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「黙って笑えないならいらない」と捨てられた八歳の公爵家五女、辺境の魔女先生に鍛えられて王都の天才たちを黙らせる  作者: 他力本願寺


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18/22

第18話 本人の署名で受理

屋敷の屋根から、ポタポタと雪解け水が落ちる音が聞こえ始めていた。

「あんなに分厚く積もっていた雪も、少しずつ高さを減らし、地面の端には湿った土が覗き始めていた。辺境の長くて厳しい冬が、ようやく終わりの気配を見せていた。


私が書いた『辺境水路再編計画の矛盾に関する報告書』を王都へ送ってから、数週間が経っていた。


「集中しなさい、リゼット。計算式が乱れていますよ」


「……はい、先生」


私はハッとして、目の前のノートに視線を戻した。

マグダレーナ先生の授業は相変わらず厳しく、少しでも気を抜けば容赦なく赤いインクが飛んでくる。

頭では分かっているのに、どうしても心の一部が、遠い王都の方へ向いてしまっていた。


(私の報告書、どうなったんだろう……)


ちゃんと王立学術院の偉い人たちに読んでもらえたのだろうか。

「子供が書いた生意気な紙切れだ」と、内容も確認されずに暖炉に放り込まれてはいないだろうか。それとも、先生が言っていたように、王都の財務局の役人たちが裏で手を回して、証拠ごと握り潰してしまったのだろうか。


不安で、夜も上手く眠れない日があった。

でも、その度に私は、自分の名前を書いた時の、少し痛くなった指先の感覚を思い出した。


(大丈夫。証拠は完璧だった。手続きも、先生の言う通りに全部やったわ)


自分が頭を使って見つけた、嘘と矛盾。

それがどう評価されるのか、結果が出るまでは絶対に逃げない。私はペンを握り直し、目の前の計算問題に再び向かった。



その日の午後、王都から公式の使者がやってきた。

以前、私を末席に座らせたあの下級役人とは違う、王立学術院の紋章が入った外套を着た、厳格そうな使者だった。


「辺境伯閣下、ならびにリゼット・オルブライト様」


応接室で、辺境伯様と先生に付き添われて座る私に、使者は深く頭を下げた。


「王立学術院より、過日提出されました報告書に関する『受理証』および『裁定結果』をお持ちいたしました」


使者が差し出した立派な書類を、辺境伯様が受け取り、ゆっくりと封を切った。

私の心臓が、耳のすぐそばで鳴っているようにうるさかった。


辺境伯様は書類に目を通し、その無愛想な顔に、ほんの少しだけ得意げな色を浮かべた。


「……王立学術院の裁定により、エルム村の予算割り当てに関する告発は、正当かつ明白な証拠に基づくと認められた。よって、当該水路再編計画は白紙撤回。また、計画を主導した財務局の役人およびゴルド商会については、不正の疑いで内部調査が入ることになったそうだ」


「っ……!」


私は、両手で口を覆った。

勝った。王都の大人たちが作った、エルム村を潰すための悪意ある数字のパズルを、私が書いた報告書が完全に打ち砕いたのだ。


「そして、これが受理証だ」


辺境伯様が、一枚の証書を私の方へ差し出した。

そこには、王立学術院の立派な金色の印章と共に、告発者の名前が記されていた。


『リゼット・オルブライト』


私の名前だ。

辺境伯様の名前でも、マグダレーナ先生の名前でもない。王都の偉い人たちは、私が書いた報告書を、間違いなく私のものとして認めてくれたのだ。


「先生……!」


私は、横に立つ先生を見上げた。

先生は、相変わらず表情一つ変えずに私を見下ろしていた。


「言ったはずです。手続きさえ完璧であれば、彼らはあなたの存在を切り捨てることはできないと」


先生の言う通りだった。

もしあの時、面倒くさがって全ページに署名をしなかったら。辺境伯様に証人添状を書いてもらわなかったら。

きっとこの功績は、「辺境伯が主導した」とか「大人が子供の名前を騙った」とか、都合よく事実を捻じ曲げられ、私の名前はどこかへ消えていたはずだ。


私は、自分の名前が書かれた受理証を、胸にぎゅっと抱きしめた。

先生への憎しみが、完全に消えたわけじゃない。でも、この証書が私の手元にあるのは、先生が私の名前を守るための盾を持たせてくれたからだ。


(……ありがとうございます)


声には出さず、心の中だけで、私は黒衣の先生に頭を下げた。



――その頃、王都。

オルブライト公爵家の当主、エドガーの書斎は、重苦しい空気に包まれていた。


「……これは、一体どういうことだ」


エドガーは、手元に届いた王立学術院からの通達書を睨みつけ、低く唸った。


王都の貴族社会は今、一つの噂で持ちきりになっていた。

あの完璧な計算で作られたはずの辺境水路計画の裏帳簿が、たった一通の報告書によって完全に暴かれ、財務局の役人が失脚したというのだ。


そして、その見事な報告書を書き上げたのは、学術院の老練な学者でも、辺境伯ギデオンでもない。

エドガー自身が「教育不能の出来の悪い娘」として辺境に捨てた、八歳の五女、リゼット・オルブライトだというのだ。


「馬鹿な。あの子供に、財務局の裏帳簿が読めるはずがない」


エドガーは、苛立たしげに書類を机に叩きつけた。

リゼットが、大人の言葉の矛盾や帳簿のズレに気づく厄介な目を持っていることは知っていた。だからこそ、家の秘密を暴かれる前に辺境へ追放したのだ。

だが、国家の予算計画の嘘を、法的な証拠を揃えて論理的に告発するなど、八歳の子供にできる芸当ではない。


「辺境伯か、あの魔女クロウが書かせたに決まっている。我が公爵家の名前を騙り、自分たちの都合の良いように計画を潰したのだ」


エドガーはそう結論づけ、学術院へ抗議の書状を送ろうとした。

娘の名前を利用されたのなら、公爵家当主である自分が親権を行使し、その報告書を無効にするか、あるいは「公爵家の指導の賜物」として功績をこちらで回収してしまえばいい。


しかし、通達書の続きを読んだエドガーの手が、ピタリと止まった。


そこには、報告書が受理された経緯が、法的に一切の隙なく記されていたのだ。

全ページに施されたリゼット本人の自筆署名。公爵家の血筋を示す認証封蝋。そして、辺境の領主ギデオン・レーヴェンの直筆による、作成過程の証人添状。

王都のどんな権威ある弁護士を連れてきても、この報告書が「本人の意思と手によるものではない」と覆すことは不可能なほど、完璧な手続きが踏まれていた。


エドガーは、椅子に深く背中を預け、長い沈黙に落ちた。

自分の都合で捨てたはずの娘が、今や王立学術院が認める公式な功績を持ち、誰にも奪われない形で自分の足で立っている。


「リゼット・オルブライト嬢の報告書は、本人の署名により受理された」


父は初めて、娘の名前を証書の上で見た。

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