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閑話 見失わないために

レオンハルト視点です。

今回はちょっと長めです。

 ローゼンクランツ公爵家を訪れる予定が決まるたび、決まって一つの報告が上がるようになった。


「ミト様が、本日もお姿をお隠しになりました」


 最初にそれを聞いたとき、レオンハルト・ヴァルディスは数秒だけ黙った。理解できなかったからではない。理解するために必要な情報が、あまりにも不足していたからだ。


 婚約者が訪問する。令嬢は迎える。会話をする。茶を飲む。必要であれば庭を歩く。それが一般的な流れだ。だが、ミト・ローゼンクランツは違った。彼女は迎えない。会話を始める前に姿を消す。茶の席にも現れない。庭にいるかと思えば、庭の“見えない場所”にいる。


 拒絶か。嫌悪か。恐怖か。あるいは、ただの遊びか。


 どれも違う気がした。報告を持ってきた侍従は困ったような顔をしていたが、屋敷内に深刻な空気はない。つまり、彼女の行動は周囲にとって完全な異常ではなく、すでに“いつものこと”として処理され始めている。


「場所は」


「薔薇園と思われます」


「思われる?」


「はい。姿は確認できておりませんが、侍女の証言によれば、そちらへ向かわれたとのことです」


 レオンハルトは立ち上がった。問うべきことは多い。だが、ここで使用人を問い詰めても意味はない。本人を見つける方が早い。


 庭へ出ると、薔薇の香りが濃かった。春の庭は美しい。だが、隠れる場所としては不完全だ。花の香りは気配をぼかすが、完全に消すわけではない。生垣は視界を遮るが、影は残る。葉は風で揺れるが、人の動きとは揺れ方が違う。


 レオンハルトは足を止める。生垣の奥、風とは違う方向にわずかに揺れる枝があった。


「そこにいるな」


 声をかけると、茂みの奥で小さく気配が跳ねた。やはりいる。数秒後、葉の間からミトが顔を出した。緊張している。だが怯えてはいない。そこが不思議だった。


「な、なぜ分かりますの……?」


「君は隠れるのが下手だ」


 事実を告げる。彼女は衝撃を受けたように目を見開き、すぐに視線を逸らした。羞恥ではある。だが、嫌悪ではない。


「本日は、その……お会いするのを遠慮したく……」


「理由は」


 問いを重ねる。すると彼女は、少しだけ迷ったのち、妙に真剣な顔をした。


「悪役令嬢になるためですわ」


 レオンハルトは黙った。風が薔薇の葉を揺らす。鳥の声が遠くで落ちる。言葉は理解できる。だが、意味が繋がらない。


「……は?」


「将来、断罪される運命にございますので、今のうちから嫌われておこうかと」


「理解不能だ」


 即座に結論を出す。彼女は小さく肩を落とした。どうやら本気らしい。冗談ではない。演技でもない。彼女は本気で、自分に嫌われようとしている。


 それが、レオンハルトにとって最初の違和感だった。



 帰りの馬車で、カイルが窓の外を見ながら言った。


「変な令嬢ですね」


「変ではない」


「え?」


「目的がある」


 カイルは少しだけ眉を寄せた。まだ正式な近衛ではないが、護衛として連れてこられるだけの腕はある。判断も速い。だが、人の言葉の裏を読むことにはまだ慣れていない。


「あれ、目的あるんですか?」


「ああ」


「悪役令嬢になる、ってやつですか」


「本人はそう言った」


「意味分かります?」


「分からない」


「じゃあ変じゃないですか」


「意味が分からないことと、目的がないことは違う」


 カイルは黙った。納得はしていない顔だ。


 レオンハルトは窓の外へ視線を向ける。流れる景色の中で、先ほどのミトの表情を思い返した。真剣だった。あの言葉を口にしたとき、彼女は本気で未来を恐れていた。断罪。悪役令嬢。嫌われること。それらが彼女の中では一つに繋がっている。


 では、なぜそう考えるのか。


 まだ分からない。


 だから、見失わない方がいい。



 次の訪問日、ミトは薔薇園にいなかった。屋敷の者たちは平静を装っていたが、数人の侍女が視線だけで何かを追っている。方向は屋敷裏だ。


「今日は違うな」


 レオンハルトが呟くと、隣のカイルが顔を上げた。


「薔薇園じゃないんですか」


「違う。薔薇園は失敗した。なら、彼女は別の条件を選ぶ」


「条件?」


「見えにくいこと。近づきにくいこと。すぐに捕まらないこと」


「……逃走犯みたいですね」


「近い」


 庭の奥へ向かう。大きな木が一本あった。葉が密で、枝も広い。隠れるには悪くない。だが、高所は登るときより降りるときの方が難しい。


 レオンハルトが視線を上げる前に、カイルが先に気づいた。


「……何してんだ、お前」


 枝の上から、か細い声が落ちた。


「降りられなくなりましたの」


 カイルは呆れたように頭をかいた。


「見りゃ分かる」


 レオンハルトは少し離れた位置で見ていた。ここで自分が出る必要はない。カイルなら支えられる。ミトも、カイルの声なら過剰に緊張しない。


「手貸すから、ゆっくり降りろ」


「変に動くなよ」


 ぶっきらぼうな声に、ミトは素直に頷いた。枝を一つずつ降りていく。途中で足を滑らせかけ、カイルが受け止める。動きは悪くない。判断も速い。


「……大丈夫か」


「ありがとうございます。お名前は?」


「カイル」


「殿下の護衛で来てるだけだ。気にすんな」


 ミトはほっとしたように笑った。レオンハルトはその表情を見て、わずかに目を細める。自分に向けるものとは違う。警戒が薄い。距離が自然だ。


「また来ること、ありますの?」


「さぁな」


 カイルは視線を逸らす。ミトはそれを不快とは受け取らない。むしろ、安心しているように見える。


 レオンハルトはその場で結論を一つ追加した。


 ミトは誰からでも逃げるわけではない。


 逃げる対象を、選んでいる。



 その後、ミトの逃走は形式を変えて続いた。カーテンの裏、テーブルの下、本棚の隙間、温室の鉢植えの陰。場所は変わるが、共通点はある。すぐに見つかることだ。


 はじめは単に隠れるのが下手なのだと思った。だが、回数を重ねるうちに違う可能性が浮かんだ。彼女は、完全には消えようとしていない。


 痕跡が残る。足元が出る。髪が見える。影が揺れる。呼吸も完全には殺していない。隠れているのに、どこか見つけてほしいような隙がある。


 それが意図的なのか無意識なのかは、まだ分からない。


 ただ、レオンハルトは毎回見つけた。


「そこだな」


「なぜですの……」


「影が動いた」


「そこだ」


「なぜですの……」


「足が見えている」


「そこにいる」


「なぜですの……」


「髪が出ている」


 ミトは毎回本気で驚く。どうやら本当に自分では隠れられていると思っているらしい。その認識の甘さに、レオンハルトは少しだけ呆れた。


 だが、不快ではなかった。



 ある日の訪問で、レオンハルトは予定より少し早くローゼンクランツ家に着いた。迎えに出た執事が、わずかに困った顔をする。


「殿下、申し訳ございません。ミト様はただいま……」


「隠れているか」


「……はい」


「場所は」


「おそらく図書室かと」


 おそらく、と言いながら執事の視線は確信していた。屋敷の者たちは、彼女の隠れ場所をほとんど把握している。それでも止めない。責めない。つまり、これは屋敷内で許容された行動だ。


 図書室へ向かう。扉を開ける前から、紙の匂いがする。静かな場所だ。本棚は背が高く、確かに身を隠すには向いている。


 だが、床に落ちた薄桃色のリボンがすべてを台無しにしていた。


 レオンハルトはリボンを拾い、本棚の奥へ進む。


「そこか」


 返事はない。


「リボンが落ちている」


 小さな息を呑む音がした。数秒後、本棚の陰からミトが現れる。髪の片側だけが少し乱れている。リボンが外れたせいだろう。


「……お返しいただけます?」


「ああ」


 レオンハルトは手を差し出した。ミトが受け取ろうとする。その指先が一瞬だけ触れた。彼女は少しだけ動きを止める。


「髪が乱れている」


「え?」


「そのままでは戻れない」


 リボンを渡すだけでは足りない。そう判断して、レオンハルトは彼女の髪に視線を向けた。乱れは小さい。直せる範囲だ。


「直す」


「い、いえ、自分でできますわ」


「鏡がない」


「感覚でできます」


「不完全だ」


 ミトは言葉を詰まらせた。レオンハルトはリボンを持ったまま、彼女が逃げない距離まで近づく。ここで近づきすぎると逃げる。だが離れすぎると直せない。適正距離を測る。


 髪をまとめる。指先が触れるたびに、ミトがわずかに硬くなる。恐怖ではない。過剰な警戒でもない。別の反応だ。


「動くな」


「……はい」


 数秒で結び直す。リボンの位置を整える。終わると、ミトは不思議そうにこちらを見た。


「殿下は、こういうこともお出来になるのですか?」


「必要なら覚える」


「必要……ですの?」


「今、必要だった」


 ミトは何か言い返そうとして、やめた。その顔が少しおかしくて、レオンハルトは視線を逸らした。


 笑うほどではない。


 だが、記録する価値はある反応だった。



 カイルはその話を聞いて、露骨に顔をしかめた。


「殿下、令嬢の髪を結んだんですか」


「ああ」


「普通やります?」


「乱れていた」


「侍女を呼べばよかったじゃないですか」


「時間がかかる」


「いや、そういう問題じゃなくてですね」


 カイルは深く息を吐く。レオンハルトはその反応を理解できなかった。


「問題があったか」


「問題というか、距離が近いんですよ」


「髪を結ぶには必要な距離だ」


「そういう意味じゃないです」


「ではどういう意味だ」


 カイルはしばらく黙り、それから諦めたように言った。


「たぶん、殿下が一番分かってないです」


 理解不能。だが、カイルが言うなら何かあるのだろう。レオンハルトはその言葉も記録した。



 ミトは逃げる。けれど、完全には拒まない。そこが奇妙だった。


 彼女は「嫌われたい」と言う。だが、礼を欠くことはしない。こちらを傷つける言葉も使わない。距離を取るのに、嫌悪は向けない。むしろ、必要以上に気を遣う。


 悪役令嬢になると言いながら、悪意がない。


 だから成立していない。


 それでも、本人は真剣だ。


 ある日、温室でエヴァルドと彼女が話しているのを見かけた。盗み聞きする意図はなかった。だが、声は拾えた。


「どうしてそこまで嫌がるんだい?」


「……好きになってしまったら、困りますもの」


 レオンハルトは足を止めた。


 好きになってしまったら困る。


 その言葉は、今までの行動を別の形で繋いだ。彼女は嫌っているのではない。嫌おうとしている。嫌われようとしている。そして、それが失敗していることも、どこかで分かっている。


「だから、悪役令嬢になるんですの」


 やはり理解不能だ。だが以前よりは、意味が近くなった。


 好きにならないために逃げる。


 好かれないために悪役令嬢を目指す。


 未来を変えないために現在を壊そうとしている。


 非効率で、歪で、危うい。


 だが、彼女なりの優しさなのかもしれない。



 十二歳の初夏、ミトは逃げなかった。


 薔薇園のベンチに座り、膝の上で手を重ねていた。逃げる気配はない。隠れる素振りもない。むしろ、待っているようにすら見えた。


「逃げないのか」


「本日はお休みですわ」


「何の」


「逃走の」


 以前なら即座に問い詰めただろう。だが、今は少しだけ分かる。彼女には彼女なりの規則がある。今日はその規則の外なのだろう。


「……奇妙だな」


「よく言われますわ」


 隣に立つ。逃げない。以前なら一歩下がった距離で、彼女はそのまま座っている。


 距離が変わっている。


 それは偶然ではない。


「なぜ、そこまで避ける」


「避けているわけではありませんわ」


「では何だ」


「準備ですの」


「何の」


「終わりに備える準備ですわ」


 終わり。


 その言葉だけが、妙に重かった。


 レオンハルトは彼女を見る。ミトの横顔は穏やかだった。だが、その穏やかさは諦めに似ている。十歳の頃から、彼女は時々こういう顔をする。目の前にない何かを見ている顔だ。


 その先に何があるのか、レオンハルトにはまだ分からない。


 ただ、一つだけ分かった。


 彼女は逃げているのではない。


 終わりから、自分以外の誰かを遠ざけようとしている。



 帰路、カイルが馬車の中でぽつりと言った。


「今日は逃げませんでしたね」


「ああ」


「変わったんですかね」


「変わっている」


「良い方に?」


 レオンハルトはすぐには答えなかった。良いか悪いかでは測れない。逃げなくなったことは距離が縮まった証拠だ。だが、彼女の言う“終わり”が近づいている可能性もある。


「不明だ」


「殿下でも分からないことあるんですね」


「ある」


「へえ」


 カイルは少し意外そうにした。レオンハルトは目を閉じる。分からないことは多い。ミトの言葉、行動、未来への恐れ。そのすべてがまだ不明確だ。


 だが、分からないからといって放置する理由にはならない。


 むしろ、見失ってはならない。



 王城に戻ってからも、レオンハルトはミトの言葉を考えていた。


 終わりに備える準備。


 悪役令嬢。


 断罪。


 好きになってしまったら困る。


 どれも常識的な令嬢の言葉ではない。だが、断片は繋がっている。彼女は未来に何かを見ている。そして、その未来で自分が傷つくか、誰かを傷つけると考えている。


 だから距離を取る。


 だから嫌われようとする。


 だから逃げる。


 だが彼女は、逃げ切れない。


 隠れるのが下手だからではない。


 完全に消える気がないからだ。


 リボンを落とす。髪を見せる。足を出す。影を揺らす。呼吸を残す。まるで、見つけていいと言っているように。


 それが無意識なら、なおさら危うい。


 彼女は逃げたい。


 けれど、見失われたいわけではない。


 レオンハルトは机の上に置かれた書類へ視線を落とす。王族として処理すべきことは多い。だが、思考の端にミトが残る。薔薇園の茂み。木の上。図書室のリボン。終わりに備える準備。


 理解不能。


 そう切り捨てるのは簡単だ。


 だが、もうそれだけでは足りない。



 次に訪れた日、ミトは温室にいた。隠れてはいない。花の世話をするふりをして、明らかにこちらを意識している。


「今日は逃走の休みか」


「いえ、待機ですわ」


「何の」


「状況判断ですの」


「逃げるかどうかをか」


「ええ」


 レオンハルトは少しだけ黙った。


「では、判断は」


「……半分失敗ですわ」


「なぜ」


「殿下がもういらっしゃいましたもの」


 その返答に、カイルが後ろで小さく咳をした。笑いを堪えたらしい。


 レオンハルトはミトを見る。


「なら、逃げるか」


「それも検討中ですわ」


「検討が長い」


「悪役令嬢にも葛藤はありますの」


「悪役令嬢は逃げるものなのか」


「場合によりますわ」


 会話としては成立している。内容は理解不能だが、以前より自然だ。ミトは逃げていない。警戒もある。だが、会話を続けている。


 距離は縮まっている。


 その事実に気づいた瞬間、レオンハルトは初めて、自分がそれを望んでいたことを理解した。


 逃げられないようにしたいわけではない。


 ただ、逃げるなら見つけたい。


 見失いたくない。


 それは観察ではない。義務でもない。


 まだ名をつけるには早い感情だった。



 カイルは帰り道で言った。


「殿下、最近少し楽しそうですね」


「そう見えるか」


「見えます」


「理由は」


「ミト様が変なこと言うからじゃないですか」


「それは否定できない」


 カイルが驚いたようにこちらを見る。


「認めるんですね」


「事実だ」


「じゃあ、面白いんですか」


「面白い、とは違う」


「じゃあ何ですか」


 レオンハルトは考えた。面白い。興味深い。理解不能。観察対象。どれも近いが、完全ではない。


「目を離すと、危険だ」


「木から落ちかけますしね」


「それだけではない」


 カイルは黙る。


「彼女は自分から悪い方向へ進む可能性がある。本人はそれを正しいと思っている」


「悪役令嬢になるってやつですか」


「ああ」


「止めるんですか」


「必要なら」


「必要じゃなかったら?」


「見ている」


 カイルは少し考え、それから言った。


「殿下らしいですね」


 レオンハルトは返事をしなかった。



 それから、レオンハルトはミトの逃走をただの奇行として扱わなくなった。彼女が隠れる場所を見る。選ぶ理由を見る。逃げる前の表情を見る。見つかったときの反応を見る。


 薔薇園なら、不安が強い日。


 図書室なら、考え事が多い日。


 温室なら、逃げる気が弱い日。


 木の近くなら、半分やけになっている日。


 彼女の逃走には、感情が出る。


 ならば見つけることは、場所を当てることではない。状態を読むことだ。


 気づけば、レオンハルトはそれを当然のように行っていた。


 見つけるためではない。


 見失わないために。



 十二歳の終わりが近づく頃、ミトは言った。


「殿下は、どうして毎回見つけますの?」


 場所は薔薇園。冬の花は少なく、庭は静かだった。


「見つかる場所にいるからだ」


「それは答えになっておりませんわ」


「なっている」


「なっておりません」


 ミトは少しだけ不満そうに頬を膨らませた。十歳の頃よりも表情が増えている。逃げるときの必死さも、見つかったときの困惑も、少しずつ柔らかくなっている。


「見つけてほしくないなら、痕跡を消せばいい」


「消しているつもりですわ」


「不十分だ」


「厳しいですわね」


「事実だ」


 ミトは小さく息を吐く。それから、ぽつりと言った。


「……では、消えたら困ります?」


 レオンハルトは答えなかった。問いの意味が軽くないことを理解したからだ。彼女は冗談の形を取っているが、本質は違う。


 消えたら。


 見つけられなくなったら。


 その可能性を考えた瞬間、胸の奥がわずかに重くなった。


「困る」


 短く答える。


 ミトが目を瞬かせた。


「……困りますの?」


「ああ」


「なぜ?」


「見失うからだ」


 ミトは黙った。返す言葉を探しているようだった。やがて、少しだけ視線を逸らす。


「変な方ですわ」


「君ほどではない」


「失礼ですわ」


「事実だ」


 ミトは困ったように笑った。その笑顔を見て、レオンハルトは理解する。


 これを見失いたくないのだと。



 その日の帰り、レオンハルトは初めて明確な結論を出した。


 ミト・ローゼンクランツは理解不能だ。言葉も行動も、時折まったく論理に沿わない。だが、無秩序ではない。彼女には彼女の理由があり、恐れがあり、優しさがある。


 彼女は逃げる。


 だが、誰かを拒絶するためではない。


 誰かを巻き込まないために。


 自分を悪役にしようとしている。


 ならば、それは間違っている。


 少なくとも、レオンハルトにとっては。


 彼女が自分から悪役令嬢になろうとするのなら、止める必要がある。嫌われるために距離を取るのなら、その距離を測る必要がある。消えようとするのなら、見つける必要がある。


 だから、これからも見つける。


 薔薇園でも、図書室でも、温室でも、木の上でも。


 どこに隠れても。


 彼女が完全に消える前に。


 レオンハルトは馬車の窓から、遠ざかるローゼンクランツ邸を見た。


 まだ距離はある。


 だが、その距離は以前とは違う。


 逃げる者と追う者の距離ではない。


 見失わないための距離だ。


 そしていつか、その距離も変わる。


 そう確信していた。

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