第24話 第三試問・領地経営 前半
大講堂は、異様な空気に包まれていた。
王都で最も権威ある家庭教師の一人、ラングレー先生が、自分の持ち出した古典の矛盾を八歳の子供に突かれ、顔面蒼白のままフラフラと退場していったからだ。
傍聴席にいるお母様は信じられないものを見たように固まり、お姉様たちは持っていた扇を落としそうになっていた。
私は、まだ少し震えている自分の両手を、ドレスのスカートでギュッと拭った。
勝った。私が辺境で学んだ「歴史の嘘を読む目」は、王都の大人たちの常識を確かに打ち破ったのだ。
「……静粛に」
審査員長の重々しい声が、ざわめく大講堂を制した。
「これより、最終試問である第三試問へと移る。科目は『領地経営』である」
その言葉とともに、傍聴席から一人の少年が軽やかに壇上へと舞い降りてきた。
真っ白な式服に身を包んだ、金髪に青い瞳の少年。
王都が誇る十二歳の神童、ユリウス・ヴェルナー様だった。
「やあ、リゼット嬢」
ユリウス様は、私の前で立ち止まると、花が咲くようなキラキラとした笑顔を向けた。
「さっきの古典の指摘、見事だったよ。あの詩の年代がおかしいなんて、僕も気づかなかった。君は辺境で、とても素晴らしい勉強をしてきたんだね」
その言葉には、お姉様たちやラングレー先生が持っていたような「見下し」や「嫌味」の感情は一切含まれていなかった。ただ純粋に、私の知識を評価し、感心している本物の秀才の顔だった。
「でも、次は僕の番だ。お手柔らかに頼むよ」
ユリウス様は悪意なくそう言って、自分の席についた。
私は、彼が放つ圧倒的な「天才」の空気に、お腹の底が少しだけ冷たくなるのを感じた。
「第三試問の課題を発表する」
審査員が、黒板に大きな地図を貼り出した。それは、山と川に囲まれた、どこか北方の架空の領地だった。
「昨冬の異常な冷害により、この領地内の五つの村は深刻な食糧不足に陥っている。王都から支給される特別予算を使い、春から冬にかけて、どのように麦を買い付け、どのように各村へ輸送し、領民を飢えから救うか。最も効率的で確実な再建計画を立てなさい」
「はい」
ユリウス様は、審査員の言葉が終わるや否や、躊躇いなく立ち上がり、大きな黒板の前に立った。
そして、恐ろしいほどの速さで、チョークを滑らせ始めた。
カツカツカツカツ、と小気味良い音が大講堂に響く。
彼が書き出しているのは、王都の財務局が使うような高度な計算式だった。
「まず、支給された予算を最大限に活かすため、春と夏には動かず、秋の収穫期に麦の価格が最も下がったタイミングで、他領から一括して麦を買い付けます」
ユリウス様は、よく通る声で説明しながら、迷いなく数字を埋めていく。
「そして、買い付けた大量の麦を、大型の荷馬車十台に分散させ、秋の終わりから冬の初めにかけての三週間で、五つの村へ一斉に輸送します。輸送ルートは、最も距離が短く平坦な中央街道を使用。これにより、輸送にかかる人件費と日数を最小限に抑えることができます」
黒板には、予算の割り振りから、各村へ行き渡る麦のグラム数まで、一桁の狂いもなく美しく並べられていた。
「計算上、この計画であれば、無駄な経費を一切かけることなく、すべての村の領民が冬を越すのに十分な麦を、完全に平等に分配することができます」
ユリウス様がチョークを置くと、大講堂は一瞬の静寂の後、感嘆のどよめきに包まれた。
「素晴らしい」「十二歳で国家予算規模の計算を完璧にこなすとは」「これぞ王都の誇る神童だ」と、審査員たちも大きく頷いている。
私も、彼が書いた数字から目が離せなかった。
足し算、掛け算、割り算。そのどれもが完璧だ。王都の大人たちが最も喜ぶ、「無駄のない、美しくて効率的な数字」だった。
「では、リゼット嬢。あなたの案を黒板に書きなさい」
私は促され、ゆっくりと立ち上がって黒板の空いている半分に向かった。
チョークを握り、私が書いたのは、ユリウス様のような美しい計算式ではなかった。
「私は……春のうちに、予算の半分を使って少し割高でも麦を買います。そして、夏の間から、山沿いにある村へ、少しずつ何度も馬車で運びます。残りの予算は、冬を越すために、麦を傷みにくい保存食に加工するための費用に回します」
私が書き出した数字と計画は、ユリウス様のそれに比べると、あまりにも地味で泥臭かった。
「……リゼット嬢。あなたの案は、春に高い麦を買うことで予算を無駄に圧迫している。さらに、何度も輸送を繰り返すことで人件費が嵩み、最終的に領民の口に入る麦の総量が、ユリウス殿の案に比べて一割以上も少なくなっているが?」
審査員の一人が、眉をひそめて指摘した。
「それに、大型馬車を使って中央街道を一気に通れば済むものを、なぜわざわざ細かく分けて運ぶ必要があるのか。数字上、ヴェルナー家の嫡男の案が圧倒的に優れていると言わざるを得ない」
傍聴席からも、「やはり子供の浅知恵だ」「奇をてらっただけで、実務の計算が全くできていない」と、呆れたような囁きが聞こえ始めた。
「リゼット嬢」
ユリウス様が、私の方を見て少しだけ困ったように微笑んだ。
「君の、慎重に運ぼうとする優しさは分かるよ。でも、上に立つ者は、感情ではなく数字で全体を見なければならない。僕の計算式なら、無駄な経費を省いて、君の案よりも百人以上の命を多く救うことができるんだよ」
ユリウス様の声には、私を見下す響きは全くない。
彼は本当に、自分の完璧な計算が多くの人を救うと信じて、私に正しい答えを教えてあげようとしているのだ。
私は、ギュッとチョークを握りしめ、唇を噛んだ。
大講堂の空気は、完全にユリウス様の勝利を確信していた。
反論の言葉が見つからない。だって、計算式の上では、どう足掻いても彼の数字の方が大きくて、美しくて、正しいのだから。
紙の上では、ユリウス様が正しい。




