伯爵家の紋章
野営地は、まるで一つの都市のように脈打っていた。それは野営地というよりは要塞にすら近かった。
その五角形の要塞の中に無数の天幕が並び、馬車がひっきりなしに出入りする。弾薬箱、食料、医療資材――あらゆる物資が積み下ろされ、補給隊の兵士たちは怒号と共に走り回っていた。
遠くでは、砲の整備音。近くでは、銃の分解と組み立ての音。
兵士の訓練する声や射撃音があちこちから聞こえる、。
それらすべてが、これから始まる「掃討」の気配を濃くしていた。
その喧騒の中で、パトリック・オコンネル少尉は司令部の天幕へと呼び出されていた。
嫌な予感しかしなかった。
中に入ると、司令官は地図の上に身をかがめたまま、顔も上げずに言った。
「オコンネル少尉。任務だ」
「はっ」
「外国からこの掃討作戦を視察に来られる。駅まで行け。客人を迎えに行ってこい!失礼の無いようにな」
パトリックは一瞬だけ眉をひそめた。
この状況で外国から?
だが、それ以上は聞かなかった。
「了解しました!」
適当に敬礼、踵を返す。
――嫌な予感は、消えなかった。
小隊を率いて街へ向かう道中、空は妙に澄んでいた。
静かすぎる。
戦の前触れのような静寂。
やがて、街が見えてくる。
翌日列車がゆっくりと滑り込んできた。
蒸気の白煙が立ちこめる中、扉が開く。
降りてきたのは――
長身で無駄のない軍服の堂々とした男と、同じくらい堂々としたこちらも軍服を無駄なく着ている一人の女性だった。
ただの客ではない。外国からの視察。
整列した小隊の前に立って迎える。
「共和国防衛隊、パトリック・オコンネル少尉。お迎えに参りました」
鋭く敬礼する。
男は敬礼を返し微笑みながら答えた。
「王国軍ルートヴィヒ大佐だ」
隣の女性も一歩進む。
「同じくイルマ少尉です」
瞬間、兵士たちの視線が一斉にイルマへ集まった。
だがそれは、侮蔑でも警戒でもなかった。
小さなざわめきが後列から漏れる。
「……すげぇ、美人だな」 「…聞こえるぞ」
聞こえている。
確実に。
だが、パトリックは聞こえないふりをした。
ルートヴィヒも同じだった。
ちらりと視線を交わし、二人はわずかに口元を緩める。
イルマは――何事もないように、ただ静かに立っていた。
パトリックの小隊はルートヴィヒとイルマを護衛する形で街を出た。
すると、イルマは1本の旗を掲げた。
小さな旗だがその旗に示されていたのは伯爵家の紋章だった。
パトリックはそれを一瞥するだけで一切気にしなかった。
風に広がるそれは――重厚な紋章。
名門、伯爵家の象徴。
それは、この地において明らかに“異物”だった。
だが同時に、確かな存在感を放っていた。
やがて野営地が見えてくる。
兵士たちが整列している。
捧げ筒の号令がかかる。
その前を、ルートヴィヒとイルマが敬礼しながら進む。
視線が集まる。
敬意と、好奇と、そしてわずかな警戒。
その先に、司令官が立っていた。
二人は馬を降りる。
歩み寄り――握手。
「ようこそ共和国へ」
「お出迎えありがとうございます…精悍な兵士諸君に感銘を受けました。」
「さあ、どうぞ」
司令部の天幕へ案内されるルートヴィヒとイルマ。
パトリックはそのまま持ち場へ戻ろうとした。
「オコンネル少尉」
呼び止められる。
振り返る。
司令官の目は、まっすぐこっちをみていた。
「君も同席したまえ」
嫌な予感が、形になる。
「了解であります!」
司令官と副官達
それにルートヴィヒとイルマ
パトリックは入口近くに立っていた。
一通りの社交儀礼が終わり、掃討作戦の簡単な説明が始まる。熱心に聞くルートヴィヒとイルマ。
その間パトリックずっと立って話すことを聞いていた。
(いったい俺になんの用があるんだ…早くしろよ…)
そう思いながらも姿勢を崩さないパトリック。
そしてやっと全てが終わり、副官達が出ていった。
でもなぜか司令官とルートヴィヒとイルマはそのままのこっている。
そしてパトリックも出ようとする。
「待ちたまえ少尉」
また司令官に呼び止められた。
「ここからは極秘事項だ…」
(極秘事項?でそれが俺に?)
その極秘事項とはルートヴィヒとイルマの存在だった。
司令官がパトリックに話した。
二人は表向きは掃討作戦視察だが、本当の目的は別にあった。
「ルートヴィヒ大佐とイルマ少尉に協力してもらいたい」
「……任務内容は」
「魔女の確保だ」
一瞬、言葉が消えた。
「お二人はそのためにここまで来られたのだ。」
空気が重く沈む。
パトリックは二人をみた。二人とは視線は合わなかった。
(またこんな任務か…いいように使われてるな俺は…)
わずかに視線を落とした。
そして、顔を上げる。
「……了解しました」
その声は、いつも通りだった。
だが胸の奥で、何かが軋んでいた。
その夜。
野営地のテントに新たな旗が掲げられる。
伯爵家の紋章。
焚き火の明かりに照らされ、それは静かに揺れていた。
まるで――
この広大な大地のどこかにいる誰かに届けるかのように。




