第6話「品質は、『強さ』ではない」
工房の前には、開店前から20人近い冒険者が並んでいた。
対して、棚に置けたポーションは15本。
昨夜、俺とエミリアで日付が変わるまで作った分だ。採取時刻まで記録し、一本ずつ検査も終えている。どれも品質には問題ない。
問題があるとすれば、数だけだった。
「本日は、お一人様一本まででお願いします」
扉を開けて告げた途端、列のあちこちから声が上がった。
「一本だけか?」
「明日から洞窟に三日潜るんだ。せめて三本は欲しい」
「昨日も買えなかったんだぞ」
責める調子ではない。困っているのだ。
だからこそ、胸が痛んだ。
「申し訳ありません。今の設備では、これが限界です」
一人ずつ事情を説明しながら販売したが、15本は20分も経たずに売り切れた。
列の後ろにいた五人には、頭を下げるしかなかった。
「明日の分を取り置きできないか」
「先に予約した人だけで埋まってしまうと、怪我をして駆け込んできた人の分がなくなります。申し訳ありません」
自分で口にしながら、苦しくなる。
必要とされるものを作った。それなのに、必要とする人へ届けられない。
品質を守るだけでは、人を救えないことがある。
最後の客が帰った後も、俺は空になった棚の前から動けなかった。
昼前、リリアが工房へやってきた。
「おはよう、アレンさん! 今日の分、まだ――って、もう空っぽ?」
「20分で完売しました」
「早っ!」
呆れたように笑ったリリアの右手には、布が巻かれていた。指の付け根に、赤い染みが浮いている。
「その傷、どうしたんですか」
「朝の訓練でちょっとね。剣の柄で擦っただけ。これくらいなら、放っておいても治るよ」
「ですが――」
俺は反射的に棚を見た。
一本もない。
昨日までなら、こういう傷にも同じポーションを使っていた。腹を裂かれたジェイクを救ったものと、まったく同じ一本を。
リリアは俺の視線に気づくと、包帯をひらひら振った。
「こんな擦り傷に、あのポーションはもったいないよ。ジェイクみたいな怪我をした人のために取っておかなきゃ」
「でも、傷は傷です」
「そりゃそうだけど。小さな傷と、死にそうな傷は違うでしょ?」
当たり前の一言だった。
なのに、俺はすぐに返事ができなかった。
そこへ、薬草を選別していたエミリアが顔を上げた。
「師匠。薬草だって、全部を同じ使い方にはしません」
「どういうことですか?」
「一番香りが強い葉は、ポーション用にします。でも、少し小さい葉や、端が欠けただけの葉は、村では塗り薬や湿布に使っていました。腐っていたら捨てますけど、使い道が違うだけなら、悪い葉じゃありません」
エミリアは、選別済みの籠を指した。
「同じ薬草でも、向いている仕事が違うんです」
向いている仕事。
俺は空の棚と、リリアの手の包帯を見比べた。
頭の中で、二つの言葉がぶつかった。
効果を落とす。
用途を分ける。
似ているようで、まったく違う。
「……半分の濃さでも、小さな傷には十分かもしれない」
俺が呟くと、リリアが首をかしげた。
「薄めるってこと?」
「ただ水を足して売る、という意味じゃありません」
自分に言い聞かせるように答えた。
「用途を決めて、その用途に必要な効果を毎回満たすように作るんです。重傷用と、軽傷用。違う製品として」
品質とは、何でも最高性能にすることではない。
定めた用途に必要な性能を、約束どおりに満たすことだ。
ただし、その違いを隠した瞬間、不良品になる。
王都のギルドが売っていたポーションは、効くものも効かないものも、同じ瓶に入り、同じ名前で売られていた。だから命を預けられなかった。
最初から用途を分け、見分け方と限界を伝えるなら、それはごまかしではない。
新しい規格だ。
「試してみましょう」
俺は作業台の上に、三本の試験瓶を並べた。
「ただし、売るのは効果と限界を確かめてからです」
試験には、完成済みの標準ポーションを使った。
原液のままのもの。濃度を二分の一に調整したもの。四分の一まで下げたもの。
薄める水も、ただの井戸水ではない。一度蒸留し、煮沸したものを使う。混ぜた後は、もう一度『混合』をかけ、濁りや沈殿が出ないかを確かめた。
瓶には、アレン、エミリア、リリアの三人が分かる記号だけを振った。どれがどの濃度かを知っているのは俺だけだ。
「私も見るの?」
「先入観なしで、傷の変化を見てください。俺一人の判断にはしたくありません」
俺は腕に、針先ほどの浅い傷を三つ作った。
「師匠、最近そればかりですね……」
エミリアが心配そうに眉を寄せる。
「これが終わったら、しばらく自分を試験台にするのは禁止にします」
「絶対ですよ」
一本目を一滴、傷口に落とす。
すぐに出血が止まり、皮膚が閉じた。
二本目も、少し時間はかかったが、問題なく塞がった。
三本目は、血は止まったものの、傷口が完全に閉じるまでかなり時間がかかった。
リリアが三本の瓶を指差した。
「最初のは、いつものだよね。二本目なら、私の手の傷には十分そう。三本目は……ちょっと心細いかな」
「同感です」
エミリアも頷いた。
俺は記録を開示した。
一本目が原液。二本目が二分の一。三本目が四分の一。
「二分の一を、軽傷用の候補にします。ただし、擦り傷や浅い切り傷だけ。深い傷、大量出血、骨折には使わない」
「間違えて使う人が出ませんか?」
エミリアの指摘はもっともだった。
文字を読まない者もいる。暗い洞窟の中では、ラベルを読む余裕がないこともある。
「瓶そのものを見分けられるようにしましょう」
俺は紙に二本の瓶を描いた。
「これまでの下級回復ポーションは、赤い封蝋。軽傷用は青い封蝋にして、瓶の首へ麻紐を一巻きします。暗闇でも、触れば分かるように」
「それなら、戦ってる最中でも間違えないね」
リリアが自分の腰のポーチを探りながら言った。
「重い方を2本、軽い方を3本。私なら、そう持つかな。小さな傷で大事な2本を使わなくて済むし」
客の使い方まで、ようやく見えてきた。
「価格は、軽傷用を銀貨1枚にします」
「いつもの半額?」
「はい。効果も用途も違いますから。同じ値段にはできません」
リリアは嬉しそうに笑った。
「それなら、駆け出しでも買いやすいよ」
一方で、エミリアは試験瓶を見つめたままだった。
「師匠。一回うまくいっただけで、売って大丈夫ですか?」
俺は思わず、彼女を見た。
昨日までなら、俺が口にしていた言葉だ。
「……その通りです。同じ条件でもう三回作り、保存後にも分離しないか確かめます」
「はい」
エミリアは満足そうに頷いた。
弟子に教えているつもりで、こちらが教えられている。
悪くない気分だった。
翌朝、棚には二種類のポーションが並んだ。
赤い封蝋の下級回復ポーションが8本。
青い封蝋の軽傷用ポーションが14本。
使った有効成分の量は、これまでの15本分と同じだ。だが、用途を分けたことで、店に並べられる本数は22本になった。
開店前、俺は列に並んだ冒険者たちへ説明した。
「赤は、これまでと同じ下級回復ポーションです。深い傷や、出血の多い怪我はこちらを使ってください。青は軽傷用です。浅い切り傷や擦り傷に限ります。重傷には使わないでください」
「青を2本飲めば、赤1本と同じになるのか?」
すぐに質問が飛んできた。
「同じとは保証できません。吸収の速さや、怪我の状態で結果が変わります。重傷には、最初から赤を使ってください」
「値段は?」
「赤が銀貨2枚、青が1枚です」
列がざわめいた。
最初に前へ出てきたのは、ジェイクたちだった。
「赤を2本、青を3本」
ジェイクが迷わず注文する。
「昨日リリアから聞いた。いい分け方だと思うぜ。今までは、ちょっとした傷に使うかどうかで迷ってたからな」
エレンも青い瓶を手に取り、首に巻かれた麻紐を指で確かめた。
「これなら暗くても間違えない」
トムは説明書きを読みながら、小さく頷いている。
「使ってはいけない怪我まで書いてある薬なんて、初めて見ました」
その言葉に、俺は少し驚いた。
効くことを誇る売り手は多い。
効かない範囲を伝える売り手は、ほとんどいない。
でも、命を預けてもらうなら、必要なのは両方だ。
22本は、昼前に完売した。
全員に行き渡ったわけではない。それでも、昨日より7人多く、必要な薬を持って出発できた。
客が引いた後、俺は売上記録の横に、新しい表を作った。
――製品規格。
【下級回復ポーション(標準品)】
封:赤/価格:銀貨2枚
用途:深い切創、出血を伴う負傷
【軽傷用ポーション】
封:青・瓶首に麻紐一巻き/価格:銀貨1枚
用途:擦過傷、浅い切創
禁止:大量出血、深い刺創、骨折
俺は最後に、一行を書き加えた。
効くと言った範囲で、必ず効くこと。
効かない範囲を、先に伝えること。
「師匠」
隣で記録を写していたエミリアが、青い瓶の試験結果を指した。
「同じ濃さで作った三回目だけ、少し治るのが遅いです」
「本当だ」
製造記録をたどる。
材料も、分量も、抽出時間も同じ。
違っていたのは、抽出温度が1度だけ高かったこと。
原液では目立たなかった小さな差が、濃度を下げたことで、結果にはっきり表れたらしい。
最高の一本を作る条件では足りない。
誰が作っても規格を外れない、許される温度の幅を知らなければならない。
「次は、温度を調べましょう」
俺は新しいページを開いた。
点ではなく、幅を見つけるために。
(第6話 完)
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