49.鍵
僕の通っていた高校の教室は、簡易的な密室が作れる。
教室の前後には、それぞれ一つずつ扉がある。どちらも内側からレバーを引くことで鍵を閉められるが、決定的な違いがあった。黒板側の扉は外から鍵を使って開けることができる。一方、ロッカー側の扉は、外からは開けられない。
この教室を密室にする手順は、こうだ。
①教室の鍵を手元に置く
②黒板側の扉から教室を出て、外から鍵をかける
③ロッカー側の扉から教室に入り、内側からレバーを引く
たったこれだけで、簡易的な密室が完成する。
……もっとも、マスターキーを使われれば、すぐに破られてしまうのだが。
このことに気づいた僕は、ある女の子に話した。
△△。三年生になった頃から、妙に関わるようになった相手だ。
仲良くなったきっかけは、模試だった。
その模試で、僕は初めて国語の成績が学年一位になった。返却された成績表を見たとき、嬉しさよりも先に、戸惑いが来たのを覚えている。
ツカツカと、僕の席に近づいてくる女の子が一人。
「次は、絶対勝つから」
そう言ったのが△△だった。
まっすぐな視線と、悔しさを隠さない声。
彼女は一年生の頃から、模試の国語ではずっと学年一位だったらしい。つまり僕は、知らないうちに彼女の定位置を奪ってしまったわけだ。
それ以来、模試のたびに、妙な緊張感が生まれた。
模試が近づいてきた、ある日の放課後。
「一緒に勉強しよ」
唐突に、そう言われた。
理由を聞く間もなく、彼女は続ける。
「文系は問題ないの。でも理系が苦手。ほどほどにできるあんたで妥協する」
「ついでに、国語の勉強法も教えなさい。拒否権? ないに決まってるでしょ」
半ば強引に、僕たちは職員室へ向かった。
休日に教室を借りる許可をもらうためだ。
「珍しい組み合わせだな。それも男女で」
担任の先生は、面白がるように言った。
けれど△△は、少しも動じなかった。
「同じ志望校ですから。合理的です」
こうして、休日の教室での勉強が始まった。
静かな教室で、机を並べる。
理系科目を教え、国語の話をしているうちに、ふと沈黙が訪れた。
話題を探して、僕は例の話をした。
「この教室、簡単に密室にできるんだ」
「知ってる」
彼女は即答した。
「解除方法も。マスターキーか、窓から侵入」
「……興味ない?」
「ない」
淡々と切り捨てられて、少しだけ悔しかった。
それから、模試のたびに一緒に勉強するようになった。
同じ志望校。同じ教室。
順位は入れ替わり、そのたびに言い合った。
「次は勝つ」
「次も勝つ」
そんな時間が、いつの間にか当たり前になっていた。
合格発表の日。
掲示板の前で、二人並んで番号を見つけた瞬間、自然と抱き合っていた。
数秒後、同時に離れる。
少し恥ずかしくなって、目を逸らす。
それが可笑しくて、二人で笑った。
僕たちの高校は、僕らの代で廃校になる。
卒業式が終わり、教室がいつもより騒がしくなる中、△△が言った。
「夕方、もう一回教室に来て」
理由は聞かなかった。
あの教室で、思い出話をするのだろうと、勝手に思った。
夕方。
人のいなくなった校舎で、教室の扉を開ける。
そこに、彼女がいた。
カチャン。
乾いた音が響き、鍵が閉まる。
次の瞬間、僕の頭の少し上の壁に、どん、と手がつかれた。
いわゆる、壁ドン。
僕も背は高い方だが、彼女はそれ以上だ。
だからこそできる距離。
彼女は、肉食獣のような目で、僕を見ていた。
かわいいというより、綺麗で、凛々しい。女の子たちにモテていた理由を、今さら思い出す。
その顔が、ゆっくりと近づいてくる。
思わず目を閉じると、音だけが残った。
甘い囁き声。舌なめずりの、かすかな音。
「ねえ」
耳元で、低く囁かれる。
「この教室、簡単に密室にできるの知ってるよね?」
心臓が、うるさい。
「……解除方法も、知ってるんじゃないか」
「知ってるわ」
一拍。
「でも、解除しなければ、密室のまま」
逃げられない。
絶体絶命の状況で、これまでの彼女との時間が、走馬灯のように頭の中を駆け抜けていくのだった。
そして物語は冒頭へ……
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