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第29話 深層へ

触れたものの、その奥へ。



光が爆ぜたあと、視界は一気に闇へ落ちた。


完全な暗闇ではない。

奥の方で、いくつもの音が重なっている。


人の声。

風の音。

水の流れ。


それらの奥に、ひとつだけ異質な音があった。


笛の音。


静かで、揺らぎのない音。

その音だけが、闇の中で輪郭を持っている。



翠は、無意識に意識をそちらへ引かれていく。


やがて、闇の奥に、月の光が差し込んだ。


その光の中に、ひとりの女が立っている。


脇差を差し、男装に近い姿。

迷いのない立ち方。


顔は影に沈み、よく見えない。



その隣に、もうひとり。


背の高い、若い男。

月光に照らされた髪。


振り返る。


緑の瞳


――ロレンツォ。


そう意識した瞬間、像がわずかに近づいた。



女が笛を下ろす。


ゆっくりと振り向く。


その横顔は、祖母に、よく似ていた。


視界が揺れる。



声が、割り込む。


「曲者!」


「蘭さま、あの術を——」



その声に引き裂かれるように、景色が歪む。


だが、消えない。

重なったまま、次の層が開く。



古い屋敷。静まり返った空気。


一輪の花。


艶やかで、重たい色。


その奥で、二人が向き合っている。




翠は、息を詰める。



あの石。緑の光。



――これだ。



確信に近い感覚が、胸の奥で静かに沈む。



蘭が、ロレンツォに手を伸ばす。

抱き寄せるように、静かに近づく。


「……受け取った」


声は低く、揺れない。



わずかな間。



「——お前ごと」



風が通る。



「忘れぬ」



ロレンツォは、わずかに笑う。



「……それで、いい」



その瞬間、光が爆ぜた。




翠は、ひとつ深く息を吐く。


まだ、終わらない。


沈みかけた意識を、そのままさらに奥へと落とす。



あの印。


井戸の石に刻まれていたもの。




どこかで、見た。



その記憶を探るように、視界が再び開く。



青い空。

流れる雲。

重なる山。



ここは、知っている。



エリーの山荘の近く。


その奥にある邸宅。



門の紋章。



同じ印。



――ロレンツォのものか。



思考が浮かぶ。


その瞬間、さらに深く引き込まれる。



景色が変わるのではない。


層が増える。



灼熱の砂漠。

キャラバン。



その中に、同じ瞳の男がいる。




同時に別の像。



海の底。

沈んだ神殿。



息の続かない場所で、男たちが潜っている。




奥。



何かがある。



光。


石。



緑の石。



触れた瞬間、わずかに、何かがずれる。


すべてが繋がりかけて、まだ掴みきれない。



苦しい。


息が詰まる。



戻る。


そう思った瞬間、



戻れない。



苦しい。



それでも、



まだ、足りない。



指先だけで、かろうじて触れている。



なら——



掴むまで、沈む。



意識を、さらに奥へと押し込む。


もう、止まらない。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


見えたものの奥には、さらに層があります。


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