第9話「師弟の時間」
工房の朝は、薬草の香りで始まる。
窓から差し込む朝日が、作業台に並べられたヒールハーブを照らしていた。エミリアとルーカスは、それぞれの持ち場で準備を始めている。
「師匠、今日の薬草の選別、終わりました」
エミリアが籠を持ってきた。いつものように、丁寧に選ばれた良質な薬草だ。
「完璧だな。じゃあ、今日はエミリア、君が一人でポーションを作ってみよう」
「え?」
エミリアの目が丸くなった。
「一人で...ですか?」
「ああ。もう基礎は理解してる。後は実践あるのみだ」
「で、でも...失敗したら」
「失敗してもいい。むしろ、失敗から学ぶことの方が多い」
俺はエミリアの肩に手を置いた。
「大丈夫。俺が横で見てるから。困ったらすぐに助ける」
エミリアは不安そうだったが、やがてゆっくりと頷いた。
「...やってみます」
エミリアが作業台の前に立つ。その後ろで、俺とルーカスが見守る。
「まず、水を沸かします」
エミリアは魔道炉に魔力を流し込んだ。青白い炎が立ち上がる。
「温度計を差し込んで...目標は71度」
彼女の手が少し震えている。緊張しているのが分かる。
「落ち着いて。焦らなくていいから」
「はい...」
温度計の色がゆっくりと変化していく。エミリアは息を詰めて見つめている。
「70度...まだ...」
魔道炉の調整が難しい。温度が上がりすぎそうになって、慌てて魔力を弱める。
「あ...下がっちゃった」
「大丈夫。もう一度、ゆっくりと魔力を流して」
「はい...」
エミリアは深呼吸をして、再び魔力を注ぎ込む。今度は慎重に、少しずつ。
「71度...今です!」
「よし、ヒールハーブを投入」
計量した10gの葉を鍋に入れる。淡い緑色が水に溶け出していく。
「次は5分間、この温度を保つ」
「分かりました」
エミリアは真剣な顔で魔道炉を見つめている。温度が少しでも変わりそうになると、すぐに調整する。
横で見ているルーカスが、小声で呟いた。
「すごい集中力だな...」
「ああ。エミリアは真面目だからな」
5分後。砂時計の砂が全て落ちた。
「師匠、5分経ちました」
「よし。じゃあ、精製の魔法だ」
エミリアは手を鍋の上にかざした。
「『精製』」
淡い光が手のひらから溢れ、液体に溶け込んでいく。不純物が分離され、沈殿していく。
「10秒間...1、2、3...」
エミリアは小声で数えながら、一定の魔力を流し続ける。
「...8、9、10!」
魔法を解除する。液体の透明度が上がっている。
「良い感じだな」
「本当ですか!?」
エミリアの顔がパッと明るくなった。
「ああ。次は混合だ。マナグラスの抽出液を加えて」
「はい」
事前に準備しておいた抽出液を、計量しながら加えていく。
「ヒールハーブ50ml、マナグラス30ml、蒸留水20ml...」
正確に測り、混ぜ合わせる。
「最後に混合の魔法」
「『混合』」
液体が均一に混ざり合い、美しい淡い青緑色に変わっていく。
「できた...」
エミリアは信じられないという顔で、自分が作ったポーションを見つめていた。
「冷却して、品質チェックをしよう」
30分後。常温まで冷えたポーションを、俺は光にかざしてみた。
「透明度...良好だな」
「本当ですか!?」
「ああ。次は効果測定だ」
俺はナイフで指を軽く切った。
「師匠!」
「大丈夫。これがテストだから」
エミリアが作ったポーションを一滴、傷口に垂らす。
時計を見ながら、治癒の速度を観察する。
「...30秒。及第点だ」
俺の標準は28秒だが、初めての製造で30秒なら十分だ。
「エミリア、合格だ」
「...え?」
「君が一人で作ったポーション、品質基準をクリアしてる」
エミリアの目に、涙が浮かんだ。
「本当に...私が作ったんですか?」
「ああ。君の実力だ」
「師匠...」
エミリアは両手で顔を覆った。肩が小刻みに震えている。
「ずっと、ずっと憧れてたんです。錬金術師になることが」
「うん」
「でも、私は貧乏な家の子で、ギルドに入るお金もなくて...諦めてました」
「そうだったんだな」
「なのに、師匠は私を弟子にしてくれて、こんなに丁寧に教えてくれて...」
エミリアは顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、でも笑っていた。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
俺は何も言わずに、エミリアの頭を撫でた。
「これからも一緒に頑張ろう」
「はい!」
その様子を見ていたルーカスが、羨ましそうに呟いた。
「良い師弟関係だな...」
「ルーカスさんも、すぐにできるようになりますよ」
エミリアが涙を拭きながら言った。
「ありがとう。でも、俺には変な癖がついてるから、エミリアさんより時間がかかるかもしれない」
「変な癖?」
「ああ。王都のギルドで学んだ方法が、染み付いてるんだ」
ルーカスは苦笑した。
「目分量、適温、経験と勘...全部、忘れないといけない」
「大変ですね」
「でも、やる価値がある。アレン師匠のやり方は、明らかに正しいから」
ルーカスは真剣な顔で俺を見た。
「俺も、一日でも早く戦力になりたい」
「焦らなくていい。一つずつ、確実にやっていこう」
「はい」
昼過ぎ、いつものように冒険者たちが来店した。
「今日もポーションお願い!」
「はい、いらっしゃい」
接客している俺の後ろで、エミリアとルーカスが次の製造準備をしている。
「アレンさん、今日は弟子さんたちが頑張ってるね」
リリアが嬉しそうに言った。
「ああ。エミリアが今日、初めて一人でポーションを完成させたんだ」
「え、本当!?すごいじゃん、エミリア!」
リリアの声に、エミリアが恥ずかしそうに顔を赤くした。
「ま、まだまだです...」
「いやいや、すごいって!私なんて、ポーションの作り方なんて全然分かんないもん」
「リリアさんは剣の才能があるじゃないですか」
「そうかなあ?」
二人の会話を聞きながら、俺は微笑んだ。
こういう日常が、心地いい。
前世では、職場の人間関係なんて最悪だった。上司は無能、同僚は無関心。誰も俺の話を聞いてくれなかった。
でも、ここは違う。
エミリアは熱心に学び、ルーカスは真剣に取り組み、リリアは明るく応援してくれる。
「良い仲間に恵まれたな」
「え?何か言った?」
「いや、何でもない」
リリアが不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔に戻った。
「じゃあ、今日も2本もらうね!」
「ありがとうございます」
夕方、全ての在庫が売り切れた後。
三人で工房の掃除をしながら、今日の振り返りをした。
「エミリア、初めての製造、どうだった?」
「緊張しました。でも...すごく楽しかったです」
エミリアは嬉しそうに笑った。
「自分で作ったものが、ちゃんと効果があるって分かった時、感動しました」
「それが職人の喜びなんだよ」
俺も前世で、何度もその感動を味わった。自分が開発した製品が、世に出て、人の役に立つ。それが何よりの報酬だった。
「ルーカスさんも、明日は実践してみましょう」
「はい。エミリアさんを見習って、頑張ります」
「俺が横で見てるから、安心して」
「ありがとうございます、師匠」
三人で並んで作業台を拭きながら、俺はふと思った。
これが、俺が本当に欲しかったものだ。
前世では得られなかった、信頼できる仲間。一緒に成長できる環境。互いに高め合える関係。
「この工房を、もっと大きくしたいな」
「え?」
エミリアとルーカスが驚いて俺を見た。
「いつか、この工房から、業界を変えるような製品を生み出したい」
「師匠...」
「そのためには、君たちの力が必要なんだ。一緒に、錬金術の未来を作ろう」
二人は顔を見合わせて、それから力強く頷いた。
「はい!」
「任せてください!」
その夜、工房の裏手で、俺は薬草栽培の準備を進めていた。
土壌改良は順調だ。堆肥と腐葉土を混ぜ込んで、土が柔らかくなってきた。
「明日、マーティンさんから苗を買ってこよう」
月明かりの下、耕された土を見つめる。
ここで育った薬草で、ポーションを作る。完全に品質をコントロールできる、理想的な環境。
「垂直統合...か」
前世で学んだビジネス用語が頭に浮かぶ。原材料から製造、販売まで、全てを自社で管理する。それによって、品質とコストを最適化する。
「この世界でも、同じことができる」
工房の窓を見上げると、エミリアとルーカスの影が見えた。二人とも、まだ勉強しているようだ。
「良い弟子を持ったな」
俺は小さく笑って、工房に戻った。
翌朝、開店前。
俺は二人に、これからの方針を伝えた。
「これから、段階的に生産量を増やしていく」
「本当ですか!?」
「ああ。でも、品質は絶対に落とさない。そのために、君たちの成長が必要なんだ」
エミリアとルーカスは真剣な顔で頷いた。
「目標は、1日30本。今の倍だ」
「30本...」
「最初は無理かもしれない。でも、三人で協力すれば、必ずできる」
「はい!」
「頑張ります!」
二人の返事に、俺は満足そうに頷いた。
「よし。じゃあ、今日も始めよう」
工房の扉を開けると、既に冒険者たちが並んでいた。
「おはようございます!」
「今日もポーションお願いします!」
「はい、お待たせしました」
賑やかな朝が始まる。
エミリアが薬草を準備し、ルーカスが器具を洗い、俺が接客をする。
小さな工房だが、確実に前進している。
いつか、この小さな工房が、王国中に知られる日が来る。
その日を夢見て、俺たちは今日も働く。
師弟の時間が、ゆっくりと流れていく。
【第9話 完】
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