第28話 境の声
同じ問いが、もう一度現れます。
翡翠の光。
その意味が、頭の中で静かに広がっていく。
井戸の紋様と、確かにどこかで繋がっている。
下山の途中、風が何度か流れた。
ただの風ではない。
何かが触れるような気配を伴っている。
翠は、足を止めた。
知っている。
この感覚。
幼い頃、意識の奥に押し込めていた記憶が、わずかに揺れる。
言葉も、温もりもない日々。
その中で、唯一、自分の感情をぶつけていた相手。
石。
道の端に点在するそれは、今ははっきりと違うものに見える。
ただの石ではない。
刻まれた形。
仏。
「……道祖神」
神代の言葉が、遅れて重なる。
翠は静かに目を閉じる。
そして、もう一度開く。
視界の奥へ、意識を通すように。
そう思った瞬間、風が抜けた。
気づけば、獣道の奥へ入り込んでいた。
木々に囲まれた小さな空間。
その中央に、祠がある。
そして、その前に——
白い猫が、いた。
大きく、毛足の長いその姿は、ただそこにいるだけで空気を変えている。
翠と、目が合う。
逸らせない。
「……来たか」
声が、直接届く。
耳ではなく、内側に響く。
翠は、何も言わない。
白猫は、ゆっくりと翡翠へ視線を落とした。
「それを、開くのか」
問いかけだった。
翠は、ポケットから翡翠を取り出す。
手の中で、わずかに脈打っている。
「封じられているものがある」
白猫は続ける。
「それは、ただの記憶ではない」
神代が、一歩前に出た。
「……やっぱり、そうか」
声が、わずかに震えている。
白猫は、一瞬だけ神代を見る。
「お前は、境に触れた者だな」
神代の喉が詰まる。
「あの時……見えたのは、やっぱり……」
言葉が続かない。
白猫は、それ以上は答えない。
再び、翠を見る。
「これを解けば、戻れぬ可能性もある」
静かに、しかし確かに言う。
「それでも行くか」
翠は、少しだけ目を伏せる。
逃げる。
あの時、初めて選んだ行動。
そして今。
同じ問いが、目の前にある。
ゆっくりと顔を上げる。
「……行きます」
白猫が、わずかに目を細める。
「よい」
次の瞬間。
翡翠が、強く光を放った。
白猫の身体がふわりと浮き上がり、その周囲を静かに巡る。
空気が、歪む。
神代が思わず息を呑む。
翠は、包まれていた布を外す。
そして、直接触れる。
その瞬間。
光が、爆ぜた。
視界が、一気に暗転する。
踏み入れた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
選んだ先にしか、見えないものがあります。




