第11話「商人の提案」
工房の裏手にある小さな畑。植えてから一週間が経ったヒールハーブの苗は、順調に根を張り始めていた。
「よし、いい感じだ」
朝の水やりを終えた俺は、満足そうに苗を見つめた。葉の色も良く、新しい芽も出てきている。エミリアの丁寧な世話のおかげだ。
「師匠、おはようございます!」
エミリアが工房から顔を出した。
「今日も元気だな」
「はい!苗も元気ですね」
「ああ。このペースなら、一ヶ月後には最初の収穫ができるかもしれない」
「本当ですか!?」
エミリアの目が輝いた。自分で育てた薬草でポーションを作る。それが彼女の夢だった。
「楽しみだな」
「はい!」
工房に戻ると、ルーカスが既に準備を始めていた。
「おはようございます、師匠」
「おはよう。今日も頑張ろう」
「はい。昨日の実習で、温度管理のコツが掴めてきました」
ルーカスは嬉しそうに報告した。一週間前に弟子入りしてから、彼の成長は著しい。元々基礎があるだけに、正しい方法を教えれば吸収が早い。
「それは良かった。じゃあ、今日は一人で一本作ってみるか?」
「本当ですか!?」
「ああ。もう十分だろう」
ルーカスは緊張した顔で頷いた。
その時、工房の扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、ギルバートさんだった。いつもの優しい笑顔ではなく、少し真剣な表情をしている。
「ギルバートさん、どうしました?」
「アレン君、少し時間をいただけるかな?大事な話があるんだ」
工房の奥に案内し、椅子を勧めた。エミリアとルーカスには、今日の製造準備を任せる。
「実は…」
ギルバートさんは、ゆっくりと話し始めた。
「アレン君のポーションの評判が、かなり広まっているんだ」
「はい。おかげさまで」
「リバーサイドだけじゃない。隣の街、さらには王都でも話題になっている」
「王都でも…ですか?」
意外だった。まさか、あそこまで広まっているとは。
「ああ。私の商会にも、問い合わせが殺到している。『あのポーションを扱わせてほしい』とね」
ギルバートさんは真剣な目で俺を見た。
「アレン君、本格的に私の商会と契約を結ばないか?」
「本格的に…」
「ああ。今は個人的な支援という形だが、正式なビジネスパートナーとして契約したい」
ギルバートさんは、懐から書類を取り出した。
「条件は以下の通りだ」
俺は書類に目を通した。
ーーーーーーーーーーーーー
【契約条件】
1. 独占販売権: ギルバート商会が全製品の販売を担当
2. 価格設定: アレンの承認が必要
3. 品質管理: アレンが最終チェック
4. 売上配分: 70%(アレン) / 30%(ギルバート商会)
5. 設備投資: ギルバート商会が工房拡張を支援
6. 流通網: 王都を含む全6都市で販売
ーーーーーーーーーーーーー
「…かなり好条件ですね」
俺は驚いて顔を上げた。
「通常なら、売上配分は50:50が相場だ。でも、君の製品は特別だ。品質が全てだから、君の取り分を多くした」
「ありがとうございます。でも…」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「品質管理が条件というのは、どういう意味ですか?」
「ああ、それはね」
ギルバートさんは身を乗り出した。
「私は商人として、品質の重要性を理解している。だから、全てのポーションは、君が最終チェックしたものだけを売りたい」
「なるほど…」
「もちろん、生産量は増やす必要がある。でも、君の品質基準は絶対に守る。それが、この契約の核心だ」
ギルバートさんの目に、嘘はなかった。
「一つ質問してもいいですか」
「どうぞ」
「もし、俺が『品質が基準に達していない』と判断したら?」
「その製品は売らない」
ギルバートさんは即答した。
「たとえ大量に作っても、君が認めないものは一本も売らない。それが約束だ」
「…分かりました」
俺は深呼吸をした。
これは大きな決断だ。今までは小さな工房で、自分のペースでやってきた。でも、これを受ければ、ビジネスとして本格的に動き出す。
責任も大きくなる。
でも、それは悪いことだろうか?
「ギルバートさん、一つ条件を追加させてください」
「何かな?」
「製造マニュアルを作って、他の錬金術師にも技術を公開したい」
ギルバートさんは驚いた顔をした。
「それは…ライバルを増やすことになるが?」
「ええ。でも、業界全体のレベルを上げたいんです」
俺は前世の経験を思い出しながら話した。
「独占すれば、短期的には儲かるかもしれない。でも、長期的には業界全体が停滞する。それより、みんなで切磋琢磨する方が、健全だと思うんです」
ギルバートさんは、しばらく黙って考えていた。
やがて、彼は笑顔を見せた。
「面白い。君は本当に面白い若者だ」
「え?」
「いいだろう。その条件、受け入れよう。むしろ、それが君らしい」
ギルバートさんは手を差し出してきた。
「じゃあ、契約成立だ。これから、よろしく頼むよ、パートナー」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺はその手を握った。
ギルバートさんが帰った後、俺はエミリアとルーカスに報告した。
「というわけで、正式にギルバート商会と契約することになった」
「すごい!」
「おめでとうございます、師匠!」
二人は喜んでくれた。
「でも、これからが本当の勝負だ」
俺は真剣な顔で二人を見た。
「生産量を増やす必要がある。今の倍、いや、三倍は作らないといけない」
「三倍…」
エミリアが不安そうな顔をした。
「でも、品質は落とせませんよね」
「その通り。だから、システムを作る必要がある」
「システム?」
「ああ。今までは俺が全部チェックしていた。でも、それじゃ限界がある」
俺はノートを開いた。
「だから、製造工程を完全にマニュアル化する。そして、各工程で品質をチェックする仕組みを作る」
「なるほど…」
「それと、工房を拡張する必要もある」
俺は工房を見回した。
「今の広さじゃ、三人でも窮屈だ。もっと広い場所が必要だな」
「ギルバートさんが支援してくれるって言ってましたね」
「ああ。明日、具体的な計画を立てよう」
その日の午後、いつものように冒険者たちが来店した。
「アレンさん!」
真っ先に飛び込んできたのは、もちろんリリアだった。
「今日もポーション、ある?」
「ああ、あるよ」
「良かった!」
リリアが銀貨を差し出す。その後ろには、ジェイクたちのパーティも並んでいる。
「アレン、実はな」
ジェイクが真剣な顔で言った。
「俺たち、来週から大きなダンジョンに挑戦するんだ」
「大きなダンジョン?」
「ああ。リバーサイド東の『古代遺跡』だ。C級以上の魔物が出る」
「それは…危険ですね」
「だからこそ、信頼できるポーションが必要なんだ」
ジェイクは真剣な目で俺を見た。
「アレン、頼む。俺たちに、20本くらい分けてくれないか?」
「20本…」
俺は在庫を確認した。今日作ったのは15本。全部売れば、他の客には渡らない。
「すみません、今日は15本しかなくて…」
「そうか…」
ジェイクは残念そうな顔をした。
「いや、仕方ない。じゃあ、予約できないか?来週までに20本用意してほしい」
「分かりました。必ず用意します」
「助かる」
ジェイクは安堵の表情を浮かべた。
リリアも嬉しそうに言った。
「アレンさんのポーションなら、安心して戦える!」
「期待に応えられるよう、頑張ります」
客が引いた後、俺は製造記録を見返していた。
「来週までに20本か…」
今のペースなら、何とか間に合う。でも、他の客の分も考えると、もっと増産しないと。
「やっぱり、システム化が急務だな」
その時、ルーカスが声をかけてきた。
「師匠、今日作った試作品、品質チェックをお願いできますか?」
「ああ、見せてくれ」
ルーカスが作ったポーションを手に取る。透明度は良好。香りも問題ない。
「効果測定をしよう」
いつものように、指を切ってポーションを垂らす。
「…29秒。良いな」
「本当ですか!?」
ルーカスの顔が明るくなった。
「ああ。俺の基準が28秒だから、ほぼ同じだ」
「やった…」
ルーカスは嬉しそうに拳を握った。
「一週間前は、全然ダメだったのに…」
「努力の成果だ。よく頑張った」
「ありがとうございます!」
ルーカスの成長を見て、俺は確信した。
システムを作れば、もっと多くの人が同じ品質のポーションを作れる。
「よし、明日から本格的にマニュアル作成を始めよう」
その夜、工房の明かりを消す前に、俺は一人、契約書を読み返していた。
-ギルバート商会との正式契約-
これが、俺の転換点になる。
小さな工房から、本格的なビジネスへ。
「不安がないと言えば嘘になる」
でも、ワクワクもしている。
前世では、会社の歯車の一つだった。上司の命令に従い、理不尽な決定に耐え、過労で死んだ。
でも、今は違う。
自分のビジネスだ。自分のやり方で、自分の信念を貫ける。
「品質を守りながら、規模を拡大する」
それが、俺の挑戦だ。
窓の外を見ると、工房の裏手の畑が月明かりに照らされていた。
あの小さな苗が、いつか大きな農園になる。
この小さな工房が、いつか王国中に知られる企業になる。
「夢じゃない。必ず実現させる」
俺は拳を握り締めた。
エミリアとルーカスという優秀な弟子がいる。
ギルバートという信頼できるパートナーがいる。
リリアをはじめ、応援してくれる客がいる。
「一人じゃない。みんなで作り上げるんだ」
そう心に誓って、俺は明かりを消した。
明日から、新しいステージが始まる。
ポーション革命の、本当の始まりだ。
【第11話 完】
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