第7話「データの力」
工房の作業台に、俺は過去一週間分の製造記録を広げていた。
羽根ペンで細かく記された数字の羅列。温度、時間、魔力量、材料の分量。そして、完成したポーションの効果測定結果。
「さて...パターンが見えてくるはずだ」
前世で品質管理部門にいた俺は、データ分析の重要性を叩き込まれていた。感覚や経験も大切だが、それだけでは再現性がない。数値化し、分析し、法則を見つける。それが科学的アプローチだ。
朝の光が差し込む工房で、俺は一つ一つのデータを読み解いていく。
「師匠、おはようございます!」
エミリアが元気よく工房に入ってきた。両手には、いつものように薬草の籠を抱えている。
「おはよう、エミリア。今日も良い薬草だね」
「はい!昨日教わった選別方法で、さらに厳しくチェックしました」
彼女は誇らしげに籠を見せてくれた。ヒールハーブの葉は、どれも鮮やかな緑色で、傷一つない。
「完璧だ。じゃあ、今日は抽出作業もやってみようか」
「本当ですか!?」
エミリアの目がキラキラと輝いた。
「ああ。でもその前に、これを見てくれ」
俺は製造記録を彼女に見せた。
「これは...数字がいっぱいですね」
「そう。これが過去一週間の全製造データだ」
エミリアは真剣な顔でノートを覗き込む。
「師匠は、毎日こんなに細かく記録してるんですか?」
「ああ。この数字の中に、品質向上のヒントが隠れているんだ」
「ヒント...ですか?」
「例えば、この日のポーション。効果測定で最高スコアを出している」
俺は特定の行を指差した。
「その日の温度は71度、抽出時間は5分30秒、魔力注入量は...ふむ。他の日と比べて、微妙に条件が違う」
「本当だ...でも、たった1度の違いで、そんなに変わるんですか?」
「それを確かめるのが、今日の実験だ」
俺たちは早速、実験を開始した。
「今日は同じ薬草を使って、温度だけを変えて3パターン作ってみる」
「はい!」
魔道炉に魔力を流し込み、鍋に水を張る。温度計を差し込んで、慎重に温度を調整していく。
「まず、69度で抽出してみよう」
「69度...今です!」
エミリアが温度計の色の変化を見て報告する。
「よし。ヒールハーブ10gを投入」
細かく刻んだ葉が、水に溶け込んでいく。淡い緑色が広がる様子を、二人でじっと見つめる。
「5分後に精製の魔法をかける。その間、温度を一定に保つんだ」
「分かりました!」
エミリアは真剣な顔で魔道炉の調整を手伝ってくれる。温度が上がりそうになると魔力を弱め、下がりそうになると強める。
「上手だな、エミリア」
「ありがとうございます!でも、難しいですね...」
「最初はみんなそうだ。俺も最初は何度も失敗した」
5分後。俺は精製の魔法をかけた。
「『精製』」
淡い光が液体に溶け込み、不純物が沈殿していく。
「次は71度で同じことをやる」
同じ手順を繰り返す。今度は71度。エミリアも慣れてきたのか、温度管理がスムーズだ。
「そして最後に、73度」
三つ目のサンプルも完成した。
「これで実験用のサンプルは揃った。後は冷却して、効果をテストする」
「どうやってテストするんですか?」
「簡単な方法だよ」
俺は小さなナイフを取り出した。
「え、まさか...」
「自分の体で試すのが一番確実だ」
30分後。三つのポーションが常温まで冷えた。
俺は左手の指に、わざと小さな切り傷を三つ作った。
「いてて...」
「だ、大丈夫ですか、師匠!?」
「平気平気。このくらいなら」
まず、69度で作ったポーションを一滴、最初の傷に垂らす。
時計を見ながら、治癒の速度を観察する。
「傷が塞がるまで...35秒か」
ノートに記録する。
次に、71度のポーション。
「...28秒。明らかに早い」
そして、73度。
「30秒。71度より少し遅いな」
エミリアは驚いた顔で俺の手を見ていた。
「本当だ...温度で効果が変わってる」
「そうなんだ。たった2度の違いでも、効果に差が出る」
俺は製造記録に結果を書き込んだ。
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【温度実験結果】
69度: 治癒時間35秒
71度: 治癒時間28秒(最速)
73度: 治癒時間30秒
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「つまり、71度が最適温度ってことか」
「すごい...数字で分かるんですね」
エミリアは感心したように呟いた。
「これが、データの力だ。感覚だけに頼っていたら、この違いには気づけない」
昼過ぎ、いつものように冒険者たちが来店した。
「今日もポーションお願い!」
「俺も2本!」
今日の在庫は、最適温度71度で作った15本。いつもより少し品質が上がっているはずだ。
「ありがとうございます」
販売しながら、俺は客の反応を観察していた。
「...なんか、今日のポーション、いつもよりすごくない?」
一人の冒険者が呟いた。
「え、そう?」
「いや、確かに。飲んだ瞬間、体に染み込む感じが違う」
「本当だ。傷の治りも早い気がする」
客たちがざわついている。やはり、温度の最適化は効果があったようだ。
「アレンさん、何か変えたの?」
リリアが不思議そうに聞いてきた。
「ああ、製造温度を少し調整してみたんだ」
「たったそれだけで、こんなに変わるの!?」
「品質管理ってそういうものなんだよ。小さな改善の積み重ねが、大きな差になる」
リリアは感心したように頷いた。
「アレンさん、やっぱりすごいや」
夕方、全ての在庫が売り切れた後。
俺とエミリアは、次の実験計画を立てていた。
「温度の最適化は成功した。次は、抽出時間だな」
「抽出時間...ですか?」
「ああ。今は5分でやっているけど、もっと短くできないか、あるいは長くした方が良いのか」
俺はノートに新しいページを開いた。
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【次回実験計画】
4分、5分、6分で抽出
温度は最適値の71度で固定
他の条件も全て統一
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「こうやって、一つずつ変数を変えて実験する。これをパラメータスタディって言うんだ」
「パラ...メータ?」
「前世で——じゃなくて、昔学んだ方法だよ。一度に複数の条件を変えると、何が効果に影響したのか分からなくなる。だから、一つずつ確実に」
エミリアは熱心にメモを取っている。
「師匠の教え方、本当に分かりやすいです」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
その時、工房の扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、見慣れない男性だった。質素だが清潔な服装。腰には薬草袋を下げている。
「どちら様ですか?」
「私はマーティンと申します。隣街の薬草商をやっております」
薬草商?
「実は、噂を聞いて参りました。この街に、素晴らしい錬金術師がいると」
「それは...ありがとうございます」
マーティンは真剣な顔で俺を見た。
「単刀直入に申し上げます。私の商会で扱っている薬草を、あなたに納品させていただけないでしょうか」
「薬草の納品...ですか」
「ええ。現在はエミリアさんから仕入れていると聞きましたが、量が足りないのではありませんか?」
確かに、エミリア一人では限界がある。需要が増え続ければ、いずれ薬草不足になる。
「品質の保証は?」
「もちろんです。サンプルをお持ちしました」
マーティンが差し出した薬草を確認する。
葉の色、香り、質感...どれも及第点だ。エミリアが採ってくるものと同等の品質がある。
「悪くないですね。でも、うちは品質基準が厳しいですよ」
「承知しております。むしろ、その厳しさに期待しているのです」
マーティンは微笑んだ。
「正直に申しますと、私も品質にこだわりたい。でも、多くの錬金術師は『見た目が良ければいい』としか言わない。あなたのように、本当の品質を見る目を持つ人は稀です」
俺はマーティンの目を見た。嘘は言っていないようだ。
「分かりました。試しに取引してみましょう」
「ありがとうございます!」
マーティンが帰った後、エミリアが不安そうに言った。
「あの、師匠...私の薬草、もう必要ありませんか?」
「え?何を言ってるんだ」
俺は驚いてエミリアを見た。
「エミリアの薬草は、引き続き使うよ。マーティンさんのは、追加の供給源ってだけだ」
「本当...ですか?」
「もちろん。それに、エミリアには別の仕事を任せたいんだ」
「別の仕事?」
「薬草の栽培だ」
エミリアの目が輝いた。
「栽培...!」
「ああ。野生の薬草に頼るだけじゃ、安定供給は難しい。だから、工房の裏で試験的に栽培を始めようと思う」
「やります!私、やりたいです!」
エミリアは嬉しそうに飛び跳ねた。
「前世の——じゃなくて、昔学んだ農業技術を教えるよ。土壌改良、水やりのタイミング、最適な日照条件...」
「はい!全部学びます!」
その夜、俺は一人、製造記録を更新していた。
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【今日の成果】
1. 最適温度の特定: 71度
2. 効果の向上: 治癒時間が約20%短縮
3. 次回実験計画: 抽出時間の最適化
4. 新規取引先: マーティン薬草商会
5. 新プロジェクト: 薬草栽培計画
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「一歩ずつ、確実に前進している」
データを分析し、仮説を立て、実験で検証する。このサイクルを回し続ければ、必ず品質は向上する。
前世で学んだPDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act)が、この世界でも機能している。
「王都のギルドは、こういうやり方を否定した。でも、結果が全てだ」
俺のポーションは、確実に進化している。客の反応が、それを証明している。
窓の外を見ると、リバーサイドの街に静寂が訪れていた。
明日も実験だ。抽出時間の最適化。その次は魔力注入量。そして、混合比率。
改善の余地は、まだまだある。
「この調子で行けば、いつか王都のポーションを超えられる」
いや、もう超えているかもしれない。
俺は小さく笑って、ノートを閉じた。
データの力を信じて、明日も前進しよう。
【第7話 完】
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