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「黙って笑えないならいらない」と捨てられた八歳の公爵家五女、辺境の魔女先生に鍛えられて王都の天才たちを黙らせる  作者: 他力本願寺


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第19話 王都からの招待

辺境の雪はまだ残っていたが、屋敷の周りでは白い表面が少しずつ緩み、地面の端に黒い土が覗き始めていた。


「リゼット様、エルム村の村長から今年の種まきが無事に始まったと、旦那様へ報告がありましたよ」


朝食の時、マルタさんが嬉しそうに教えてくれた。

私は、温かいスープを飲みながら、ほっと胸を撫で下ろした。

もしあの時、私が王都の財務局の嘘を見抜けず、計画書がそのまま通っていたら。今頃、エルム村の大人たちは冷たい泥の中で水路を掘らされ、種まきどころではなかったはずだ。


(私の書いた数字が、村を守ったんだわ)


それは、これまでの八年間の人生で、一度も味わったことのない感覚だった。

王都のお屋敷で、お姉様たちとお茶会で綺麗に笑っていても、誰かの役に立ったことなんてなかった。私の知識はいつも「可愛げがない」「空気を壊す」と否定されるだけだったのに。


「にやけていないで、手を動かしなさい」


「……はい、先生」


マグダレーナ先生の冷たい声が飛んできて、私は慌てて手元のノートに視線を戻した。

相変わらず先生は厳しい。けれど、私はもう先生の赤いインクを怖いとは思わなかった。この厳しい授業の先に、私自身を、そして誰かを守るための力が確実にあると知ってしまったからだ。



そんな穏やかな春の空気が、突然の来訪者によって破られたのは、その日の午後のことだった。


「王立学術院より、急ぎの使者です」


辺境伯様の執務室に呼ばれた私は、ギデオン様と先生の横に立ち、王都からやってきた使者と向き合っていた。

つい数週間前、私の報告書の『受理証』を持ってきたのと同じ、学術院の紋章が入った外套を着た男の人だ。


「先日提出されたリゼット・オルブライト様の見事な報告書につきまして、学術院の長老会議にて協議が行われました。その結果、ぜひこの類稀なる才女を王都へとお招きし、その叡智を直接披露していただきたいとの決定が下されました」


使者は恭しく頭を下げ、縁取りに金箔が施された美しい封筒を差し出した。

それは、年齢不問で行われる王立学術院の『特別試問』への招待状だった。


「……ほう」


ギデオン様が、低く唸るような声を出した。


「ずいぶんと急な話だな。あの大層な老人たちが、わざわざ八歳の子供を王都まで呼びつけて、直接話を聞きたいと?」


「はい。それほどまでに、あの報告書の論理構成が素晴らしかったということです」


使者は笑顔で答えたが、私はその笑顔の奥に、少しだけ嫌な冷たさを感じた。

お茶会で、私を末席に座らせたあの下級役人と同じ、上辺だけの綺麗な笑顔。


使者が退室した後、執務室には重苦しい沈黙が降りた。


「……くだらん」


ギデオン様が、机の上に置かれた金色の招待状を忌々しそうに見下ろした。


「王都の狸どもめ。腹の底が透けて見えるわ」


「えっと……ギデオン様?」


私が戸惑って声をかけると、先生がいつものように淡々とした声で解説を始めた。


「リゼット。あの使者の言葉を、額面通りに受け取ってはいけません」


先生の銀縁の眼鏡が、冷たく光った。


「王都の大人たちは、あなたの報告書を法的に受理せざるを得ませんでした。手続きが完璧だったからです。ですが、彼らのプライドは、それを素直に認めることを許しません。ましてや、財務局の役人が失脚し、ゴルド商会との癒着が暴かれたことで、裏で甘い汁を吸っていた多くの貴族たちが面子を潰されました」


私は、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「じゃあ、この招待状は……」


「ええ。彼らはあなたの『叡智』など見たくもない。彼らが確かめたいのはただ一つ。『あの報告書は、本当に八歳の子供が一人で書いたのか』ということです」


先生の言葉が、冷たい水のように私の頭からかけられた。


「彼らは、あなたが学術院の壇上で言葉に詰まり、答えられず、無様に泣き出すのを待っているのです。そうすれば、『やはりこの子供は何も分かっていない。報告書は辺境伯か魔女が書かせた偽物だ』と断定し、あなたの功績をすべてなかったことにできる。この特別試問は、あなたの化けの皮を剥がすための公開処刑の場なのです」


私は、震える両手で自分のドレスの裾を強く握りしめた。

怖い。王都の大人たちが、大勢で私を囲んで、意地悪な質問を投げかけてくる光景が目に浮かぶ。お父様の書斎で「教育不能」と切り捨てられた時の恐怖が、足元から這い上がってきた。


「行く必要はない」


ギデオン様が、短く言い捨てた。


「辺境伯の権限で、健康上の理由とでもして断状を叩きつけてやる。こんな見え透いた罠に、わざわざ子供を放り込んでやる義理はない」


ギデオン様の言葉は、とても心強かった。

断ってしまえばいいのだ。私はもう、ここで十分に幸せなのだから。王都の意地悪な大人たちなんて無視して、ここでマルタさんのスープを飲んでいればいい。


(……でも)


私は、胸の奥にある『受理証』のことを思い出した。

私の名前が書かれた、ただ一つの証拠。

もしここで逃げたら、王都の大人たちは「やっぱり偽物だった」と笑うだろう。エルム村を救ったあの報告書は、「辺境の大人たちがやったこと」として処理され、私の名前は消されてしまう。


それは、私がお父様に「出来の悪い娘」として捨てられた、あの『黙って笑え』と言われていた無力な子供に逆戻りするということだ。


「……先生」


私は、震える声を必死に押し殺して、先生を見上げた。


「もし私がこの試問に失敗したら、どうなりますか?」


「あなたの功績は大人のものと見なされ、あなたは再び『頭に難のある公爵家の五女』に戻ります」


「もし……行かなかったら?」


「同じことです。逃げた時点で、彼らはあなたの無能を確信するでしょう」


先生は、答えを教えなかった。ただ、事実だけを並べて、私に選ばせようとしていた。


私は、机の上にある金色の招待状に手を伸ばした。

指先が微かに震えていたけれど、私はそれをしっかりと両手で掴み取った。


「私、行きます」


私の言葉に、ギデオン様が驚いたように目を見開いた。


「リゼット。相手は王都の海千山千の学者や貴族どもだ。お前を助けようとする者など、あの場には一人もいないんだぞ」


「分かっています」


私は、ギュッと招待状を胸に抱きしめた。


「でも、これは私が書いた答えです。私の見つけた嘘です。ここで逃げたら、私は一生、自分の名前を大人たちに奪われたまま生きていくことになります」


私は、お父様に捨てられたあの日、泣きながら馬車に乗った弱い子供のままではいたくなかった。


疑いを晴らすには、自分で証明するしかない。

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