儲けもん
「さて、君の連れについて少し話をしようか」
「アスカか? あいつがどうかしたのか?」
マイケルは机に置かれた報告書を取り上げた。何枚かめくり、ある箇所で指を止める。
「見張りの報告によると、ずいぶん気の小さい女性らしいな。兵士が近づくだけで怯え、何度も助けを求めているそうだ」
「そうか? 俺には大食いの、ただのでかい女にしか見えねえけどな」
「巨人族というのは、皆ああなのかね?」
「さあな。俺もあいつ以外、会ったことねえから」
マイケルは報告書に目を落とした。
「ところが、妙なことがあってね。彼女は見張りの名前をよく覚えているらしい。誰がいつ交代するのか、食事を運ぶのは誰なのか。そうしたことを、それとなく尋ねているそうだ」
……アスカの奴、少し楽しみすぎじゃないか。
「人懐っこい女なんだよ」
「そうとも言える。だが、一度会った兵士には同じ質問をしないそうだ。まるで、必要な情報を順番に集めているようじゃないか」
「そいつは考えすぎだろ」
「そうかな?」
マイケルは顔を上げた。
「私は、彼女が何を考えているのか興味がある。君たちはずいぶん長い間、追っ手から逃れてきたそうだな。それほど用心深い二人が、どうして今回はおとなしく牢に収まっているのだろうね」
「鉄格子があるからだろ」
「それだけかね?」
「ほかに何があるんだ?」
マイケルは答えなかった。笑みを浮かべたまま報告書を閉じ、別の書類を取り出す。
「では、刻樹の話に戻ろうか」
デイビットはうんざりしたように息を吐いた。
「だから何度も言ってるだろ。刻樹なんて知らねえよ。もしそんなもんがあるなら、俺が見つけて金貨五千枚で売ってやるさ」
「ほう、それはまた具体的な提案だな」
「安いくらいだろ? あんたら、よっぽど欲しいみたいだからな」
「……君は、金が欲しいのか?」
「そりゃそうだろ。金が嫌いな盗賊なんて聞いたことねえぞ」
マイケルはしばらくデイビットを眺めていた。
「なるほど。だから、わざと捕まった?」
デイビットは口を閉じた。
……こいつ。
マイケルはその沈黙を気にする様子もなく、報告書の一節に目を通した。
「君たちを密告したのは、野菜売りの少女だったそうだな」
「それがどうした?」
「何度も兵の追跡を振り切ってきた君たちが、たった一人の少女に見つかった。しかも、手配書が出回って間もないうちにね」
「運が悪かったんだろ」
「……そうか。君は運が悪かったのか」
マイケルは報告書を閉じた。
「あの少女を今から拷問にかけると言ったら?」
デイビットの表情から笑みが消えた。
マイケルはその顔を眺め、口元を緩めた。
「……いい反応だな。まあ、心配するな。あの少女をどうこうするつもりはない」
そう言って、報告書を脇へ寄せた。
「もっとも、あれだけの大金を手にすれば、今後いろいろと厄介事に巻き込まれるかもしれんがな」
デイビットは男の顔を見つめていた。
……ったく、嫌なことを言いやがる。
今のはきっと脅しだ。こちらが少女とつながっているかどうか、反応を確かめたかっただけだろう。しかし、この男が必要と判断すれば、本当に実行するかもしれない。
デイビットは椅子に座り直した。背中の傷が引きつり、思わず顔をしかめる。
「……あんた、なかなかいい性格してるな」
「妻にもよく言われるんだよ。気の利く夫ですわってね」
「……褒めてねえよ」
マイケルは何事もなかったように書類を整えた。
デイビットは空になった杯へ目を落とした。兵士たちのように怒鳴ったり、拳を振り上げたりはしない。その代わり、何を言えば相手が動揺するのかをよく知っている。
……まったく、参謀ってのは皆こうなのかね。
「ところで、あんた。俺たちを追ってた連中も、あんたの部下なのか?」
「なぜそう思う?」
「俺たちが捕まった途端に、王国の参謀様が出てきたからな。ずっと追いかけてたのかと思ってさ」
「君たちの捕縛については報告を受けている。私が来た理由はそれで十分だろう」
「じゃあ、あの手配書は? あんたが考えたのか?」
「……ずいぶん質問が多いな」
「そりゃそうだろ。俺はまだ、あんたが何者なのかもよく知らねえんだから」
「先ほど名乗ったはずだがね」
「名前と肩書きだけじゃ、人間のことなんて分からねえよ」
マイケルはデイビットを見つめた。
「盗みに入る前に家主へ挨拶する盗賊か。ずいぶんお粗末な探りだな」
デイビットは男の顔を眺めた。右の瞳は灰色。左の瞳は琥珀色。初めて見たときから奇妙な目だと思っていたが、こうして向かい合っていると、つい視線がそこへ向いてしまう。
「なあ、あんた。その目は生まれつきなのか?」
「……」
「左右で色が違うだろ」
「本当に質問が多いな。生まれつきだが、それがどうした?」
「いやね、昔誰かに言われたんだよ。人は大体、目を見れば善人か悪人か分かるってな」
「ほう。それで? 君には何が見えたんだい?」
「いや、あんたの場合はどっちを見りゃいいのかなと思ってさ」
「……ふふ。くだらないことをぐだぐだと」
マイケルは一瞬、黙る。
「で、どっちなんだ?」
マイケルは答えなかった。ただ、デイビットの顔をじっと見ている。
「……そいつは困ったな。どっちも信用できそうにねえ」
デイビットは独り言のようにつぶやいた。
マイケルはわずかに口元を緩めた。
「思慮の浅さほど、己の身を危険にさらすものはないな。君の連れの方が、よほどしたたかに立ち回っているようだ」
「そいつはどうも」
デイビットも少し笑うしかなかった。
さっきまで少女を拷問すると脅していたくせに、今度はくだらない冗談に付き合っている。変わった男だ。もっとも、アスカの芝居も、自分たちがわざと捕まった可能性も、この男にはすでに疑われている。
……まったく、どこまで気づいてやがるんだか。
マイケルは外套の内側から一枚の古びた羊皮紙を取り出し、机に広げた。
「くだらんお喋りは終わりだ。これを見たまえ」
見慣れない文字が並ぶ羊皮紙の中央に、一つの絵が描かれていた。
切り株だ。
幹の形も、根の張り方も、あまりによく似ている。
「……何だよ、これ」
「私の推測では、これが君の一族が代々守ってきたものだ。……もっとも、君は何も知らない、そうだね?」
「だから、知らねえって言ってるだろ」
「そうかもしれないな。何故なら、これは少々古いものでね」
マイケルは羊皮紙に並んだ文字を指で示した。
「古代文字で記された文献だ。正確な年代は分かっていないが、少なくとも近年のものではないらしい」
「……古代文字?」
デイビットは思わず絵を見直した。
祖母の家にあったあの切り株が、そんな大昔から存在していたというのか。
「さて、貴重な文献なのでね。いつまでも広げておくわけにはいかん」
マイケルは羊皮紙を丁寧に畳み、外套の内側へしまった。
「……王が探してるのは、それなのか?」
「陛下がお求めなのは、それだけではない。古い文献に記された秘薬や、伝説に語られる宝物……。それこそ、ありとあらゆるものを探しておられるよ」
「……何のために?」
「さてね。陛下のお考えは、私ごときには到底推し量れんよ」
マイケルはあっさりと答えた。
「じゃあ、あんたは?」
「私かね? 私は、あの切り株の正体が知りたい。古代の文献にまで姿を残しているものだ。ただの鉱石とは思えんのでね」
「……ただの切り株だったら?」
「そのときは、私の見立て違いということになる。誰にでも間違いはあるだろう?」
「ずいぶん大勢を巻き込んだ見立て違いだな」
マイケルはわずかに首を傾げた。
「……何か問題でも?」
デイビットは返す言葉を失った。
この男にとって、自分たちがどれだけ追い回されようと、たいした問題ではないのだろう。刻樹の正体さえ分かれば、それでいいのかもしれない。
マイケルは椅子に深く腰掛け、しばらくデイビットの顔を眺めていた。
「ところで、デイビット。君は八十歳になった自分に会ってみたいと思うか?」
「……は?」
「いや、逆でもいい。八十歳になった君が、二十一歳の君を呼び寄せるんだ」
「何の話だよ」
「少し考えてみたまえ。もし過去の自分と会うことができたなら、君は何を尋ねる?」
デイビットは眉を寄せた。
「……なんでそんなことを考えるんだ?」
「面白いと思わないかい? 歳を取った自分が、若い自分に何かを伝える。もしそれができるなら、人はずいぶんと多くのことをやり直せるかもしれない」
「……やり直す?」
「そうだ。例えば、八十歳になった私が、二十歳の私を呼び出す。そして、これまで蓄えた知識や記憶を、すべてその若い私に引き継がせる」
マイケルは机の上で指を組んだ。
「老いた私はいずれ死ぬ。だが、若い私はその先も生き続ける。再び年老いたとき、同じことを繰り返すことができれば……」
「……いや、待てよ」
デイビットが口を挟んだ。
「それは不老不死とは言わねえだろ。若いあんたが生き残るだけで、八十歳のあんたは死ぬんじゃねえのか?」
マイケルは嬉しそうに笑った。
「そのとおりだ。君の言うことは何も間違っていない」
「だったら、別のあんたに続きを任せるだけじゃねえか」
「そうとも言えるね。だが、記憶も知識も、考え方さえも受け継いだ人物を、果たして別人と言い切れるだろうか?」
「……少なくとも、俺には別人に思えるがな」
マイケルはしばらくデイビットを見つめていた。
「……それで?」
「何が?」
「君なら、その問題をどう解決する?」
デイビットは少し考えた。
「解決って言われてもな。そもそも、何でそこまでして生き続けたいんだ?」
「……ほう?」
「八十まで生きたら、十分じゃねえのか? いや、俺はまだ二十一だから分かんねえけどさ。少なくとも、そこまで生きたんなら、今度は若い奴らに任せてもいいだろ」
マイケルは答えなかった。
「それに、過去の自分を呼び出したところで、そいつがあんたの言うことを聞くとは限らねえぜ。俺だって、十年後の俺がいきなり現れて命令してきたら、まず疑うだろうしな」
マイケルは小さく笑った。
「なるほど。それは確かに考えていなかったな」
「だろ?」
「だが、もし若い私が、老いた私を信じたとしたら?」
「……まだ続くのかよ」
「ふふ……すまない。つい夢中になってしまった」
マイケルは椅子に座り直した。
「もっとも、そんなことが可能なのかも分からない。過去の自分を呼び寄せれば、歴史そのものが変わってしまうかもしれないしね」
「そりゃそうだろ。八十歳のあんたが二十歳の自分を連れてきたら、そのあと六十年間のあんたはどうなるんだ?」
「実に興味深い問題だ」
「……あんた、楽しそうだな」
マイケルは微笑んだ。
「そう見えるかい?」
「ああ。さっきまで俺を殺すだの何だの言ってた男とは思えねえぜ」
マイケルの笑みが、わずかに薄れた。
「……君は少し誤解しているようだな」
「何を?」
「私は君を殺したいわけではない。ただ、必要ならばそうする。それだけのことだ」
デイビットは黙って男を見た。
……やっぱり、ろくでもねえ奴だ。
マイケルは窓の外へ目を向けた。西へ傾き始めた日差しが、机の端を照らしている。
「さて、今日はこのあたりにしておこう」
「……もう終わりか?」
「今日は挨拶に来ただけなのでね。君がどんな男なのか、一度この目で確かめておきたかった」
マイケルは立ち上がり、外套を整えた。
「明日からは本格的に話を聞かせてもらう。今夜はゆっくり休むといい」
「……ずいぶん親切なんだな」
「妻にもとても親切ですねと、評価して頂いているよ。」
マイケルは扉へ向かったが、途中で足を止めた。
「ああ、そうだ。一つ伝え忘れていたことがある」
「……何だ?」
「君が捕まる少し前、ウォーターワスの北にある森で君を見かけた者がいるそうだ。ずいぶん奥まった場所だったらしい」
デイビットは笑みを崩さなかった。
……森。
「へえ。いつのことか分からねぇけど。」
「森というのは便利なものだね。人の目が届かない場所が、いくらでもある」
「そうだな。盗んだ金貨を埋めとくには、悪くないかもしれねえ」
「実際に何かを埋めたのかな?」
「さあ?」
マイケルはデイビットを眺めていた。
「まあ、構わない。すでに何人か兵を向かわせてある。あの森を調べるには時間がかかるだろうが、何か見つかるかもしれないからね」
……本当か?
デイビットは膝の上で指を組んだ。あの森は広い。場所さえ知らなければ、そう簡単には見つからないはずだ。
だが、どうして今その話をしたんだ?
そもそも、こいつは本当に兵を送ったのか。それとも、俺の反応を見ているだけなのか。
「そいつは大変だな。頑張ってくれよ」
「君が協力してくれれば、その苦労もせずに済むのだがね」
「こんな協力的な盗賊もいないぞ」
「そうか」
マイケルはそれ以上追及しなかった。
「そうだ……あれはただの水だ。では失礼するよ」
兵士たちが入ってくると、マイケルは短く指示を出し、振り返ることなく部屋を出ていった。
デイビットはしばらく動かなかった。
……まったく、とんでもない男に会っちまったな。
これまでの追っ手とは違う。力ずくで奪いに来るだけなら、まだ話は簡単だった。王国の参謀。それも、どうやら自分の考えを持って動いている男だ。
刻樹についても、自分とは違う方向から調べているらしい。今回初めて懸賞金をかけてきた理由は、結局聞き出せなかった。
……まあ、最初から全部うまくいくとは思っちゃいなかったが。
ただ、森の件は別だった。あの男の話をどこまで信用するべきか。それを考えても、今のところ答えは出ない。
「おい、立て」
兵士に促され、デイビットは椅子から立ち上がった。両手を拘束され、廊下へ出る。
地下牢へ戻る途中、小さな窓から西の空が見えた。夕焼けが広がり始めている。明日の朝までは、まだ時間がある。
兵士に背中を押され、地下へ続く階段を下りる。冷たい空気が再び身体を包んだ。
自分の牢へ戻されると、デイビットは壁に背を預け、ゆっくり腰を下ろした。腫れた頬をさすると、思いのほか痛みが走った。
……ったく、こっちは何日も殴られてるってのに。
それにしても、あの参謀、金貨五千枚という値段にも大して驚かなかった。
ひょっとすると、あの切り株は思っていた以上に高く売れるのかもしれない。そこへ、最初の懸賞金も加われば……。
……いやいや、そんなことしたら婆ちゃんが。
「……いや、どっちにしても儲けもんだな」
「何か言ったかい?」
「いや、こっちの話」
デイビットは小さく笑った。
「……それで、どうだった?」
隣からアスカの声がした。
「なかなか面白い男だったぜ。王国の参謀だとさ」
「へえ。ようやく偉い奴が顔を出したか」
「ああ。あんたの言ったとおりだったな」
「だから、もう少し待とうって言っただろ」
「まさか、こんなに殴られるとは思わなかったけどな」
「自分から捕まりに行こうなんて言い出すからさ」
「おいおい。親玉が来るまで待とうって言ったのは、あんただぜ?」
「まったく、殴られることまで、あたしが教えてやらなきゃ分からなかったのかい?」
デイビットは腫れた頬をさすった。
「……まったく。おかげでいい男が台無しだ」
壁の向こうで、アスカが笑った。
「それで、何か分かったのかい?」
「ああ。少なくとも、俺たちを追い回してる奴の顔は拝めた。それに、刻樹のことも何か知ってるらしい。古い伝承がどうとか言ってたな」
「……伝承?」
「詳しいことは教えてくれなかった。まあ、こっちだって知ってることを話したわけじゃねえし、お互い様か」
アスカは何も言わなかった。
デイビットは石壁を見た。祖母と長い付き合いだった彼女なら、刻樹についてもっと何か知っているのかもしれない。聞いてみようかとも思ったが、今はそれより気になることがあった。
「ただし、一つまずいことになった」
「まずいこと?」
「どうやら、あの参謀さんは森に目をつけたらしい。もう兵を向かわせたって話だ」
隣の牢から、鎖の擦れる音がした。
「……まさか、あんたゲロったのかい?」
「まさか。あれはハッタリだ、ただどこまで本当かは分からねえがな」
「罠かもしれないわね」
「だろうな。あの男なら、それくらいやるさ」
デイビットは壁に背を預け、天井を見上げた。
「だとしてもだ。このまま何日話したところで、進展はねえだろうよ。それに、森の話が本当だったら厄介だ」
しばらく沈黙が続いた。
「……そうね。で?」
デイビットは口元を緩めた。
「決まってるだろ。作戦変更だ」
壁の向こうで、アスカが小さく笑った。
「……いい判断ね」




