第27話 誰も笑えなかった
私の言葉が響き渡った後、王立学術院の大講堂は、針の落ちる音さえ聞こえそうなほどの深い静寂に包まれた。
「……っ」
審査員長は、何か反論しようと口をパクパクと動かしたが、声にはならなかった。
無理もない。私は、辺境の気候という事実と、そこに住む人間の経験、そして論理的な計算のすべてを繋ぎ合わせて「自分で考えた」と証明してみせたのだ。
これを「大人の入れ知恵だ」と否定するためには、辺境伯様かマグダレーナ先生が、最初からすべてを計算し尽くして八歳の子供に台本を丸暗記させたという、それこそあり得ない妄想を主張するしかない。
審査員長の白髪の頭が、力なく垂れ下がった。
私は、教壇の上から、傍聴席にいるお父様とお母様を見た。
お父様は、私のことを「教育不能」と見限り、家の空気を乱すからと辺境へ追放した人だ。
いつも氷のように冷たく、私の言葉など欠片も信じてくれなかったあの灰青色の目が、今は見開かれ、微かに震えていた。
驚きだけじゃない。その目の中には、はっきりとした『後悔』の色が浮かんでいた。
お父様はようやく気づいたのだ。
年号の間違いや帳簿のズレを口にする私を「ただ面倒なだけの子供」として捨てたけれど、その『矛盾を見抜く目』こそが、王都の天才たちを黙らせ、国家の裏帳簿すら暴き出す最強の武器だったということに。
自分が手放してしまったのは、出来の悪い娘ではなく、公爵家の未来を支えられたかもしれない、ただ一人の子供だったのだと。
お父様の隣に座るお母様もまた、扇を握る手を小刻みに震わせていた。
『黙って笑っていなさい。女の子は、正しさで愛されるのではないのよ』
お母様は、ずっとそう言って私を叱っていた。波風を立てず、大人の言う通りに綺麗に笑うことこそが、王都で身を守るための唯一の処世術だと信じて疑わなかった。
でも、私は黙らなかった。笑わなかった。
自分の言葉で戦い、王都の大人たちの悪意を打ち砕いて、こうして自分の足で立っている。お母様が絶対に正しいと信じていた『王都の正解』が、私によって完全に否定されたのだ。
お母様の後ろにいるお姉様たちも、真っ青な顔をして黙り込んでいた。
お茶会の席順の陰湿な意味を見抜かれ、歴史の詩の嘘を暴かれ、彼女たちが誇っていた「完璧な礼法」や「美しい暗唱」は、すべて薄っぺらな飾りに過ぎないと突きつけられた。
もう誰も、私を扇の陰でクスクスと嘲笑うことはできない。
そして、傍聴席の最前列で力なく座り込んでいる元家庭教師のラングレー先生も。
彼の暗記教育の権威は、辺境の「問いを立てる教育」の前に完全に敗北した。自分の教え子が自分を論破したという事実が、王都中に知れ渡ってしまったのだ。
「……審査、終了」
長い、長い沈黙の後。
審査員長が、絞り出すような、けれど講堂の隅々まで届く声で宣言した。
「第三試問、領地経営。……リゼット・オルブライト嬢の案を、最も現実的で優れたものと認定する。勝者、リゼット嬢」
その言葉に、傍聴席の貴族たちがハッと息を呑んだ。
審査員長は、一つ咳払いをして、さらに重々しく続けた。
「そして、特別試問全体を通しての最終判断を下す。……過日提出されたエルム村に関する告発報告書は、何者の介入もない、リゼット・オルブライト嬢本人の叡智と責任によって作成されたものであると、王立学術院の名において公式に認定する!」
それは、私の完全な勝利の宣言だった。
一瞬の静寂の後。
パラパラと、誰かが手を叩く音がした。それはすぐに伝染し、大講堂全体を揺るがすような万雷の拍手へと変わった。
王都の大人たちが、辺境から来た八歳の子供の知識と論理に、心からの称賛を送っているのだ。
私は、拍手の波の中で、小さく息を吐き出した。
肩の力が抜け、足の震えがゆっくりと引いていくのが分かる。
私は、教壇の端に立つ二人の大人を見た。
ギデオン様は、腕を組んだまま、鼻高々に「当然だ」というような顔をして頷いてくれた。
そして、マグダレーナ先生。
先生は、相変わらず表情一つ変えていなかった。拍手もしていなかった。
でも、その銀縁の眼鏡の奥の目は、いつもと同じように、私を真っ直ぐに見つめてくれていた。
『泣いた理由を説明しなさい』
『負けた理由を見なさい』
『推測で口を開くな』
先生の厳しい言葉が、私をここまで連れてきてくれた。
先生が私の手紙を破り、面倒な署名をさせ、模擬試験で私をいじめたのは、すべて今日、私がこの壇上で、誰にも名前を奪われずに自分の言葉で勝つためだったのだ。
私は、先生に向かって、今日初めて、少しだけ笑った。
黙って愛想笑いをするのとは違う。自分が頑張ったことを誇りに思う、本当の笑顔だった。
かつて私に「黙って笑え」と言った人たちは、黙っていた。
私の答えを、誰も笑えなかった。




