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第15話「第一章の終わり、新たな始まり」

リバーサイドに移住してから、三ヶ月が過ぎようとしていた。


工房の朝は、以前とは比べものにならないほど活気に満ちている。


「おはようございます、師匠! 今日の薬草、収穫してきました!」


裏手の畑から、エミリアが元気よく入ってきた。抱えた籠には、朝露に濡れたヒールハーブが山盛りに積まれている。


「おはよう、エミリア。……うん、葉の色艶も完璧だ。栽培技術も完全に板についたな」


「えへへ、ありがとうございます! 師匠の『土壌改良マニュアル』のおかげです」


エミリアは嬉しそうに笑うと、手際よく選別作業に移った。彼女はもう、ただの見習いではない。薬草栽培部門の責任者として、新人のマリアたちを指導する立場にある。


「師匠、抽出班の準備も完了しています。今日の目標生産数は150本。魔道炉の温度も安定しています」


報告に来たのはルーカスだ。彼は製造部門のリーダーとして、俺の右腕となってくれている。


「ありがとう、ルーカス。昨日の不良品率は?」


「0.5%です。マリアが少し魔力制御をミスしましたが、最終チェックで弾きました。リカバリー済みです」


「0.5%か……優秀だ。ギルド時代とは比べものにならないな」


「はい。データ管理のおかげで、どこでミスが起きやすいか予測できるようになりましたから」


ルーカスは誇らしげに胸を張った。かつて王都のギルドで「感覚派」の指導に苦しんでいた彼は、今や誰よりも「データ派」の錬金術師に成長している。


俺は工房を見渡した。


拡張工事を終えた広い工房には、十名ほどのスタッフが働いている。 エミリア、ルーカス、マリア、マルクス、それに新しく採用した弟子たち。 全員が俺の作成した『製造マニュアル Ver.2.0』に基づき、正確無比な作業を行っている。


温度計を確認する目。 砂時計で時間を計る手。 製造記録を書き込むペン。


そこには、かつて俺が王都で否定された「管理された錬金術」の姿があった。


「順調だな……」


俺は小さく呟き、自分のデスクに向かった。そこには、昨日締め切った月次報告書が置かれている。


---------------------------


【今月の成果】


総生産数: 3,500本


総売上: 金貨70枚


不良品率: 0.8%未満


顧客満足度: 非常に高い(リピート率90%超)


---------------------------


数字は嘘をつかない。 俺たちは、この辺境の街で、確実な成功を掴んでいた。



昼休み。工房の休憩室は賑やかだった。


「ねえねえ、聞いた? アレンさんのポーション、隣街でもすごい評判らしいよ!」


「知ってる! 行商人さんが『もっと仕入れたい』って泣きついてきたもん」


弟子たちが楽しそうに話している。 そんな中、工房の扉が勢いよく開いた。


「アレンさーん!!」


聞き慣れた、元気な声。 金髪をなびかせて飛び込んできたのは、リリアだった。


「おっ、リリア。今日は早いな」


「見て見て! これ!」


彼女は俺の目の前に、一枚のプレートを突き出した。 そこには『D』の文字が刻まれている。


「D級昇格……おめでとう、リリア!」


「えへへ、やったよー! ついにD級冒険者だよ!」


リリアは子供のように飛び跳ねている。


「これも全部、アレンさんのポーションのおかげだよ。怪我を恐れずに踏み込めるから、格上の魔物も倒せるようになったの」


「それはリリアの実力だよ。俺はサポートしただけだ」


「ううん、アレンさんがいなかったら、私まだE級で薬草採取してたと思うもん。……あ、エミリアちゃん、そのサンドイッチ美味しそう! 一口ちょうだい!」


「あ、リリアさん! もう、しょうがないですねぇ」


エミリアが苦笑しながらサンドイッチを分ける。 その様子を見て、ルーカスや他の弟子たちも笑っている。


暖かい光景だ。 三ヶ月前、追放されて一人ぼっちだった俺が、こんなに多くの仲間に囲まれているなんて。


「アレンさん、また難しい顔してる」


ふと、リリアが俺の顔を覗き込んだ。


「え?」


「幸せな時は、もっと素直に笑っていいんだよ? アレンさんは頑張ったんだから」


彼女の青い瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……そうだな。ありがとう、リリア」


俺は素直に微笑んだ。


「わっ、アレンさんが笑った! レアだ!」


「失礼な。俺だって笑うときは笑うさ」


「あはは! 今日はお祝いね! 今夜は『銀の匙亭』で奢ってよね、アレンさん!」


「はいはい、分かったよ」


平和な日常。 充実した仕事。 信頼できる仲間。


このままずっと、この日々が続けばいい。 そう思えるほど、今の俺は満たされていた。


だが、変化の時は突然訪れる。



その日の夕方。 工房の片付けをしていると、ギルバートさんが血相を変えてやってきた。


「アレン君! いるかね!」


いつもの穏やかな彼らしくない、切羽詰まった声だった。


「はい、ここに。どうしました?」


「王都から……急使だ。これを」


ギルバートさんが差し出したのは、封蝋ふうろうが施された一通の書状だった。 封蝋の紋章を見て、俺は息を呑んだ。


剣と盾。 エルデンシア王国騎士団の紋章だ。


工房の空気が一変する。 エミリアの手が止まり、ルーカスが緊張した面持ちでこちらを見ている。


俺は慎重に封を開け、中身を取り出した。


「……」


羊皮紙に書かれた流麗な文字。 差出人は、ロベルト・フィッシャー。先日の視察に来た調達担当官だ。


俺は内容を目で追った。


『拝啓 アレン・クロフォード殿


先日は突然の訪問にも関わらず、丁寧な対応に感謝する。 貴殿より提供されたサンプル、および製造記録について、王都の研究所にて厳密な検査を行った。


結論から申し上げよう。 貴殿のポーションは、王国市場に流通している最上級品を凌駕する品質であると証明された。 特に、製造ロットごとのバラつきの無さ、不純物の少なさは驚異的であり、王宮錬金術師たちも驚愕していたことを付け加えておく。


つきましては、王国騎士団はアレン工房に対し、以下の契約を正式に打診する。』


そこから先には、信じられない数字が並んでいた。


---------------------------


契約内容: 王国騎士団指定供給業者サプライヤーへの認定

初回発注: 下級回復ポーション 3,000本 月次発注: 最低 1,000本を保証

単価: 市場価格の8割(ただし品質維持を条件とする)


---------------------------


読み終えた俺の手が、わずかに震えた。


「師匠……?」


エミリアが不安そうに声をかけてくる。


俺は顔を上げ、全員を見回した。


「みんな、聞いてくれ」


声が上ずらないように、腹に力を入れる。


「王国騎士団から、正式な契約依頼が来た。……月産1,000本の大口契約だ」


一瞬の静寂。 そして——。


「せ、せんぼん……!?」


「騎士団御用達ってことですか!?」


「すげぇ……!」


工房中がどよめきに包まれた。 ルーカスは口を開けたまま固まり、マリアは感極まって泣き出している。


「アレン君」ギルバートさんが興奮気味に言った。「これは歴史的なことだよ。辺境の一工房が、王家直属の騎士団と直接契約するなんて……前代未聞だ」


「はい……」


俺は書状を握りしめた。


嬉しい。もちろん嬉しい。 自分の技術が、品質管理という概念が、王国の最高機関に認められたのだ。 あのヴィクター・アルケミスに「規格外」と切り捨てられた技術が、正当に評価されたのだ。


だが同時に、重圧も感じていた。 月1,000本。これまでの生産体制のさらに上を行く数字だ。 しかも相手は騎士団。品質のミスは絶対に許されない。人の命に関わるからだ。


「……やれますか、師匠」


ルーカスが真剣な眼差しで聞いてきた。


俺は目を閉じた。 前世の記憶。製薬会社での日々。そして、この世界で積み上げてきた三ヶ月。


今の俺たちには、マニュアルがある。 教育システムがある。 何より、信頼できる仲間がいる。


俺は目を開き、力強く頷いた。


「ああ。やれるさ」


俺は全員に向かって宣言した。


「これはゴールじゃない。スタートだ。俺たちのポーションで、この国の常識を変える。……みんな、力を貸してくれるか?」


「もちろんです!!」


全員の声が重なった。 その響きは、どんな魔法よりも力強く、俺の背中を押してくれた。



その夜、祝勝会という名目のどんちゃん騒ぎを終え、俺は一人、工房に戻っていた。


月明かりだけが照らす静かな工房。 整理整頓された作業台。磨き上げられた器具。 ここが俺の城だ。


俺は一冊のノートを取り出した。 リバーサイドに来て最初に買った、あの安っぽいノートだ。 そこには、最初の試作品のデータから、今日に至るまでの全ての記録が残されている。


『製造記録』


ページをめくる。 最初はたった5本の試作から始まった。 リリアが買ってくれた20本。 エミリアと作った30本。 そして今、3,000本のオーダーを前にしている。


「ここまで来たんだな……」


感慨深く呟く。 前世の俺。過労死して、無念のまま終わった俺。 見てくれているか? お前が大切にしていた「品質管理」は、異世界でこんなにも大きな花を咲かせようとしているぞ。


「追放された錬金術師、か」


ふと、ヴィクターの顔が脳裏をよぎった。 あの時、彼に言われた言葉。 『職人の勘こそが全てだ。君にはそれが欠けている』


今なら、胸を張って言える。 勘など必要ない。俺にはデータがある。論理がある。そして仲間がいる。


「……ヴィクター様。見ていてください」


俺は窓の外、遠く王都の方角を見つめた。


「俺たちのポーションが、王都を、いや王国中を席巻する日は遠くない」


騎士団との契約は、あくまで第一歩だ。 これから忙しくなる。 生産ラインの増設、品質管理体制の強化、新たな人材の育成。 もしかしたら、王都のギルドからの妨害もあるかもしれない。


だが、不思議と恐怖はなかった。 むしろ、これから始まる挑戦に、心が踊っていた。


「さて……」


俺は新しいページを開き、ペンのインクをつけた。


---------------------------


【事業計画書】


目標:王国騎士団納品プロジェクトの完遂、および新規ポーションの開発


---------------------------


サラサラと文字を書き連ねていく。 新しいステージが始まる。 最弱職と呼ばれた錬金術師の、本当の逆転劇はここからだ。


ふと、風に乗って夜の香りがした。 それは薬草の香りであり、未来の香りでもあった。


俺はペンを置き、深く息を吸い込んだ。


「さあ、仕事の時間だ」


月が、俺たちの前途を祝うように、明るく輝いていた。

【第15話 完・第一章 完】

次回予告


王国騎士団との契約により、アレンの工房は新たなステージへ! しかし、急激な拡大は新たな歪みを生む。 不足する人手、迫る納期、そして王都から忍び寄る怪しい影……。 「品質だけは絶対に落とさない!」 アレンの経営手腕が試される第二章、開幕! 第16話「生産システムの確立」、お楽しみに!

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