第12話 二通目の手紙
辺境の生活は、厳しい寒さとは裏腹に、私の心を少しずつ解きほぐしてくれていた。
朝起きると、マルタさんが部屋の暖炉に薪をくべてくれていて、パチパチとはぜる音と火の温もりが部屋を満たしている。
朝食のスープはいつも根菜がたっぷりで、食べ終わる頃には体の芯までぽかぽかになる。
午前中の先生の授業は相変わらず厳しくて、私の答案は毎日赤いインクで真っ赤になるけれど、間違えた理由をちゃんと探せば、次は必ず「昨日よりは良くなりましたね」と、少しだけ頷いてもらえる。
「リゼット様、お茶が入りましたよ」
「ありがとう、マルタさん」
昼下がりの食堂で、温かいお茶が入ったカップを両手で包み込む。
公爵家にいた頃は、お茶の時間といえば「お母様やお姉様たちの機嫌を損ねないように、ただ黙って微笑むだけの息の詰まる時間」だった。
でも今は、お茶のいい匂いをかぎながら、ミナから教えてもらった雪道の話を思い出したり、午後から読む本の内容を考えたりして、自然に呼吸をすることができる。
(ずっと、ここにいられたらいいのに)
窓の外に広がる白い雪景色を見ながら、私はそんなことを願うようになっていた。
お父様に見捨てられて送られたこの北の果てが、私にとって一番居心地の良い、帰りたくなる場所になっていたのだ。
そんな穏やかな昼下がりの空気を破るように、カツカツという足音が廊下に響いた。
「リゼット。王都から、また手紙です」
マグダレーナ先生が食堂に姿を現し、私の目の前のテーブルに一通の封筒をコトリと置いた。
私はカップから手を離し、その封筒を見つめた。
前回のお母様からの手紙のような、甘い香水の匂いはしない。分厚くて硬い羊皮紙の封筒の裏には、重々しい黒い蝋でオルブライト公爵家の印が押されていた。
お父様からの、手紙。
お腹の底が、ヒュッと冷たくなるのを感じた。
「辺境へ預けろ」と、私を見ずに言い放った、あの氷のような灰青色の目。
私はごくりと唾を飲み込んで、ペーパーナイフで慎重に封蝋を割った。
中に入っていた便箋は、お父様の性格を表すように、角ばった無駄のない文字で書かれていた。
『リゼットへ。
母からの手紙に対する、あの無礼な返信は何事か。
辺境の魔女に預けられたからといって、公爵家の娘としての礼儀すら忘れたか』
一行目を読んだ瞬間、私の心臓がドクンと嫌な音を立てた。
怒っている。お父様の冷たい怒りの声が、紙の向こうから聞こえてくるようだった。
『お前は遠く離れてはいるが、オルブライト公爵家の娘であることに変わりはない。
その自覚を忘れず、辺境伯の庇護のもとで、日々怠ることなく教育に励むように。
追伸。
お前が公爵家の娘としての務めを理解し、反省している証として。
返信の手紙には、次の一文を一字一句違わずに書き写しなさい。
「私はオルブライト公爵家の娘として、父上のご判断に従います」』
私は、その最後の一文をじっと見つめながら、小刻みに震える手をギュッと握りしめた。
『父上のご判断に従います』。
「……」
頭の奥で、マグダレーナ先生の冷たい言葉が蘇る。
『感情も近況も、書いてはなりません。誰に利用される文か考えなさい』
あの日、私は先生の指導に従って、「手紙は受け取りました」という事実だけを書いたとても短い返信を送った。
でも、その結果がこれだ。先生の言う通りにしたら、お父様を激怒させてしまったのだ。
もしここで私がまた先生の教えを守って、お父様が「一字一句違わずに書き写せ」と命令したこの一文を書かなかったら、どうなるだろうか。
『やはりあの子は反抗的だ。公爵家の恥を辺境に置いておくのももったいないから、別の修道院にでも閉じ込めてしまおう』
そんなふうに判断されて、今度こそ完全に罰せられ、この屋敷からも追い出されてしまうかもしれない。
(それは、絶対に嫌だ)
せっかく見つけた、私が私でいられる場所。
間違えても笑われない教室。マルタさんの温かいスープ。ミナとの帰り道。
それを取り上げられることだけは、どうしても避けたかった。
私は、お父様の手紙をもう一度読み直した。
お父様のご判断って、何のことだろう。
お父様は、私を「家の空気を乱す存在」だと判断して、辺境に送った。ということは、お父様の判断に従うというのは、「このまま辺境に大人しく留まります」という意味になるはずだ。
「私は反省して、お父様の言う通り、この辺境でおとなしく過ごします。だから、もう私のことは放っておいてください」
この一文を書けば、そうお父様に伝わる。
そうすれば波風は立たず、私は今まで通り、ここで静かに暮らすことができるはずだ。
それに、今回は私の感情や近況を書くわけじゃない。お父様が指定した定型文をただ写すだけの『作業』だ。
私の言葉が一つも入っていない文章なら、先生が言っていた『誰かに勝手に解釈されて利用される隙』なんてないはずだわ。
私は小さく頷くと、自分の部屋から真っ白な便箋とペンを持ってきて、テーブルの上に広げた。
インク壺にペン先を浸す。
お父様を安心させて、この居場所を守るために。
そして、これ以上お父様を怒らせて、怖い目に遭わないように。
私は、自分の言葉を一切殺し、言われた通りの文字だけを便箋に書き写し始めた。
『お父様へ。
お手紙、確かに受け取りました。
私はオルブライト公爵家の娘として――』
ペンが、真っ白な紙の上を滑っていく。
さらさらと、静かな食堂に文字を書く音だけが響いていた。
少し離れた場所で。
その返事を、先生が黙って見ていた。




