第1話「追放された錬金術師」
窓の外は、まだ薄暗い。
俺、アレン・クロフォードは、机に広げた自分のノートを見つめていた。
昨日の夕方、討伐から戻ったパーティが、血相を変えてギルドに駆け込んできた。仲間が谷の魔物に深手を負わされ、回復ポーションを二本飲ませても、傷がまるで塞がらなかったという。
「たまたま、効きが悪かったんでしょう」
受付の職員は、それだけで片付けようとしていた。この世界では、ポーションの効果にばらつきがあるのは当たり前のことだとされている。誰も、その理由を確かめようとはしない。
でも、俺は違った。
彼らが使ったポーションの整理番号を、俺は覚えていた。
瓶の底には、仕込んだ順に打つ小さな刻印がある。番号だけを見ても、ただの記号だ。だが工房の製造台帳を繰れば、その番号が、どの日の、どの班の釜から出たものかまで辿れる。
春月八日、第三工房班の製造分だった。
照らし合わせる者が、これまで誰もいなかっただけだ。仕組みは、初めからそこにあった。
俺はこの三年間、自分の担当分だけでなく、目についた製造記録をノートに書き写してきた。誰に頼まれたわけでもない。ただの習慣だ。
ノートをめくる。
【春月八日 第三工房班】
滓の残留量:百分の九(通常は百分の三前後)
同ロット十本の治癒時間:最速と最遅の差、二倍以上(通常は一割前後)
数字は、昨夜何度確かめても変わらなかった。
俺は立ち上がった。
これは、報告しなければならない。
「ヴィクター様、緊急のご報告があります」
執務室の扉を叩き、俺は中に入った。
「なんだ、朝から騒々しい」
机に向かっていたヴィクター・アルケミスが、面倒くさそうに顔を上げた。白髪の初老の男。このギルドを三十年近く率いてきた、王都随一のギルドマスターだ。
「昨日、討伐帰りのパーティが、ポーションが効かなかったと訴えてきました。彼らが使ったのは、春月八日、第三工房班のロットです」
俺はノートを机に置いた。
「一つだけ、数字を聞いてください。通常のロットは、煮詰めると滓が百分の三ほど残ります。ですが、このロットだけは百分の九。同じロットの十本を並べて治癒時間を測ると、最速と最遅の差が二倍以上開いています。他のロットでは、ここまでの差は出ません。まだ市場に出回っている同ロットの中に、ほとんど効かない不良品が混じっている可能性があります」
「……」
ヴィクターは、しばらく黙ってノートの数字を見つめていた。
俺は、彼が数字を信じたのだと思った。
「回収するべきです。今すぐに」
「回収、だと?」
ヴィクターは低い声で言った。
「回収すれば、我がギルドのポーションに欠陥があったと、街中に知れ渡る。何百年かけて積み上げた信用が、一晩で消えるぞ」
「知らせなければ、次にあの不良品を引き当てた者は、今度こそ命を落とすかもしれません」
「静かに処分する。それでいい」
ヴィクターは机を叩いた。
「在庫は追って引き取らせる。だが、公にはせん。理由も告げん」
「それでは、既に売れてしまった分――冒険者たちの手元にある分は、誰にも知らされないままです。せめて、購入者にだけでも」
「ならん」
ヴィクターの声が硬くなった。
「あのロットを作ったのは、ドナルドの班だ。あの男は二十年、このギルドの看板を背負ってきた。今さら『不良品を出しました』と頭を下げさせるのか? それで、若い連中がどう思う? 伝統も、経験も、当てにならんと思うようになるぞ」
俺は、その時初めて理解した。
錬金術師が最弱職と呼ばれる理由に。
効果を確かめる仕組みが、どこにもないからだ。効けば「腕がいい」、効かなければ「たまたま」。誰も検証しない。検証すれば、都合の悪い真実まで見えてしまうから。
だから冒険者たちは、剣と魔法を頼りにする。ポーションは、気休めの最後の一本でしかない。
「それでも、報告すべきです。このままでは、同じことがまた起きます」
俺は引かなかった。
ヴィクターは俺を長く見つめた。
「アレン。仮に君の言い分が正しかったとして、それがどうした」
数字の中身には、一言も触れなかった。
「回収にかかる費用、頭を下げる面倒、噂が広まる恐れ……。正しいかどうかなど、この際どうでもいい。割に合わんのだ」
ヴィクターは椅子から立ち上がると、扉を開けて廊下に向かって声を張った。
「副マスター、他の班長も呼べ」
数分後、工房の主だった顔ぶれが、執務室の前に集まっていた。
ヴィクターは俺だけに聞こえる声で言った。
「今日限りで、ギルドを去れ」
そして、皆に向き直った。
「君は追放だ」
ギルドマスターの冷たい声が、工房に響き渡った。
「ヴィクター様、それは一体……」
分かっていながら、俺は問い返した。
「見ての通りだ、アレン」
ヴィクターは机の上の――さっき俺が置いたままの――ノートを指で叩いた。
「君の作るポーションは規格外だ。我がギルドの基準から逸脱している。温度計だの、記録だのと、面倒なことばかり言う。錬金術は数百年の伝統に裏打ちされた技術だ。職人の勘こそが全てだ」
嘘だ、と思った。
さっきまで、ヴィクターは数字の中身に反論しようとすらしなかった。正しいか間違っているかを考える気も、端からなかったのだ。それなのに今は、まるで俺のやり方そのものが間違っているかのように言う。
でも、ここで言い返せば、あのロットの話が皆の前に出てしまう。ドナルドの班の失態も、ヴィクターの隠蔽も。
俺は、それだけは避けたかった。せめて、あのロットだけは、静かにでも消えてほしい。
「……分かりました」
俺は深く頭を下げた。
顔を上げてから、机の上のノートを取り上げ、懐にしまった。ヴィクターは、止めなかった。数字が書かれた紙が持ち出されることを、この人はもう気にも留めていなかった。
工房を出ると、廊下で他の錬金術師たちとすれ違った。
彼らの視線が冷たい。
「やっぱり追放されたんだって」
「当然だろ。変なことばかりして」
「温度計だの記録だの、面倒なことばかり言いやがって」
ヒソヒソ話が聞こえてくる。俺は何も言わず、自分の作業台に向かった。
三年間使った作業台だ。
ここで必死に研究し、前世の知識を活かそうとしてきた。でも、誰一人として、俺が本当は何を見つけたのか知らない。知っているのは、ヴィクターと、俺だけだ。
前世でも似たようなことがあった。品質管理の重要性を訴えても、現場からは「余計な手間を増やすな」と反発された。結局、大きな品質問題が起きてから、ようやく理解された。
でも、今回は違う。問題は、もう起きてしまった。それなのに、闇に葬られる。
「規格外、か……」
苦笑いが漏れる。
荷物をまとめていると、声をかけられた。
「アレン」
振り返ると、若い錬金術師の一人が立っていた。同期のマルクスだ。
「お前、本当に出ていくのか?」
「ああ。追放されたからな」
「……そうか」
マルクスは複雑な表情で言った。
「正直、お前のやり方は面倒だと思ってた。でも、効果は確かだったよな。俺が作るより、確実に良いものができてた」
「ありがとう」
それだけで十分だった。一人でも分かってくれる人がいた。それだけで、少し救われた気がした。
「どこに行くんだ?」
「辺境の街、リバーサイドに行こうと思ってる」
「あの田舎町か? ……頑張れよ」
「お前もな」
最後の荷物を背負い、俺は王都錬金術師ギルドを後にした。振り返らない。前だけを見る。
所持金は銀貨が十五枚。決して多くはないが、小さな工房を始めるには足りるはずだ。
石畳の道を歩きながら、俺は懐のノートを握りしめた。
このノートには、まだ書ける。品質を守るための数字を、これからも積み重ねていける。今度は、誰にも握り潰させない。
「錬金術師が最弱職? 結構じゃないか」
誰に言うでもなく、呟いた。
「なら、その最弱職で、この世界にポーション革命を起こしてやる」
王都の門をくぐる時、後ろから正午を告げる鐘の音が聞こえた。
馬車に揺られながら、俺はノートを開いた。温度と魔力量の相関。混合比率と効果の関係。保存期間と品質劣化のパターン。全て、この三年間で地道に記録してきたものだ。
品質は偶然では生まれない。正確なデータと、それに基づいた管理によってのみ、安定した品質が実現できる。
「リバーサイドか……」
車窓から流れる緑豊かな平原を眺めながら、俺はノートのページを一枚めくった。
新しい人生が、今、始まろうとしていた。
(第1話 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品は、戦闘控えめ・生産職メインの異世界転生ファンタジーです。
主人公が現代知識を活かして、地道に成長していく様子を描いていきます。
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これからもアレンたちの逆転劇にお付き合いください!




