自由
港に降り立ったとき、空気の違いはすぐにわかった。
湿った風。ざわめく人の波。
そして——どこか張り詰めた、見えない緊張。
ルートヴィヒ大佐は帽子のつばを軽く押さえながら言った。
「……歓迎されている、とは言い難いな」
その隣で、イルマ少尉は無言で周囲を見ていた。
視線。
好奇と警戒が入り混じったそれが、自分に向けられているのを感じていた。
だが——彼女は慣れていた。
何も言わない。ただ、前を向く。
「行きましょう、大佐」
二人は共和国防衛隊の司令部へと向かった。
——そして。
応接室に通された瞬間から、空気は露骨に変わった。
机の向こうに座る高官は、二人を一瞥しただけで笑った。
「ほう……旧大陸の“ご立派な方々”が、わざわざこんな辺境まで」
その言葉には、敬意の欠片もなかった。
ルートヴィヒは眉一つ動かさない。
「任務で来ている。無用な前置きは省こう」
「はは、さすが貴族様は話が早い」
高官は椅子にもたれ、わざとらしく肩をすくめた。
「こちらはね、汗水垂らしてこの国を作った連中ばかりでしてね」
「血筋だの家柄だの——そういうのは、あまり信用していないんですよ」
静かな侮辱。
それでもルートヴィヒは動じない。
だが——
高官の視線が、イルマに移ったとき。
その笑みが、さらに歪んだ。
「それに……そちらの少尉殿」
「珍しい顔立ちだ」
「……少数民族か?」
わざとらしい間。
「なるほどな。旧大陸は、そういう“寄せ集め”も抱えているのか」
その言葉に、室内の空気が一瞬凍る。
ルートヴィヒの視線が鋭くなる。
だが——
「問題ありません」
イルマが先に口を開いた。
静かに、しかしはっきりと。
「任務に支障はありませんので」
その一言で、場を収める。
高官はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「……まあいい。で、その問題の女だがな」
二人はその高官から資料を渡された。
そこには調査の結果が記載されていた。
エルザ フォン ローゼンシュタイン…
そして奴隷の文字…
二人はそれは聞いて知っていたことだ。
それだが、そこにその文字があるだけで、今までよりももっと重い意味を持たせていた。
一人の少女の厳しい人生を…
「早急に決着つけていただきたいですな…そのために軍も協力させていただくわけですから…全く…」
いかにも、厄介者だと言わんばかりだった。
「新聞でもご覧になるといいですよ。今や有名人だ(笑)」
二人が部屋を出るときに吐き捨てるようにその高官は言った。
——街へ出る。
石畳の通り。人々の喧騒。
だが、イルマに向けられる視線は消えない。
興味。軽蔑。好奇。
それらを、彼女はただ受け流す。
「……慣れているな」
ルートヴィヒが言う。
「はい」
短い返事。
だが、その後で——
「……でも」
少しだけ声が落ちた。
「エルザも、これを……」
言葉を切る。
想像はできた。
あの少女が、この視線の中にいた姿を。
ルートヴィヒは何も言わなかった。
ただ、歩みを少し早めた。
——カフェのテラス。
新聞を広げる。
見出しが、すぐに目に飛び込んできた。
“PNの暴徒、再び襲撃”
“反逆者エルザ、魔女として暗躍、旧大陸のスパイ”
“共和国の秩序を脅かす危険人物、テロリスト”
事実と、誇張と、虚構。
すべてが混ざっている。
イルマは眉をひそめた。
「……ひどいですね」
「事実確認もしていない記事だ」
ルートヴィヒも静かに言う。
「だが、こうして世論は作られる」
そのとき——
遠くから、声が聞こえてきた。
最初はざわめき。
やがて、それははっきりした“言葉”になる。
「——自由を!」
「PNに自由を与えろ!」
デモ隊だった。
旗を掲げ、声を上げる人々。
だが——
イルマは目を見開いた。
「あれ……」
「PNではないな」
ルートヴィヒが言う。
デモ隊をなしているのは、CIの市民たち。
商人、労働者、学生。
様々な人間が混ざっている。
「……意外ですね」
イルマは呟く。
ルートヴィヒは淡々と答えた。
「自由を掲げる国だ。こういう動きも出る」
だが——
別の声が上がる。道の反対側から。
「ふざけるな!」
「PNを甘やかすな!」
怒号。
石が投げられる。
デモ隊へ向かって。
イルマは思わず身を乗り出した。
「危ない——」
その瞬間、警官が飛び出す。
石を投げた男を取り押さえ、地面に押し倒す。
「……あれ?」
イルマは戸惑った。
「デモ隊の方を止めるかと思いました」
「そういう国だ」
ルートヴィヒは短く言う。
「表向きは、な」
その言葉の意味を考える間もなく——
横から声が割り込んできた。
「嬢ちゃん、驚いたかい?」
振り向くと、中年の男が立っていた。
粗末な服だが、目は鋭い。
「この国はな、自由ってやつが売りなんだ」
「だが本当は——」
男は身を乗り出す。
「資本家どもが、全部動かしてる」
「鉄道を敷いてな、周りの土地を買い占める」
「そんで値段を吊り上げて売る」
「儲かるんだよ、それが」
イルマは息を呑んだ。
(……同じだ)
自分の故郷。
奪われていった土地。
追われていった人々。
「だからPNが邪魔なんだ」
男は続ける。
「片付けたいんだよ。全部な」
そのとき、別の声が割り込んだ。
「言い過ぎだ!」
振り向くと、別の男が立っている。
きちんとした服装。
だが怒りに顔を歪めていた。
「確かに資本家はやりすぎだ!」
「だがそれだけじゃない!」
「神が怒っているんだ!」
「だからPNが立ち上がった!」
「これは罰だ!」
「このままじゃ、もっと酷くなるぞ!」
「やり方を変えなきゃならないんだ!」
「馬鹿言うな!」
最初の男が怒鳴る。
「神だと?そんなもんで説明できるか!」
「現実を見ろ!」
「お前こそ目を覚ませ!」
二人は互いに詰め寄る。
口論は激しくなり、周囲の客たちもざわめき始める。
イルマはその光景を見つめていた。
自由を叫ぶ者。
それを否定する者。
理屈で語る者。
神を持ち出す者。
そして——
そのどれもが、間違いとは言い切れない。
「……複雑ですね」
ぽつりと呟く。
ルートヴィヒはゆっくりと頷いた。
「だからこそ、戦争になる」
遠くで、まだデモの声が響いている。
その中で——
エルザという一人の少女が、どれほど孤独だったのか。
二人は、初めて少しだけ理解した気がした。




