ロゼリーの推理
リベーロはスマートフォンを握り、履歴の画面を下にスクロールしながら探した
しかし見つからない。
「ちょっと待って、本当に見たんだよ。すーばーぬちゃんのライブ配信」
昨日までに観た動画は普通に残っている。参加型配信も、ゲームプレイ動画も。
ただ、新人VTuberあるば・すーばーぬの雑談ライブ配信だけがどこにもなかった。
「ちょっと、一回アプリ落とすわ」
YouTube を閉じて開き直す。
履歴をスクロールする。
「あれ?ない。絶対見たのに。バグったかな?スマホ再起動してみるよ」
サイドボタン長押しして再起動した。
ロゼリーは、その様子を見ながら朝のリベーロの様子を思い返していた。
スマートフォンを横向きにして、イヤホンを付けたまま眠っていたこと。
動画を見ていたと考えるのが自然だった。
「リベーロ、ちょっともう一回、今話したその新人VTuberの名前を言って」
リベーロは顔を上げた。
「お?ロゼリーでもVTuber気になるんだね。おすすめだよ。名前は、すーばーぬ」
「それは英語じゃないわ」
ロゼリーは、すーばーぬをアラビア語の音節でスウバーヌと発声した。
「名前はスウバーヌだけ?他になにもない?」
「全部だと、あるば・すーばーぬだよ」
「あるばも違うわ。こう発音するのアルハラーク」
ロゼリーはメモ帳を取り出し、ペンを走らせ、紙に二つの単語を並べる。
アルハラーク スウバーヌ
「リベーロ。アラビア語は右の単語から先に読むの」
静かにペン先を右の単語へ向けた。
そして、右側のスウバーヌと書いてある単語を丸で囲む。
「つまりこれはスウバーヌ・アルハラークと読むのよ。ラテン文字転写だと、こう書くわ」
メモ帳にラテン文字を書く。
Th'ubān al-Halāk
ロゼリーは一拍置いて、静かにアラビア語の音節で発音した ثعبان الهلاك
「これは…破滅の大蛇って言ってるの」
リベーロはスマートフォンを持ったまま、笑顔で答えた。
「へえ!そうなんだ、ダーク系の名前付けるVTuberっていっぱいいるから不思議じゃないけど
すーばーぬちゃん、随分凝ってるんだね。破滅の大蛇か。
名前の意味がわかってファンとして嬉しいよ。」
「ただ、履歴がないって事は、チャンネル消しちゃったのかな。まさか!でもな…」
リベーロは笑顔が消え、寂しそうに考え込んでいた。
「この前一緒にホテルに宿泊した時。
雑談配信で迷惑な伝書鳩行為の話題で盛り上がったって言ってたわね?
その時ウェヘムを迷惑だって、発言したのは、あるば・すーばーぬでしょ?」
ロゼリーが静かな声で問いかけると、リベーロは思い出したように頷いた。
「そうだよ。あの時ロゼリーは、ホテルで風呂入ってたんだよ」
「それにさ、迷惑行為が目的なら『黒ジャッカルみたいに確実に仕留めろ〜』って
言ってたんだよ。ジャッカルってキツネでしょ?黒ジャッカルってなんだよ」
リベーロは思い出し笑いを浮かべながら、楽しそうに続けた。
「黒ジャッカルって聞いて、言葉の響きが面白くて。よく覚えてるよ」
ロゼリーは呆れたように小さく首を振り、静かな声で言葉を継いだ。
「ジャッカルはイヌ科よ。それに……古代エジプトにおいてジャッカルは、墓を掘り起こして遺体を喰らう、実に厄介で恐ろしい害獣だったの」
「わざわざ遺体を食べるんだ。気持ち悪いな」
「だから古代エジプト人は、そのあまりにタチの悪い害獣の怒りを鎮める必要があったのよ」
「それは、怒りを鎮めるよりも、食欲を鎮めればいいんじゃないの…
逆か!怒ってて、その矛先が遺体を食べてやる!って事か!
腹減ってるんじゃなくて、怒ってるんだ」
「そう。その怒りを鎮める為に、逆に墓の守り神として祀ることで『飼いならそう』
としたとされているわ。それが黒いジャッカルの姿をした冥界の神、アヌビス。
害をなす獲物を確実に追い詰め仕留めるような害獣の習性を、そのまま神話として利用したわけね」
ロゼリーは一拍置き、トーンを落として静かに言った。
「そしてアヌビスの真の役目は…死者の魂を冥界へ送り届け、真実と罪を量ることよ」
リベーロは思わず身を乗り出し、少し狼狽えたように声を上げた。
「ちょっと待ってロゼリー。それって迷惑な伝書鳩行為どころの話じゃないじゃん。
あくまでも神話だと。っていう話しでしょ?」
「もちろんそうよ。黒いジャッカルと発言したのなら、ただの配信者じゃなさそうね。キャラ作りかも知れないけど」
ロゼリーは腕を組み、真剣な眼差しでリベーロを真っ直ぐに見つめた。
「私たちは今、まさにそのエジプトを目指して飛行機に乗っているのよ。
そして手元には、欠片とはいえ……本物の『神の遺物』がある」
「うん、そうだね」
「そのタイミングで、通信状況のあり得ない、機内Wi-Fiで観られたライブ配信。
そして『アルハラーク・スウバーヌ』という名前。目的地の言語であるアラビア語に直せば『破滅の大蛇』……偶然にもエジプト神話における最大の不吉を意味する名前に一致しているわ。単なるVTuberのキャラ作りで済ませるには、あまりに出来過ぎていると思わない?」
ロゼリーはトーンをさらに低く落とし、リベーロにだけ聞こえるようなひそやかな声で言った。
「リベーロ、警戒心を持って。私たちが向かっている場所、そして持っているものの重さを忘れないで」
「大丈夫だよ、考え過ぎだよ。VTuberに何が出来るんだよ、画面がないと存在出来ないんだよ?それにそのチャンネルはもう消えてる」
リベーロはそう言って、深く気にする様子もなく笑った。
ロゼリーの言いたいことも理解はできたが、それは、彼女の頭が硬いだけ。
リベーロにとっては画面の向こうの配信者が自分たちに直接害を及ぼせるとは到底思えなかった。
それより、昨夜の配信の中で『遺物は夜の7時間目、干上がる砂漠に置くのがオススメ』といった話の方がリベーロは有力な情報かも知れないと考えていた。
彼はロゼリーとの時間より、あるば・すーばーぬと過ごした時間の方が
圧倒的に長い分、ロゼリーよりも信用が出来た。
しかもVTuberが自分の邪魔をするわけがないと思い込んでいた。
「まあ……確かに画面を飛び出して何かできるわけではないけれど」
ロゼリーはまだ少し納得がいかない表情を浮かべていたが
それ以上追及するのもやめ、自分のハーブティーに口をつけた。
「とにかく、現地に着いてからも油断はしないでね」
「わかったけど、油断した所で、何にもないじゃん」
リベーロはそう返すと、笑いながら手元のクロワッサンをちぎって口へ運んだ。
朝食のトレイが回収されてから数時間が経過した。
窓の外の景色は相変わらず果てしない雲海と青空が広がっている。
乗客たちは思い思いに静かな時間を過ごしていた。
やがて、客室のスピーカーからポーンとチャイムが響き、機内アナウンスが流れた。
『皆様、ご搭乗ありがとうございます。当機は現在、予定通りのルートを順調に飛行しております。これより二度目の機内食をご用意いたします。なお、当機は現地時間の午後5時頃、カイロ国際空港に着陸する見込みです』
落ち着いたアナウンスが終わり機内の照明が明るくなると、ギャレーから料理の香りが漂い始めた。客室乗務員がワゴンを押しながら通路を進んでくる。
「リベーロ、起きなさい。お昼よ」
少しウトウトとしていたリベーロは、ロゼリーに肩を叩かれて目をこすった。
「ん……もうそんな時間?」
ワゴンが彼らの席の横で止まり、客室乗務員が穏やかな笑みを向けた。
「昼食のご用意です。エジプト風チキンケバブのグリルと、白身魚のタジン・セイヤディーヤからお選びいただけますが、どちらになさいますか?」
「あの、タジン・セイヤディーヤってどんな料理ですか?」
「エジプトの伝統的な魚料理でございます。白身魚に玉ねぎやトマトとスパイス
を加えて一緒に土鍋でじっくり煮込み、香ばしいブラウンライスを添えております」
「スパイスか、辛いんですか?」
「唐辛子のようなピリッとした辛さは、ございません」
「食べやすいんだ。ではタジン・セイヤディーヤお願いします」
「私はチキンケバブを」
「かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか?」
「俺は、冷たい紅茶を下さい。」
「私はジンジャーエールをお願いします」
「承知いたしました。アイスティーとジンジャーエールですね。ごゆっくりお召し上がりください」
手際よくテーブルへ運ばれてきたトレイには、メインディッシュのほかに温かいピタパン、レンズ豆のスープ、フムスとタブーレサラダの小鉢、そして注文した飲み物のグラスが整然と並べられた。遮光ブラインドが下ろされたビジネスクラスの静かな機内に、エキゾチックなスパイスの香りがふわりと広がる。
白い磁器のプレートには、クミンやコリアンダーで芳ばしく焼き上げられたチキンケバブが、香草を炊き込んだサフランライスに添えられていた。
氷を浮かべたガラスのタンブラーには、それぞれブランドロゴの入ったお馴染みの缶から冷たい炭酸飲料が注がれ、微細な気泡を弾かせている。
エジプト航空のロゴである「ホルス神」の紋章が刺繍された厚手のリネンを膝に広げ、二人は重みのある金属製のカトラリーを手に取った。
リベーロはアイスティーを一口飲み、フォークを取って白身魚を口に運んだ。
「焦がし玉ねぎがいいねえ。ロゼリーはどう?」
「ええ、悪くないわ。……しかし、着陸して入国手続きを終えて外に出る頃には少し日が傾いているかしらね」
ロゼリーはレンズ豆のスープを一口啜ったあと、手元の腕時計に目をやった。
「ホテルに着く頃には、ちょうど夜になるかもしれないわね」
ロゼリーはスプーンを静かに置き、カイロの地図を思い浮かべるように続けた。
「現地時間の夕方5時に到着して、手続きを終えて空港を出るのが6時過ぎ……ちょうど市内の帰宅ラッシュと重なる時間帯よ。カイロの幹線道路は夕方の渋滞が非常に激しいと聞くわ。通常なら30分程度の道のりでも、倍以上時間がかかる可能性があるわね」
「予約したオシリスホテルまでは、どのぐらいかかるの?」
「そうね、今調べてみるわ」
彼女は手元のスマートフォンの画面をタップし、ナビゲーションアプリに目的地を入力すると、ホテルまでのラインはべったりと不穏な濃い赤色に染まっていた。
「ああ、やっぱりね。オシリスホテルまでは約22キロメートル。空いていれば30分から45分程度で着く距離だけど、アプリの予測だと、その時間帯は最悪1時間半から2時間近くかかるって出ているわ。特にナイル川を渡る手前の高架道路が完全にストップしているみたい」
「まだオシリスホテルに行くだけなのにね、それだけで疲れそうだ」
リベーロは、わざと目をぐるりと回して、フムスとタブーレサラダを口にした。
飛行機は静かな振動を保ったまま、確実に目的地のカイロへと近づいていた。




