第20話 王都入り、再会、嘲笑
馬車の車輪が、硬い石畳の上を転がる音に変わった。
窓の外には、背の高い白亜の建物が立ち並び、色鮮やかなドレスを着た貴族たちが行き交っている。
王都だ。
私が八年間を過ごし、そして「いらない子供」として捨てられた場所。
辺境の冷たくて澄んだ風に慣れていた私の鼻に、甘い香水と馬の匂いが混ざった、あの独特の重い空気が流れ込んできた。
(息が、苦しい……)
私たちは、王都の中心にある巨大な建物、王立学術院に到着した。
見上げるほど高い大理石の柱と、彫刻が施された重厚な扉。それはまるで、辺境から来た私を「お前のような子供が来る場所ではない」と威圧して、見下しているように感じられた。
「行くぞ、リゼット」
ギデオン辺境伯様が、私の小さな背中をポンと軽く叩いた。
反対側には、いつもの黒いドレスに身を包んだマグダレーナ先生が、冷たい顔で前を向いて歩いている。
お二人が両側にいてくれることは心強かったけれど、私の足取りは鉛のように重かった。先生が言っていた通り、特別試問の壇上に上がれば、私は一人で戦わなければならないのだ。
学術院の長い廊下を歩き、大講堂の控室に向かう途中だった。
「……やはり、現れたか」
氷のように冷たい、低い声が響いた。
私の肩が、ビクリと大きく跳ねた。
廊下の前方に、見覚えのある集団が立っていた。お父様とお母様、そして、色とりどりの完璧なドレスを着飾った四人のお姉様たちだった。
「お父様……お母様……」
私が震える声で呟くと、お母様は信じられないものを見るような目で私を見下ろし、深いため息をついた。
「リゼット。辺境の厳しい環境で、少しは自分の行いを反省したかと思えば。恥知らずにも、またこの王都へ戻ってきて家の空気を乱すのですね」
「違うわ。私は、学術院に呼ばれて……」
「言い訳は聞きたくありません。どうせ、そちらの辺境伯様に言いくるめられて、自分の名前を使わせたのでしょう」
お母様は、私を助けようとしたり、話を聞こうとしたりする気は欠片もなかった。
その後ろで、三女のクラリスお姉様と四女のディアナお姉様が、扇で口元を隠してクスクスと笑った。
「本当に、みっともないわ。八歳の子供が財務局の書類の矛盾を暴いただなんて、王都中の笑い者よ」
「辺境の泥水をすすって、とうとう頭までおかしくなってしまったのね。あなたみたいな子が公爵家にいたことが、本当に恥だわ」
綺麗に整えられた髪。完璧な角度の微笑み。
お姉様たちのその姿は、私がどうしてもなれなかった『王都の正解』だった。
言い返さなきゃ。先生に教わったように、相手の悪意を見抜いて、言葉で突き返さなきゃ。
そう頭では分かっているのに、王都の空気に飲まれた私の喉は、ヒュッと引きつって声が出なかった。
「公爵夫人のおっしゃる通りですな。実に嘆かわしい」
さらに追い打ちをかけるように、横の扉から一人の男の人が現れた。
私が「教育不能」だと言い捨てた、元家庭教師のラングレー先生だった。
ラングレー先生は、ギデオン様とマグダレーナ先生をチラリと見てから、大きな声で周囲の貴族たちに聞こえるように笑った。
「私が匙を投げたほど、物事の道理を理解できない子供なのですよ。それが、国家の予算計画を論理的に読み解くなど、太陽が西から昇ってもあり得ない。辺境伯閣下も、政治の駆け引きに子供を盾として使うとは、ずいぶんと野蛮な真似をなさる」
周囲に集まっていた大人たちが、ラングレー先生の言葉に同調して、私たちを見てニヤニヤと嘲笑っている。
誰も、私が書いた報告書を本物だとは思っていない。「大人が子供を利用しているだけだ」と、最初から決めつけているのだ。
「……野蛮なのは、書類の中身も見ずに肩書きだけで判断する、お前たちのその濁った目の方だろう」
ギデオン様が一歩前に出て、低い声で威嚇するように言った。
ラングレー先生がヒッと息を呑んで後ずさった、その時だった。
「皆様、どうかその辺りで。これから試問に臨む方に、あまりプレッシャーをかけてはいけませんよ」
涼やかで、よく通る少年の声がした。
モーゼが海を割るように、周囲の大人たちがサッと道を譲る。
そこから現れたのは、真っ白な式服に身を包んだ、金髪に青い瞳の男の子だった。十二歳くらいだろうか。背筋はピンと伸び、その立ち振る舞いには、お姉様たち以上に完璧な『王都の洗練』が詰まっていた。
「あなたが、辺境から来たリゼット嬢だね」
少年は、私の前で優雅に立ち止まり、悪意の欠片もない、キラキラとした笑顔を向けた。
「僕はユリウス。ユリウス・ヴェルナーだ。君の提出したという報告書の噂は聞いているよ。僕たち王都の人間には思いもつかない、どんな奇抜で面白いアイデアを見せてくれるのか、今日の試問をとても楽しみにしているよ」
神童、ユリウス。
その名前は、私でも知っていた。王都の大人たちがこぞって「天才」と持て囃す、本物の秀才。
彼の言葉には、お姉様たちやラングレー先生のようなトゲはなかった。
でも、だからこそ怖かった。
彼は、私をライバルとしてすら見ていない。「辺境から来た子供が、どんなお遊戯を見せてくれるのか」と、純粋に見物客として楽しみにしているだけなのだ。
圧倒的だった。
完璧な礼法。揺るぎない自信。彼を絶賛し、守るように囲む大勢の大人たち。
それに比べて、私はどうだ。
辺境で少しだけ帳簿の計算ができたからといって、調子に乗っていただけじゃないのか。
私の見つけた『矛盾』なんて、この巨大な王都の天才たちの前では、ただの子供のわがままだと一蹴されてしまうのではないか。
(怖い……)
足の震えが止まらなくなった。
両手でギュッとドレスの布を握りしめても、膝から崩れ落ちそうになる。
周りを見渡せば、私を冷たい目で見下ろすお父様とお母様、嘲笑うお姉様たち、そして失敗を待っている大勢の貴族たち。
私が空気を壊すから。私が上手に笑えないから。
ここで失敗したら、彼らの言う通り、私はやっぱり「ただの出来の悪い子供」として処理されてしまう。私の言葉はすべて大人のものにされ、私は二度と自分の考えを口にすることを許されなくなる。
ここで負ければ、また「黙って笑え」に戻る。




