拘束対象
霧のような陽炎が、平原に揺れていた。
その中を進んでいた共和国防衛隊の部隊は、やがて足を止める。
「……おかしい」
先頭の兵が呟く。
「道は、こっちで合っているはずだ」
だが、目の前にあるはずの村は見えない。
地図と現実が、微妙に食い違っている。
「さっきも同じ場所を通らなかったか?」
別の兵が言う。
ざわめきが広がる。
方向感覚が、曖昧になる。
同じ景色が、繰り返される。
木の位置も、丘の形も、どこか歪んでいる。
「……幻覚か」
隊長が低く呟いた。
「PNの呪術師だ」
緊張が走る。
だが、敵は見えない。
銃を構えても、撃つ相手がいない。
時間だけが過ぎていく。
その間に――
「急いで!」
エルザは村人たちを誘導していた。
森の奥へ。
川沿いへ。
目立たぬ道を選び、できるだけ遠くへ。
「振り返らないで、走って!」
子供の手を引き、老人を支え、村人たちを押し出す。
幻覚が、時間を稼いでいる。
だが――
「……全部は、無理」
小さく呟く。
すべての村を救うことなどできない。
それでも、止まれなかった。
別の日。
別の場所。
エルザがきた時にはすでに部隊が村に迫っていた。
エルザは、ライフルを構える。
「……ごめん」
誰に向けた言葉かもわからないまま、呟く。
弾を込める。
呪文を唱える。
引き金を引く。
放たれた魔弾は、兵士たちの足元で炸裂し――
幻覚をみせた。
見えない何かに襲われたかのように、兵士たちが後退する。
「撤退! 一時撤退だ!」
混乱が広がる。
その隙に、村人たちは逃げる。
だが、
エルザは、すでに敵となっていた。
共和国防衛隊の中で、その名が広がる。
「例の呪術師か」
「進軍を妨害している奴だ」
「幻覚を使うらしい」
「魔弾もだ」
やがて命令が下る。
――発見次第、拘束せよ。
新聞もまた、それを伝えた。
見出しは大きく躍る。
“辺境に現れた謎の呪術師、軍の作戦を妨害”
“呪術師…幻術と魔弾で部隊を翻弄”
誇張と憶測が混ざった記事。
だが、名は広まった。
そして――
旧大陸にも、その報せは届く。
重厚な書斎。
窓から差し込む光の中で、伯爵は一通の書簡を読んでいた。
その前には、警官が二人。
手が、わずかに震えている。
「……エルザ」
低く呟く。
調査依頼。
身分照会。
そして――拘束対象。
それらの文字が、冷たく並んでいた。
「政府としても共和国との関係を悪くしたくはないのです。それなりの立場ということで、知らぬ存ぜぬでは済ませられません…申し訳ありませんが…」
伯爵は椅子の背もたれに背中を少しもたれかけて大きく息をした。
数日後の書斎
ソファにはあの
親友――ルートヴィヒ大佐が座っていた。
その隣には、士官。
イルマ少尉。
二人とも除隊していたが、要請を受けて伯爵のために復帰することにした。
「まさか復帰すると思わなかったよ……こんな形で…」
「命令だからな…」
短く言う。
「彼女を拘束する…」
沈黙が落ちる。
「我々も、共和国へ向かう」
続けて言う。
「一時的に、共和国防衛隊の身分が与えられることになっている…」
イルマその表情には、迷いがあった。
「……あの子が、そんなことをするなんて」
信じきれないように呟く。
伯爵は静かに椅子に腰を下ろした。
「彼女は……信念で止めようとしているだけだ…」
低い声。
「だが、それが……」
言葉を切る。
ルートヴィヒは腕を組む。
「戦場では、意図など関係ない」
現実的な言葉だった。
「行動と結果がすべてだ」
イルマが顔を上げる。
「でも……あの子は……」
言葉に詰まる。
伯爵は目を閉じる。
「行かせければよかった…わかっていたのに…」
ぽつりと呟く。
「魔術も、知識も……すべて教えた…」
拳を握る。
「それが……こんなことに…」
ルートヴィヒは静かに言う。
「だからこそ、我々が行く」
視線を向ける。
「止めるさせるために」
イルマも小さく頷いた。
「……連れ戻します」
伯爵は、ゆっくりと目を開けた。
「……頼む」
その頃――
駐屯地の一室で、パトリックは椅子に座らされていた。
向かいには、上官たち。
「我々の作戦を妨害している例の呪術師について、知っていることを話してもらおう…」
上官の事務的な声。
パトリックは、しばらく黙っていた。
そして――
「了解です……知ってることは全てお話しします。」
エルザのこと。
BLACKWOLFのこと。
二人の関係。
知っている限りを話す。
事実だけを淡々と。
「つまり、その女は――」
「今のところ我が軍を妨害する以上敵です。ですが、完全に敵というわけではないと思います。」
「それはどうしてかね?」
上官が聞いてきた。
「それは、彼女がBLACKWOLFの協力者ではないからです。少なくともBLACKWOLFと行動を同じにはしていません。私には敵か味方か、わからない存在です…」
パトリックははっきりと言った。
沈黙。
「わかった。ありがとう少尉……それから君は異動だ…後方だ…」
俺は関わりすぎている…疑われているわけではないが、不安定な要素は抜いておきたい。そういうことだ。
パトリックは敬礼した。
「了解しました!ありがとうございます!」
そのまま部屋を出る。
廊下を歩く。
どこか現実感がなかった。
パトリックは前線の駐屯地から後方へと移動になった。彼は黙々と日々の任務をこなしていた。
そんな中でも情報は入ってくる。
エルザらしい情報…
BLACKWOLFの仲間達が駐屯地や鉄道を襲う情報。
そんな情報を見聞きする度に、モヤモヤするのを感じていた。
あのとき…
BLACKWOLFと初めて会ったとき…
あそこでもう少し話せていたら…
今とは違ったのでは…
あのとき、エルザと話しておけば…
もう戻れない…
今もしまた会えたらなにが言えるだろ…
そんなことを考えていた…
ある日の後方の駐屯地。
「少尉!司令がお呼びです!」
部下が駆け寄ってくる。
「なんだ?」
息を切らしながら、部下は言った。
「……BLACKWOLFからの使者が前線で捕まったそうです!」
パトリックの足が止まる。
やがて、パトリックは小さく笑った。
「……忙しいな、ほんとに」
だが、その目は――
どこか、覚悟を決めたように静かだった。
司令官室
「……自分が、ですか?」
パトリックは驚いた声をあげた。
「そうだ。BLACKWOLFは君と話すことを望んでいる。以前、接触しているな…」
「しかし、そのときは…」
短い沈黙の後――
「司令部では君とBLACKWOLFの話し合いを許可するそうだ。」
命令だった。
今さら何をBLACKWOLFと話すのか…
もう作戦は始まっている。
後方に飛ばされた1士官と話してなんになるのか…
司令部はなんで許可するのか…
パトリックは知らなかった。
それが時間稼ぎであることを。
罠であることを。
彼はただ、可能性を見ていた。
まだ終わっていない何かを。
だがその裏で――
列車は走り続けていた。
村を空にしながら。
怒りを積み上げながら。
そして、BLACKWOLFは――
静かに、確実に、孤立していった。




