058 ダグザとメズマライザー
話は先週末にさかのぼる。土井が浜での楽しい合宿も終わり、しばらく経ってのことだ。
ダグザが新学期の前に魔力を補給しておこうと、自然に囲まれた山奥深くを散策していたとき、妙なマナの乱れに気づいた。
乱れの元をたどっていくと、どうやら狗留孫山という山の近辺が怪しい。
「ここは確か、例の異星人たちが移り住んだ山じゃなかったか? まさかあいつら、また何か妙なことをたくらんでいるじゃなかろうな」
以前、いなか高校を襲撃した異星人たち。彼らはその後、いなか町役所の空き家説明会に参加し、正式に(?)山口県の山中に移住していた。
その後しばらく様子は見ていないが、彼らをこの地に紹介したのはダグザ自身だ。ほったらかしというわけにもいくまい。
ダグザは、異星人たちの能力を侮っていた。
『科学技術』とかいうやつは厄介だが、マナの使い方はスケルトンよりも下手くそだ。問題はないと思い込んでいたのだ。
だが、山を訪れた彼女を待っていたのは、科学技術でも野生動物でもなく、どちらかといえばダグザにとって馴染みの深いモンスター。猪人間の群れだった。
「ぶふー、ぶふー!」
「ぶもぉぉーっ!」
本来のダグザにとって、オークの群れなど相手にもならない。が、彼女にとっての不幸は、この日本におけるファンタジー知識が圧倒的に不足していたこと。
ゆえにダグザは気づかなかった。目の前にいるモンスターが、自分にとって相性が最悪の天敵だということに。
「珍しいな、こんなところに野生のオークの群れがいるとは。しかし、この地方特有の亜種か? オークよりもずっと筋肉質で体毛も多いが……」
油断しきっていたダグザは、ぶもぶもと鳴きながら襲ってくる猪人間の群れに、うかつにも近づいてしまった。
そしてすぐに自分の体の異変に気付く。オークたちの姿を見るだけで、ダグザの体からはするすると力が抜けていくのだ。
特に栄養状態が過剰に良さそうな、戦闘には適していない――端的に言うと、太った――個体に睨まれると、ぞわぞわと鳥肌が立っていく。
「くっ、なぜ私が、こんなオークごときにっ!」
「ぶもー、ぶもーっ!」
「きゃあっ、だめっ、そこはっ!」
自然と女性らしい悲鳴まで漏れてしまう。
魔族であるダグザにとって、認識の力はとても重要だ。それは自身の存在すら左右する。
この日本の地において、女戦士と豚人間に対する概念はあまりにも強固だった。そして異世界出身のダグザは、そういうお約束な知識にはさっぱり詳しくない。
せめて豊田蛍が横にいたなら、女騎士とオークとの関係についてもっと詳しく説明してくれただろうに。
「くっ、オークなんかに、私は負けないっ!」
キッと猪人間を睨みつけるダグザだったが、体には力が入らないまま。抵抗むなしく、ダグザはそのまま捕らわれてしまった。
◇◇◇◇◇◇
それから数日。
――ぴちょん、――ぴちょん。
薄暗い石造りの牢獄の中で、ダグザは壁を滴る水音を聞いていた。瞳は閉じたまま。まぶたの裏では、第二の故郷であった大正洞の滝を思い出していた。
夏だというのに暗く冷たいその部屋は、虫やコケには快適のようだ。
シコクヨコエビはいないものの、小さなコオロギが代わりに話し相手に来てくれる。
身を震わせると響くのは、じゃらりと冷たい金属音。ダグザを縛っていたのは、魔力も何もこもっていない、単なる鉄のかたまりだった。
かつん、かつん、と足音がして、ゆっくりと地下牢の扉が開かれた。
長く美しいまつげを揺らしながら、ダグザは薄眼を開けた。
まぶしい光が差し込み、反射的に扉から目をそらす。
翻訳機を通した電子音声がした。声の主は、異星人の一人、デイルだった。
「……あのー、ダグザよ。もういい加減、帰ってもらえないだろうか。我々は、君を軟禁するするつもりはない。こういうところを現地人に見られて誤解されると、面倒なことになるのだ。わかってくれないか?」
デイルの声は疲れと呆れが混じっていた。そう、彼は困っていたのだ。
キュクレーンから、妙な魔力反応の報告を受けたのは、つい2日前のこと。場所は今は使われていない、古い納屋の奥だ。
警戒しながら扉を開けたものの、中にいるのはデイルのよく知る人物。
彼ら宇宙人の移住に一肌脱いでくれた、ダグザという名前の超能力者だった。
ダグザは凛とした声で言い放つ。
「出ていけだと? ふん、ならばこの手錠を外せばよいだろう」
「いや、外せと言われてもなあ……」
「体は拘束されても、心までお前らに渡すつもりは無いっ!」
気丈にふるまうダグザ。
困り果てるデイル。
彼女の手足につけられた手錠にはもとより鍵などかかっていないし、そこから伸びている鎖も、どこにもつながってはいない。
要するに、逃げようと思えばいつでも出て行けるはずなのだが。
デイルはため息をつくと、ダグザの腕や足を拘束する鎖に目を落とす。そんな彼の視線に対し、ダグザは身震いして言った。
「くぅぅ、そんなねっとりとした目で見やがって、ええい汚らわしいっ!」
「いや、何を言ってるんだ、お前は……」
「うるさいっ、今、私の太ももをねっとりと舐め回すように見ていたではないか、このケダモノめっ!」
デイルは再びため息をつく。薄暗い地下牢の中で、銀ずくめの衣服が寂しくきらめいた。
「くっ、……殺せ!」
「またそのセリフか。何度目だ、まったく」
肩を落とし、デイルは地下牢をあとにする。今日も彼女の説得は失敗だ。
「相変わらず、この星の住人の考えていることはさっぱりわからんな。体だってそうだ、あんな機能性のかけらもないでこぼこがくっついていて、何の役に立つのか」
◇◇◇◇◇◇
「キュクレーン、入るぞ」
「デイルか。すまないな、いつも」
「なに、迷い人同士、気にするなといつも言っているじゃないか」
謎の森に迷い込んで以来、キュクレーンは偶然出会った謎の銀妖精たちの世話になっていた。
聞けば彼らも、故郷を離れ、空飛ぶ船とやらでこの地に偶然たどりついたらしい。
ヨーステらは、キュクレーンやダグザたちを超能力者と呼んでいた。キュクレーンが聞いたことのない呼び名に、やはりここは別世界なのかという疑念が膨らむ。
「ところでダグザの様子はどうだ?」
「ああ、相変わらずだ。出ていく気はさっぱりないな」
「やはりか」
ティルナノーグ出身のキュクレーンは、彼女の異常な魔力量にすぐに気付いていた。そして、ダグザという聞き覚えのある名前も。
ダーナ族の王と同じ名前を名乗る美女。おそらく、魔女によって密かに逃がされた魔王ダグザの血縁のものだろうと、キュクレーンは推測していた。
魔王ダグザに娘がいるという話は聞いたことはないが、他に考えられない。
「きゅくーれん、遊んでよー」「げるるーいー」
子供の声とともに、奇妙な鳴き声がした。キュクレーンが転移直後に出会った魔獣使い、デイルの息子のリッチーと、そのペットのげてもの太郎だ。
「おい、リッチー。今お父さんたちは大切な話をしているんだ。あっちでげてもの太郎と遊んでいなさい」
苦い顔をするデイルに、キュクレーンは優しく微笑んで言った。
「かまわないよ。世話になってるんだ、子供の相手くらいなんでもない。さ、リッチー、げてもの太郎、行こうか」
ちょうど術の解読にも行き詰っていたところだ、気分を変えるのもいいだろう。
キュクレーンはあの日からずっと、ティルナノーグへ帰還するヒントを探して、魔術書の解読を続けていた。
魔法陣は完成している。しかし、あと一歩、何かが足りない。そこで躓いてしまったのだ。
――それにしても とキュクレーンは考えた。
この魔術書の作者は、相当に性格が悪いようだ。全編まるで日記や詩集のような文章ばかりで、とらえどころがない。書いてある術理論はひどく断片的だ。
女の嫉妬が書かれていると思えば、うっかり読み飛ばしそうなところに証明が書かれていたり。珍しく数式が書いてあると思ったら、巧妙に間違いが仕組まれていたり。
先日など、丸一日かけてやっと解読したと思ったら、肉曲線だとかいうたんなる魅了術に関しての理論だった。
もっとも、難解さを別にすれば、術理論自体は非常に有用なものばかりだ。そもそも王都の宮廷魔術師たちが何年もかけて研究するような内容を、個人で行っていること自体が異常なのだ。
ぐっと背筋を伸ばすと、白い光が目に焼き付く。灯火の術とはまったく違う、「電灯」と呼ばれる高度な錬金術の光だった。




