059 理科室でのモニタリング
楽しかった夏休みもあっという間に終わり、いつもの日常が戻ってくる。
同時に、私たち魔術部メンバーの知らぬ間に、蠢く闇も忍び寄ってきていた。
悲しいけれど、いつものことでもある。
私に言わせると、幸せってのはそんなもんなのだ。
ゆっくり味わっているヒマなんてありゃしない。いきなり最悪がやってきて、あっさり塗りつぶされてしまう。
だからこそ、私は皆を守るために戦うのだから。
ただひとつ昔と違う点があるとすれば――。私には、失いたくないものが増え過ぎていた。
◇◇◇◇◇◇
始業式が終わり、私と蛍は部室でくつろいでいた。そこへするりと天井をすり抜け、幽霊の宇部ダイヤが入ってくる。
蛍と仲の良いダイヤだが、今日は珍しく、まっすぐ私のほうへやってくる。
開口一番、ダイヤは聞く。
「青海くーん、油谷先生のこと、何か知りません?」
「え、ダグザのことか? 職員室にいないの?」
私は丸椅子に座ったまま、首をかしげる。いくら友人だからといっても、他のクラスの担任のことなんて知らないよ。私よりも、同じクラスの外郎あたりに聞いたらいいのに。
ダイヤはくるんと空中で回りながら、首をかしげる。そして彼女は、気になることを言い出した。
「むー、青海くんも知らないんですかー。油谷先生、うわさじゃ無断欠勤してるらしくて、ちょっとした騒ぎになってたんですけど」
「……それって何か問題なのか? ふらっと旅に出るやつとか、ティルナノーグでもたまにいたけどな」
無断欠勤。
それは、連絡なしでどっかに遊びに行くことだ。あいつ、私に黙って何か面白いものを見つけたか?
蛍が突っ込んでくる。
「いや、教師が無断欠勤は大問題でしょ。日本じゃ報・連・相って大切なのよ。一般常識ってやつよ」
ふるふると蛍が首を振ると、ついでに赤い髪と胸の小山もふるふる震えた。
「単に電話の使い方がわかんないだけじゃないのか? あいつ、脳筋だぞ」
「なに言ってんのよ。油谷先生、スマホ使いこなしてるわよ」
げ、まじか。あいつ、科学技術は苦手分野だと思ってたのに。
いやそれより、スマホを持ってるだって? 私もまだ買ってもらえないのに。
「ずるい、ダグザのくせにー。 ……帰ってきたら、戦って奪ってやろうか?」
「あんたねー、友達でしょ? 少しは心配してあげなさいよ」
蛍はあきれたように言う。
うーん、これでも一応心配してるんだけどな。
「でもさ、ダグザが連絡を忘れることはあっても、身の危険がどうこうってのはちょっと考えられないぞ。あいつ、単純な戦闘力なら私よりもずっと上だからな。その気になれば一人で岩国基地をつぶせるんじゃないか?」
今の可愛い容姿で忘れがちだが、ダグザの戦闘能力を舐めてはいけない。防府な……もとい、豊富なマナで強化された肉体に、得意の幻術。
いくらか弱い女性の体だからと言って、ヒグマやオオアナコンダなんか敵にもならないだろう。
ああ、もしかしたら毒とか搦め手には弱いかもしれないな。とはいえ、ダグザに通じる幻術を使えるやつなんか、それこそ思いつかないが。
「そう気にするな。ティルナノーグの感覚で、自由に旅をしているだけかもしれん」
「うーん、そう言われるとそうかもだけどー」
「ういーっす、師匠、おつかれー」
入ってきたのは、二見ときわ。だるそうに肩を落とし、疲れた表情をしていた。
「あ、ときわじゃん。なんかダルそうだな」
「いやー、夏休みの終わりにちょっと自転車レース(*)に参加しててさー、疲れが抜けてない」
そういえばこいつは最近自転車にはまったらしく、急に遠出して親を心配させているらしい。
「あ、そうだ師匠。イノシシ人間とかシカ人間って見たことありますか?」
唐突なときわの質問。私はちょっと考えるが、記憶にはない。
「えーと、確認するぞ。ニホンイノシシじゃなくて、猪人間か?」
「うん。 ……じゃあ、サカサヒノキは? 枝がしゅるしゅる伸びて、人を襲ってくるような」
「たしかアルスターの方に人を襲う植物の森があるとか聞いたことはあるけど、詳しくは知らないな」
ふーん、そーなんだ。
鞄を下ろしながら生返事だ。
「ねえときわ、自転車レースで何か変なことでもあったの?」
蛍の質問に、ぽつぽつと語り始めるときわ。
何気なく聞いたのに、返ってきたのはやけに不気味な話だった。
半人半獣の猪人間や鹿人間。人を襲う樹人族。
ここはティルナノーグではない。マナの薄い山口県だぞ。
どう思う?
私たちは顔を突き合わせる。さっきまでの弛緩した雰囲気は消え、自然と皆、真剣な顔つきになっていた。
「ただの偶然とは思えんな。魔獣ごときにダグザがやられるとも思えないけど、魔獣が現れたってのは気になる。少し、調べてみるか」
カバンから地図帳を取り出した私は、山口県のページを広げる。
まずは北西部。ときわが自転車レースで走ったルート491を探し、マーカーでなぞっていく。
「ときわ、逆さヒノキってどこで見た?」
「一ノ俣温泉てところの山の中。池みたいなのがあるよ」
「じゃイノシシ人間に出会ったのは?」
「それより少し手前、このあたりかな」
「あ、ここは何もなかった。いつも通るから間違いない」
「それならここも違うよ。かわったことがあれば、おかーさんが何か言うと思うし」
「あー、ここって最近マナの流れが増えて、気持ちいいんですよねー」
ダイヤと蛍も議論に加わり、地図に次々と印が増えていく。
○と×を繋げていくと、おぼろげながら異変の中心地が円状に浮かび上がってきた。
「これなんて読むんだ? いぬとめ……やま?」
「狗留孫山よ、確か。お寺があるとこ」
寺院か。確かにマナが集まりやすい場所ではあるけどな。しかし、それだけで?
「他に心当たりがある奴はいないか?」
「あ! 私、知ってます!」
ダイヤが笑顔で手を挙げた。皆が真剣な顔で、ダイヤを見つめる。
「生きてたころに遠足で行ったことがあるんですけどー、そこ、田楽が美味しいんですよー。お土産、お願いしますねー」
ダイヤは、輝くような笑顔で言い放った。




