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「黙って笑えないならいらない」と捨てられた八歳の公爵家五女、辺境の魔女先生に鍛えられて王都の天才たちを黙らせる  作者: 他力本願寺


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40/40

第40話 私の答えを自分で書ける

長く厳しかった北方の冬が終わり、屋敷の屋根からポタポタと雪解け水が滴る音が聞こえるようになった頃。

レーヴェン辺境伯領には、遅くて、でも力強い春がやってきた。


「ここの税率の計算、間違っていますよ、リゼット」


ミナが、私の書いた羊皮紙を指差して言った。


「えっ? うそ、本当だ。……小麦の価格変動を計算に入れるのを忘れていたわ」


私は慌ててインクを消し、計算式を書き直し始めた。


国から正式な認可を受けた『辺境学舎』は、以前よりもずっと賑やかになっていた。

ミナたち平民の子供に加えて、近隣の辺境貴族の子供たちも通うようになり、身分も年齢も違う生徒たちが、同じ教室の机を並べている。


教壇に立つマグダレーナ先生の黒いドレスは相変わらずで、その手には恐ろしい赤インクのペンが握られていた。


「そこまで。答案を提出しなさい」


先生の冷たい声に、生徒たちがビクッと肩を跳ねさせて羊皮紙を前に送る。

集められた答案用紙に、先生のペンがカリカリと鋭い音を立てて走っていく。


やがて、私の手元に返ってきた答案用紙は、真っ赤なバツ印と修正の文字で埋め尽くされていた。


「不合格です、リゼット。計算式を途中で省くから、最後の桁がずれるのです。負けた理由を見なさい」


「はい! ここからもう一度やり直します」


私は、真っ赤な答案用紙を受け取り、力強く返事をした。


私が間違えて先生に怒られても、教室にいる子供たちは、誰一人として扇で口元を隠してクスクスと笑ったりはしなかった。

間違えたら、どうして間違えたのかを自分の頭で考えて、直せばいい。それを誰も馬鹿にしない。

ここは、間違えても絶対に笑われない、世界で一番誇り高い教室なのだ。



授業の後、マルタさんが作ってくれた温かい木の実のスープを飲んでいると、ギデオン様が執務室から顔を出した。


「リゼット。王都から便りだ」


ギデオン様の手には、見慣れた公爵家の紋章が押された封筒があった。

私は一瞬だけ身構えた。でも、ギデオン様は「安心しろ、教育評議会の検閲も通したただの私信だ」と言って、封筒を渡してくれた。


封を切って中を開くと、そこにはお母様の、綺麗だけれど少し震えたような筆跡があった。


私は、先生に教わった通りに、まずはその手紙が誰かに利用される罠ではないか、矛盾した引用が隠されていないか、裏の裏まで慎重に言葉を読み解いた。

けれど、その手紙には、恐ろしい法的な罠も、私を支配しようとする引用詩も、何一つ書かれていなかった。


『王都のお屋敷の庭で、今年も白い薔薇が咲きました。

辺境はまだ寒いでしょうか。あなたは、元気にしていますか』


書かれていたのは、たったそれだけ。

あんなに私に「黙って笑いなさい」と厳しい処世術を押し付け、完璧な令嬢であることを求めていたお母様からの手紙は、ひどく短くて、不器用で、何の策略もない言葉の羅列だった。


お父様からの手紙は、一通もない。

自分の権力と知恵を打ち破った私に対して、お父様は公爵としてのプライドから、決して自分から折れることはないのだろう。


私とお父様、そしてお母様との間には、きっとこれからも、埋まらない距離が残る。

元の「仲の良い家族」になんて、戻れるはずがない。私が王都の嘘を見抜く目を持ち、自分の言葉で戦うことを選んだ以上、もうあの息の詰まるお茶会の席には戻れないのだから。


でも、私はそれでいいと思った。


お母様の手紙は、今の私を、もう王都の枠にはめようとはしていなかった。遠く離れた場所から、ただ「元気でいるか」と問いかけるだけの、やっと手に入れた普通の親子の距離だった。


私は、お母様の手紙を丁寧に折りたたみ、引き出しの奥に大切にしまった。

返事は、明日書こう。

先生に赤インクで直されないような、自分の意思をはっきりと伝える、短くて素直な手紙を。


窓の外を見ると、中庭でギデオン様とマグダレーナ先生が立って話をしているのが見えた。


「だから、学舎の屋根の修理は業者の見積もりが出てからだと言っているだろうが」


「閣下の見積もりはいつも甘いのです。この数字のズレを見なさい。冬の間に木材の価格がどれだけ変動したと思っているのですか」


ギデオン様が頭を掻きむしり、先生が呆れたように銀縁の眼鏡を押し上げている。

あの日、ギデオン様が不器用なプロポーズをしてから、二人の関係が大きく変わったようには見えない。相変わらず、顔を合わせれば領地の経営や予算のことで口喧嘩をしている。


でも、ギデオン様は決して先生の言葉を力で押さえつけようとはしないし、先生も、王都にいた頃の悲しい顔はもうしていない。

その証拠に、言い争っている先生の耳は、春の陽気のせいだけではなく、少しだけ赤く染まっていた。


私は、その微笑ましい光景から目を離し、自分の机の上に置かれた答案用紙を見つめた。


『黙って笑っていなさい』


そう言われて、何もできずに捨てられたあの日。

公爵家の五女として生まれた私は、空気を読むことも、大人の嘘を見逃すこともできなくて、ただの「いらない子供」だった。


でも、辺境の冷たい風と、温かいスープが私を育ててくれた。

黒板の前に置かれた踏み台が、私に立ち上がる勇気をくれた。

そして、容赦のない先生の赤いインクが、私に、大人の悪意から自分を守り、戦うための武器を与えてくれた。


もう、怖いものは何もない。


「私は、公爵家のいらない五女ではありません」


私は、先生の赤いインクで直された答案を胸に抱いた。


「私は、私の答えを、自分で書ける人間です」

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