33
「ここは……病院か」
二人が移動した先は、富士山の麓に位置する地名の名が刻まれた市立病院だった。市が経営しているだけあり、地方で在りながら、400近い病床を抱えていた。
様々な症状に対応できるように、いくつもの診療部が集められた病院。大きいな入口から人々が逃げ出していた。
病院には只ですら体調が不良な人々が集まっている。逃げ遅れた人も少なくないと南部は駆けだす。
「早く見つけないと大変なことになる!」
「ええ、そうね!」
二人は自動の意味を失った扉を潜り、病院の中に入る。
入口の脇には売店が設置されており、その向かいには会計や受付などが集まるロビーがあった。何十人もの患者が一度に待機できるように並べられたベンチ。その正面に映るテレビは場違いにも魚の神秘について放送していた。
そんなロビーの中心。
そこに、『神成』は居た。
影が人に張り付いたような姿。
海老のような尻尾と、右腕だけが大きく膨らんだ鋏が特徴的な姿。鋏の先端は既に赤身を帯びていた。
「既に色が!! イネさん!」
南部は『神成』を倒すことだけに意識を集中させる。それ以外の知性を捨て『申』に変化した南部は、『神成』に飛び掛かる。
「もう! 自分で変化できるのはいいけど、様子見とかしなさいよ!」
イネは南部に腕を構えて叫ぶ。
一言で『神成』と纏めても、その力には個人差がある。闇雲に挑んで返り討ちに遭う可能性だって有り得る。
幸いなことに、今回の相手はさほど強くないのか、『申』となった南部によって、あっさりと押し倒された。ベンチを抜けてロビーの奥へ倒れ込む二人。南部は強引に『神成』を押さえつけると、両手を使って殴り始める。
幼稚な獣同士の争いに、イネが小さく肩を竦めた。
「これなら、『回士』の力を送るだけで良さそうね」
イネは、『申の目』も、『伸縮自在』の力も使わなくとも良さそうだと肩を竦める。そして、南部に向けた手の平に力を込める。
すると、南部の首に黒い首輪の模様が浮かび上がった。首輪を通して送られる『回士』の力が強まった証。。
力を受け取った南部がトドメだと一層高く拳を振り上げた時――、
「やめろ!!」
一人の少年が『神成』を庇うように割って入った。『神成』の顔に覆いかぶさり背を向けた少年。
「ちょ……っと!!」
イネは首輪から意識を送り込んで拳を止める。
強引に動きを止めたからか、イネは南部の『申』状態までも解いてしまった。力が弱まったことに気付いたのか、『神成』は南部と少年を振り払うと、水中を跳ねる海老が如く身体をうねらせ去っていった。
「……逃がすか! イネ、急いで後を追うぞ!!」
「分かってるわよ!」
『申』となり、イネの持つ『伸縮自在』の力を使えば追い付けるかも知れない。南部とイネは互いにそう判断して、『申』に変化するが――、
「やめろ!」
『神成』に吹き飛ばされた少年が、いつの間に態勢を立て直していたのか。イネに向かって背後から体当たりを繰り出した。
いくら『申の目』を持っていようとも、見ていなければ攻撃の防ぎようはない。少年の体当たりを背に受けたイネは胸から前に倒れ込む。
「なにするのよ!」
倒してもなお、イネから離れない少年。イネが倒れた時に『申』状態が解けた南部が、イネに抱き着き足止めをする少年を羽交い絞めにして引きはがした。
「ちょっと、なんで俺達の邪魔するんだよ。『神成』逃げちゃったじゃん」
少年の年齢は小学生から中学生くらい。短く髪を刈り揃えた少年は、紺とオレンジのジャージを着用していた。生意気盛りのスポーツ少年と言った風貌。
バタバタと南部から逃れようと暴れるが、大人と子供の体格差。それに加えて、南部は『申』として日常的に身体を鍛えている。子供の力で振り払えるわけもない。
「あなた……自分が何したか分かってるの?」
倒されたイネは立ち上がり正面から睨む。
「いい? 子供だろうと『神鎮隊』の邪魔をすることは犯罪なの。このまま警察に着き渡すわ」
「け、警察……!?」
少年は「警察」という言葉に露骨に同様をする。まだ小さいのに前科持ちともなれば、これから先の人生は暗いと言えるだろう。
「それだけは……。親が、悲しむから……。ゆ、許して欲しいんだ」
『神成』を鎮める邪魔をしておきながら、警察に突き出すのは勘弁してほしいと詫びる少年。中途半端な覚悟で邪魔をしたことに、イネはより声を荒げる。
「そんなの許すわけないじゃない!」
だが、イネの言葉が言い終わらぬ内に南部は少年の拘束を解いた。地に足が着いたことに気付いた少年は、脱兎の如く逃げ出そうとする。
「ちょっと、何、放してるのよ」
逃げ出して数秒。今度はイネに腕を掴まれた。
イネは少年を取り押さえながらも南部に口を尖らせる。
「いや、まあ、ちょっと許して上げようかなって」
「は、あなた……。許すって本気で言ってるの?」
罪を犯した人間を、何の罰もなく解放した南部を信じられないとイネが見やる。
「うん。だって、普通の人間が『神成』を助けるメリットってないじゃない。きっと深い理由があるんだと思うんだ。それを聞いてから判断してもいいかなってさ」
「……なに、甘いこと言ってるのよ」
イネは言いながらも少年の背を押して南部に任せた。
腰を屈め、南部は少年に目線を合わせた。
「ねぇ。なんで、俺達の邪魔をしたのかな? 怒らないから教えてよ」
「……誰が、お前らなんかに教えるか!」
少年は南部を甘い人間だと判断したのか。挑発的に舌を突き出し、「ベロベロベー」と上下に動かす。
少年の小馬鹿にした態度に南部は、怒るでもなく、笑顔を浮かべた。
「そ。じゃ、警察に突き出そうか」
「なっ! お前! 話を聞くんじゃないかよ!」
「うん。聞いたよ。で、その態度ならまあ、理由は大したことないのかなって」
許すと言った言葉が乾くよりも早く、反対の意見を口にする南部に、少年は慌てて舌を引っ込めた。
「分かった。本当のことを話すよ。それでいいんだろ?」
少年は南部の態度に観念をしたのか、ロビーに置かれたベンチに腰を降ろすと、何故、自分が罪を犯してまで『神成』を助けたのか語りだした。
「あいつは――、あの『神成』は俺の親友だったんだ」
「……なるほど」
神は気まぐれだ。いつ、誰がどこで『神』に変化するのかは分からない。災害にも近い『神成』を防ぐことは、負の感情で祈りを捧げないこと。
だが、それは世の中で生きていれば避けられぬ行為だ。
少年は自分と親友の関係を語り続ける。
「同じ野球クラブに所属しててさ。俺はバッターであいつはピッチャー。俺達、凄かったんだぜ? 俺が点を取って、あいつは点を与えない。最強のコンビだったんだ」
「なるほどね。親友だから庇ったって訳。だったら、大した理由にもならないわね。やっぱり警察に連れてきましょ」
親友だから親だから。
それでも一度『神成』に変化すれば助からないことを誰もが理解していた。彼らに出来ることは、最後を見届けるか事が終わるまで目を逸らすこと。
そんな光景を何度も見てきたイネに取っては妨害の理由にすらならなかった。
「違う! あいつが親友だから、それだけで俺は助けたわけじゃない!」
「じゃあ、なによ」
他にどんな理由があるのかと問いかけるイネに、少年は瞳を曇らせた。子供は純粋だが――決して闇が宿らぬわけではない。
瞳に浮かぶ黒い光を、少年は隠すように瞳を閉じた。
「あいつが『神成』になったのは、俺の責任なんだ。俺が、『神成』になることを進めたんだ」
鬱に秘める感情を吐き出すように――少年は言った。
「そうすれば、あいつは動けるようになると思ったから……!!」




