第25話 第三試問・領地経営 後半
「これで決まりだな。やはりヴェルナー家の神童の案が、最も効率的で美しい」
審査員席から、そんな満足げな声が漏れ聞こえた。
傍聴席の大人たちも、ユリウス様の完璧な数字にうっとりと頷いている。
大講堂の空気は、完全に「勝負あった」と告げていた。
私の書いた『春のうちに少しずつ運ぶ』という泥臭い案は、王都の大人たちの目には、ただの子供の無駄遣いにしか映っていない。
(ここで終わるの?)
膝がガクガクと震えて、今にも床に座り込んでしまいそうだった。
でも、私はギュッと両手を握りしめた。
終わらせない。私は辺境の泥の中で、ただ黙って数字を眺めるだけの人間にならないための武器をもらったのだ。
先生の言葉が、背中を押す。
『矛盾を見抜く目と、問いの正確さで戦いなさい』
私は、震える足に力を込めて、一歩だけ前に出た。
「……ユリウス様」
私の小さな声に、ユリウス様は不思議そうに青い目を瞬かせた。
「ん? どうしたんだい、リゼット嬢」
「ユリウス様の計算式は、本当に完璧で、美しいと思います。でも、一つだけ教えてください」
私は、黒板に美しく並べられた数字を指差した。
「この麦は、いつ、誰が、どの道を運びますか?」
「え?」
ユリウス様は、私の質問の意味が分からないというように首を傾げた。
傍聴席からも「何を今更」「負け惜しみか」と、嘲るような声が聞こえた。
「さっきも説明した通りだよ。秋の終わりから冬の初めにかけての三週間で、雇った人足たちに、中央街道を使って大型の荷馬車で運ばせるんだ。最も距離が短くて平坦な道だから、一番効率がいい」
ユリウス様は、自分の出した完璧な答えに全く疑いを持っていなかった。
王都の暖炉の前で地図を広げ、定規で直線を引いただけで、その道の『本当の姿』を知らないのだ。
「……秋の終わりから冬の初めの、北方の道がどうなっているか、ご存知ですか」
私の言葉に、ユリウス様の笑顔がピタリと止まった。
「あの時期、北方の領地には、王都とは比べ物にならないほど重くて冷たい雪が降ります。王都の雪のように、すぐには溶けません。山からの風で雪が吹き溜まりになって、あっという間に大人の背丈よりも高く積もってしまうんです」
私は、あの夕暮れ時に、ミナと一緒に歩いた雪道を思い出していた。
『雪が降る前に運ぶのが、辺境の絶対のルールなの』
ミナの切実な声が、今、私の言葉となって大講堂に響き渡る。
「中央街道は平坦ですが、雪が積もって踏み固められると、ツルツルに凍って馬の蹄が滑ります。そんな道で、大量の麦を積んだ重い大型の荷馬車を走らせればどうなるか……途中で動けなくなり、遭難するだけです」
大講堂の空気が、少しずつ変わり始めていた。
嘲笑っていた大人たちの顔から、余裕の笑みが消えていく。
「三週間で五つの村を回る? 不可能です。最初の村にすらたどり着けません。道が雪で閉ざされれば、計算上はそこに麦があっても、現実の領民の口には一粒の麦も届かないのです!」
私は、自分の書いた不格好な計画案を指差した。
「だから私は、雪が降る前の春と夏に、少しずつ何度も馬車で運ぶ計画にしました。冬の間は、凍った街道を避けて、雪が降っても木の根や落ち葉があって滑りにくい『林道』を使います。遠回りで、人件費は余計にかかります。でも、そうしなければ、雪に閉ざされた村の人たちは飢えて死んでしまうからです!」
私の叫び声が、高い天井に反響した。
シンと静まり返った大講堂に、私の荒い息遣いだけが聞こえる。
「ユリウス様の計算式は、紙の上では完璧です。でも、現実の雪と泥を知らない『机上の空論』です。あなたの美しい数字では、誰の命も救えません!」
審査員席の老人たちが、ハッとして顔を見合わせた。
誰も、私の言葉に反論できなかった。
彼らもまた、王都の暖かい部屋から一歩も出たことがなく、辺境の厳しい冬の現実を想像したことすらなかったのだ。
私は、ユリウス様を見た。
彼は、真っ白な式服に身を包んだまま、黒板の前に立ち尽くしていた。
その青い瞳は、自分が見落としていた『現実』という巨大な壁を突きつけられ、激しく揺れ動いていた。
彼は、決して悪い人ではない。ただ、完璧な数字を出せば人が救えると純粋に信じていただけなのだ。だからこそ、自分の無知がどれほど致命的な結果をもたらすかを理解し、言葉を失ってしまった。
「……君の、言う通りだ」
長い沈黙の後。
ユリウス様は、ポツリと、消え入るような声で呟いた。
「僕の計算式には、『雪』という変数が……抜け落ちていた。紙の上の数字だけで、命を量ろうとしていた……」
彼は、持っていたチョークをカタンと教卓に置いた。
そして、私に向かって深く、静かに頭を下げた。
「僕の負けだ、リゼット嬢。君の案こそが、本物の領地経営だ」
王都で秀才と呼ばれる少年が、言葉を失った。




