠が交わる境界線に
あの巨大な単一の岩石から彫り出された、獣の身体を持つ影がうずくまっている。
「あれは!俺でもわかるよ。スフィンクスだ」
背後のピラミッド群に比べれば小さく見えるものの、近づくにつれて、その横たわる巨体が台地を睥睨する異様なスケール感が、熱気を含んだ砂埃の向こうから、じわじわと輪郭を現し始めていた。
参道の緩やかな傾斜を下りきると、スフィンクスの正面入口「カフラー王の河岸神殿」が現れた。
「はぁはぁ…!やっと着いた!すげえ長く感じたよ」
「ロゼリー、大丈夫?少し休んでから、欠片の反応を見ようよ」
「はぁ、はぁ……ええ、そうしましょう……っ」
ロゼリーは膝に手をついて肩を上下させ、ペットボトルのキャップを震える手で外し、渇いた喉へ一気に水を流し込んだ。
ゴクゴクと音を立てて喉を鳴らし、口元を拭うと、まだ荒い吐息を漏らしながら小さく頷いた。
「んっ……ふぅ……。ごめんなさい、想像以上に……体力を奪われるわね……
はぁ……。でも、大丈夫……っ。一刻も争うわ……欠片を、試してみましょう……」
汗で濡れた前髪を払いながら、ロゼリーは決意の目で正面の神殿を見つめた。
すぐそばには重量数十トンにも及ぶ赤色花崗岩の四角い巨石ブロックがあり、それが精密に噛み合わされて構築された薄暗い回廊が行く手にそびえている。
2人は巨石の隙間から細い光が差し込むだけの神殿の内部へ入る。
リベーロはロゼリーの荷物を肩に担ぎ、リュックを手に持ち替え慎重に歩いて反応を探った、神殿の床は敷き詰められた滑らかなアラバスターの石畳だった、直角の曲がり角をいくつか通り抜けた。
神殿の北側に設けられたスロープを上がると、視界が開け、スフィンクスの真横に設置された観光客用の木製見学テラスへと出た。
「何も変化はないよ」
巨大な砂褐色の巨塊スフィンクスが横たわる隣で、リベーロが結果を告げた。
しかし、その結果を受け止めたロゼリーは表情を変えずにすぐ次の話しをした。
「そう。ここも違うのね。次のカフラー王のピラミッド内部の入場時間は16時00分まで。さっき通ったピラミッドへとまっすぐ伸びる約500メートルの参道を登って行くのよ」
落ち着いた声で現状を整理すると、彼女は背後にそびえるカフラー王のピラミッドへ視線を向けた。
「わかった、俺が先に行って出来る限り欠片の反応を見てくるよ。ロゼリー、俺のチケットを渡して」
チケットを受け取り、ロゼリーへ笑顔で話した。
「ロゼリーは自分のペースで、焦らず後から来てくれればいい」
「ありがとう。頼んだわ」
「任せておけって」
リベーロはリュックを背負い、ロゼリーの荷物を手に持って。
照りつける猛暑の緩い上り坂へと力強く踏み出していった。




