10.親友の公開処刑
翌日の正午。
王都の中心に位置する中央広場は、数万にも及ぶ群衆で埋め尽くされ、異様な熱気とざわめきに包まれていた。
広場の中央に急造された、巨大な処刑台。そこに、太い鋼の鎖で縛り付けられ、跪かされている一人の男がいた。
「あれが……『真実の騎士』レオン様?」「嘘だろ……あんなにボロボロになって……」
群衆の中から、悲鳴のような囁きが漏れる。
レオンは両脚を無惨に砕かれ、全身血まみれの状態でうなだれていた。その虚ろな瞳は焦点が合っておらず、呪印の強制力と激痛で意識が混濁しているのが誰の目にも明らかだった。
処刑台の上段から、その惨状を冷酷に見下ろしている男が一人。豪奢な法衣を纏い、片眼鏡を光らせた神経質そうな痩せ男。教会が定めるすべての法律と異端審問を統括する男。【六枢機】が一人、法の枢機・クロード。
「静まれ、王都の民よ!!」
クロードが声を張り上げると、拡声魔法を通じてその声が広場全域に響き渡り、数万の群衆が一瞬にして静まり返った。
「皆も知っての通り、昨晩、王都において凶悪なテロ行為が発生した!武の枢機・バルド猊下が、卑劣な暗殺者の手によって命を奪われたのだ!」
クロードは処刑台に縛られたレオンを指差し、忌々しげに吐き捨てた。
「その首謀者こそが、異端者ノア・ヴェイン!そして、実行犯としてノアと内通し、バルド猊下を背後から襲った裏切り者が……そこにいる大罪人、レオンだ!!」
群衆から、どよめきと怒号が上がる。王国最強の騎士が、教会の最高幹部を暗殺した。教皇グレゴリウスが仕組んだその「筋書き」を、市民たちは完全に信じ込まされていた。
だが、その群衆の最後尾。深くフードを被った俺は、シトリーと共にその茶番を冷めた目で見上げていた。
「……見え透いた嘘ですわね」
力を失い、ただの小柄な少女となったシトリーが、俺のコートの裾を握りしめながら吐き捨てる。
「ああ。バルドが死んだのは本殿の最奥。しかもあいつ自身が教会に反逆して進軍した結果だ。……だが、教会としては『六枢機同士が殺し合いをした』なんて醜聞、絶対に世間には知られたくない。だから、レオンに全ての罪をなすりつけた」
「ええ。それに、ノア様をおびき出すための露骨な『罠』でもありますわ。処刑台の周囲には、私服姿の異端審問官が数百人は紛れ込んでいます。……今の私の力では、あそこへ強行突破してレオンを助け出すことは不可能です」
シトリーが悔しそうに唇を噛む。
確かに、教皇のやり方は合理的だ。俺の戦力が削れているタイミングを見計らい、決して見捨てられない親友の命を人質に取った。
「ノア様……いかがなさいますか?」
「心配するな、シトリー。むしろ最高の盤面だ」
俺はフードを深く被り直し、数万の群衆の壁へと歩き出した。
「相手から『嘘』をつくための舞台を用意してくれるとはな。……群衆が多いほど、あいつらは引っ込みがつかなくなる」
俺は人混みを掻き分け、処刑台がよく見える最前列付近へと進み出た。
処刑台の上では、クロードが仰々しく演説を続けている。
「我ら聖導教会は、女神の法の下にただ真実のみを語り、公正な裁きを下す!このレオンという男は、騎士の誓いを破り、教会に牙を剥いた悪魔の眷属である!故に、女神シエインの御名において、この場で斬首刑に処す!!」
死刑執行人の巨大な斧が、太陽の光を反射してギラリと輝いた。民衆が息を呑み、絶望的な空気が広場を支配する。
斧が振り上げられ、レオンの首に落とされようとした、まさにその瞬間。
「――待てよ。その裁判、少しばかり『証拠』が足りないんじゃないか?」
広場の静寂を切り裂くように、俺の通る声が響き渡った。
「な、なんだ貴様は!?」
数万人の視線が、一斉に俺へと注がれる。俺はフードを後ろに跳ね除け、堂々と処刑台を見上げた。
「ノ、ノア・ヴェイン……!?貴様、自ら姿を現すとは……!」
クロードが驚愕に目を見開く。同時に、広場に潜んでいた数百人の異端審問官たちが、一斉に武器を抜いて俺を包囲しようと動き出した。
「動くな。俺に指一本でも触れれば、広場のあちこちに仕掛けた『起爆札』が作動して、この群衆ごと火の海になるぞ」
俺が右手に握りしめた『ただの石ころ(起爆スイッチのハッタリ)』を掲げてみせると、審問官たちは一般人の犠牲を恐れてピタリと動きを止めた。
「き、貴様……っ!ここをどこだと心得る!大罪人の分際で、神聖な法廷を愚弄する気か!」
「神聖な法廷?笑わせるな」
俺は嘲笑し、数万の群衆にも聞こえるように声を張り上げた。
「レオンがバルドを暗殺しただと?妙だな。一昨日、スラム街を包囲したバルドの軍勢『三千人』は、そのままどこかへ行軍していったはずだ。三千の兵士に守られた将軍を、たった一人の騎士がどうやって暗殺できる?」
「そ、それは……っ!」
クロードが言葉に詰まる。群衆の中からも「確かに……」「三千の軍隊はどうなったんだ?」と、疑問のざわめきが広がり始めた。
「それに、聖導教会本殿の一部が崩壊し、黒焦げになっているのも妙だ。……なぁ、クロード。本当は、バルドが三千の兵を率いて教会本殿に反逆したんじゃないのか?お前たちはその不祥事を隠蔽するために、レオンに罪をなすりつけただけだろう!」
俺の痛烈な指摘に、広場は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。教会の絶対的な権威と信頼が、数万人の目の前で揺らいでいく。
「黙れ、黙れェッ!!この異端者め、適当なデタラメを吹き込みおって!」
クロードの顔が、屈辱と焦りで真っ赤に染まった。
彼は教会の体面を守るため、そして数万の群衆の疑念を払拭するために、自らが握る『法の権威』に縋り付いて叫んだ。
「バルド猊下は最後まで教会に忠誠を誓っていた!本殿への反逆など断じてあり得ない!全てはこの大罪人レオンと貴様が仕組んだ凶行だ!私は法の枢機として、女神シエインの御名において、その真実をここに誓う!!」
――チェックメイトだ。
「……今、条件は満たされた」
俺は歓喜に口角を吊り上げ、冷酷に宣告した。
カチリ。
俺の左眼の奥で、黄金の『天秤』が傾く音がした。
【発動条件クリア】
【対象の『嘘』を検知。絶対命令権を確立します】
異能――『天秤の制約』。
「お前は数万人の民衆と、女神の前で『決定的な大嘘』を吐いたな」
俺の左瞳が、黄金に輝く天秤の紋章へと変貌する。
「教会の権威を守るためについたその保身の嘘。……その大嘘の『質』と同等の絶対命令権を、俺は世界から強制的に借り受ける」
その黄金の光を見た瞬間。
処刑台の上で顔を真っ赤にして叫んでいたクロードの表情から、一切の感情がスッと消え去り、無機質なガラス玉のような瞳へと変わった。
「な、なんだ……!?口が、体が、動か……ッ」
「なぜ俺が、お前たちが仕掛けた処刑場(罠)に、一人でノコノコと姿を現したのか……分かるか?」
包囲する異端審問官たちの中心で、俺は処刑台の上のクロードを見上げて冷たく言い放った。
「数万人の観衆が見ている前で、お前たち自身の口から『嘘』を自白させるためだ。それが、お前たちの権威を最も残酷に叩き潰す方法だからな」
俺はクロードに向けて、絶対命令を下した。
「さあ、拡声魔法で王都の全市民に教えてやれ。バルドが教会に反逆したという真実と、レオンに無実の罪を着せたというお前たちの薄汚い隠蔽工作のすべてをな」
ギギギ、と。
クロードの体が、機械仕掛けの人形のようにマイク代わりの魔導具へと歩み寄る。
「や、やめろ……!言うな、私の口、開くな……ッ!」
心は悲鳴を上げているのに、肉体は従順に広場に響き渡る声で、教会の腐敗と隠蔽の真実をペラペラと自白し始めた。
「ば、馬鹿な……!?法の枢機自らが、何を言っているんだ!?」「教会が、我々を騙していたのか!?」
数万の群衆が、信じられない真実に阿鼻叫喚のパニックに陥る。レオンを処刑するための最高の舞台は、俺のたった一つの知略によって、教会の権威を失墜させる最悪の『公開処刑場』へと反転したのだ。
騒然とする広場の中で、俺は悠然と処刑台への階段を上り始めた。
さて、まずはあのボロボロになった馬鹿な親友の鎖を解いてやるとしよう。
――だが。俺が処刑台の中央に足を踏み入れた、まさにその瞬間だった。
ガァァンッ!!
突如、レオンの背後に立っていた死刑執行人が、手にしていた巨大な斧を振り下ろすのではなく、処刑台の床板に深々と突き立てた。
それを合図にしたかのように、処刑台の周囲に精緻な幾何学模様が浮かび上がり、目も眩むような黄金の光の壁が、ドーム状に展開された。
「なっ……!?」
「ノア様ッ!!」
背後からシトリーが悲鳴を上げて飛び込んでくるが、光の壁に触れた瞬間、バチィッという凄まじい音と共に弾き飛ばされた。
結界の中に隔離されたのは、俺と、気絶したレオン、拡声魔法で自白を続けるクロード、そして死刑執行人だけ。
『――見事だ。迷える子羊よ』
広場の上空。光が収束し、巨大な幻影が浮かび上がった。純白の法衣を纏った老人。六枢機の筆頭、教皇グレゴリウス。
「教皇……ッ!貴様、最初からこれを……!」
『まさか本当に人を操ることができるとはな。実際に見るまではいささか信じられなかったが……。お前のその厄介な力を推測していた。だからこそ、その『発動条件』を見極めるため、最もお前の感情を逆撫でする「嘘の舞台」を用意してやったのだ。……クロードという、安い生贄を添えてな』
「しまっ……!」
俺は背筋が完全に凍りつくのを感じた。
その時。無言で立っていた死刑執行人が、覆面を投げ捨ててパチンと指を鳴らす。その下から現れたのは、冷たい目をした『知の枢機リバルド』の顔だった。
パリィィィンッ……!!
結界の中で、俺の命令に従って自白を続けていた『クロード』の姿が、幻術のガラスが割れるように砕け散った。その下から現れたのは、クロードとは似ても似つかない、虚ろな目をした名もなき狂信者の顔だった。
「なっ……替え玉だと!?」
『いかにも。本物のクロードは、今頃安全な本殿の奥で優雅に茶を楽しんでいるよ』
教皇が、心底哀れむような笑いを漏らした。
『お前が能力を発動するためには「言葉のやり取り」が必須だと考えた。ならば、口を完全に閉ざした知の枢機や、最初から捨て駒の偽物を相手にさせればいいだけの話。いやはや、ここまでうまくいくとはな……愚かなネズミめ。己の盤面だと思い込んでいたようだが、お前は最初から私の実験箱の中で踊らされていただけなのだよ』
「く、そ……ッ!」
だが、教皇の盤面支配はそれだけでは終わらなかった。上空の幻影が、数万の群衆に向けて悲痛な声を張り上げる。
『見よ、善良なる王都の民たちよ!異端者ノア・ヴェインは、クロードの偽物を用意して自作自演の演説を行わせ、教会の権威を失墜させようと企んだのだ!!』
「な、なんだと!?」「あのクロード様は偽物だったのか!」「騙された!あの悪魔を殺せ!!」
教会の権威を失墜させたはずの『真実の告発』は、替え玉の存在によって『異端者の汚い陰謀』へと反転した。群衆の戸惑いは一瞬にして燃え盛るような憎悪へと変わり、数万人の殺意の矛先が再び俺へと向けられる。
(完全にやられたな...どうする?全ては俺の策略ということにされ、レオンは動けず、シトリーも力はまだ戻っていない...)
『異端審問官たちよ。起爆札などというハッタリに怯える必要はない。……さあ、無言のまま、哀れなネズミを結界の内でゆっくりとすり潰しなさい』
「「「ハッ!!」」」
群衆に紛れていた数百人の異端審問官たちが、俺のハッタリを完全に無視して処刑台を包囲し、結界の内側に向けて凶悪な魔術を構えた。結界の中の知の枢機も、一切の言葉を発することなく魔力の刃を生成する。
言葉を封じられ、大衆の心理を操られ、最強の騎士を人質に取られた状態での密室。
最弱の復讐者は、絶対的な強者(教皇)が構築した完璧な『沈黙の檻』の中に、完全に閉じ込められた。




