45.騎士
ある雨の日。なんとなく散歩がしたくなって、傘を持って家を出た。ぴちゃぴちゃと、水たまりが弾ける音が心地いい。
歩いているうちに、散歩欲も満たされ、そろそろ帰ろうかなと思ったそのときだった。
微かに犬の鳴き声が聞こえた。雨音に紛れてしまっているにしても、細く、弱々しい声だ。耳をすますと、裏路地の方からだった。
小走りで向かうと、そこには粗末な段ボール。その中に、ずぶ濡れの子犬がいた。恐らく白い柴犬。かなり衰弱している様子だ。
僕は傘を放り出して、段ボールごとその子を抱え上げ、家まで走った。傘のことなど頭になかった。
あれから数年後。
「我が主! お目覚めください、仕事の時間です!」
平日の朝。ぼやけた視界の中に現れたのは、白髪の女騎士。右目には眼帯。重そうな鎧を着ている。非日常が、僕の枕元に存在していた。
勘のいい人なら、もう気づいているかもしれない。彼女こそが、あの雨の日に拾った白柴の子犬だ。
目を覚ますためにも、これまでの経緯を説明しよう。
拾ったその日、まずミルクを与えた。すごい勢いで飲んで、満足そうに眠ったあと、すぐに動物病院へ向かった。
右目に怪我をしていて、そこはもう見えないらしい。でも、それ以外は元気だった。
帰宅し、少し落ち着いた頃、その子に名前をつけることにした。悩んだ末、【雪」と名付けた。白くて、静かで、優しげなその子にぴったりの名前だった。それ以上に幸せになってほしいという気持ちも最大限に込めた。
月日は流れ、雪は立派な成犬に育った。なのだが、それだけでは終わらなかった。
ある日、目を覚ますと、部屋に見慣れない白髪の少女が姿勢よく立っていた。鎧を着て、眼帯をして。まるで騎士みたいに。
「……夢?」
まばたきを繰り返す僕に、彼女は腰に手を当てて自慢げに言った。
「夢などではありません。我が主が命を救ってくださったあの日から、雪は忠誠を誓っております!」
「……え? 雪って……あの、雪?」
僕がそう聞くと、ふふん、と彼女は誇らしげに胸を張った。鎧の金具がカチャリと音を立てる。
「はい。かつて我が主に拾われた子犬、雪でございます!」
「嘘だろ……?」
信じられなかった。彼女はくるりと一回転して、白い長髪をふわりと揺らした。まるで尻尾のようだ。自分の尻尾を追いかけていた頃を思い出す。
「ほら、ちゃんと尻尾っぽいでしょう?……いや、まあ、今はこういう姿になってしまったのですが。きっと我が主の深い愛と、奇跡と、月の光と……あと、なんか、その、あれのおかげで!」
「もうちょい、語彙力頑張れよ……」
少し抜けているところがあるのは、昨日までと変わらない。
「でもさ、なんで騎士なんだ?しかも鎧? どういうこと?」
「説明します!」
雪は腰に下げた短剣をトンと軽く叩いて言った。
「我が主の忠実なる守護者として、立派な騎士になりたかったのです! ゆえに! この姿に変化……いえ、進化しました!」
「進化って……ポケ○ンかよ」
「ポ○モンとは?」
「いや、なんでもない」
混乱しながらも、雪が僕の目の前に立っているという事実は変わらない。忠誠を誓う、ちょっとポンコツな美少女騎士としてだが。
「というわけで、今日から我が主の護衛、家事、そして癒し係として、尽力させていただきます!」
彼女は片膝をついて、騎士のように礼をした。
「じゃあ……とりあえず、朝飯作ってほしいな」
「承知しました! 任せてください、我が主!」
その日、僕の朝ごはんは焦げた卵焼きと、黒焦げの味噌汁と、ヨーグルトだった。
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