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第26話 森の奥深くに響く、光と色の詩

いまの中に、すべてが流れ込んできます。


貞松さだまつ……

確か、そんな名前だった気がする。

 

ロープウェイに乗る。


「天気もええし、上まで行こか」


神代が言う。

 

ゆっくりと、山が下がっていく。

空が近い。

 


すいは、窓の外を見たまま、思い出している。

 

あの後のことを。

 

貞松が、父に会わせてくれた。

生まれてすぐに離れていたから、ほとんど初めてだった。

 

抱きしめられた。

強く。

 

泣いていた。

 

「ごめん」

何度も、そう言っていた。

 

それから、

「一緒に行こう」

 

パリへ。

 

意味は、よく分からなかった。

 

ただ、あの時見上げた空は、青かった。

 



「これ。いま、マイブーム」

 

神代が笑いながら、ペットボトルを差し出す。

カフェオレ。

 

「ありがとうございます」

 

普段なら、すぐには口をつけない。

だがそのまま蓋を開けて、口に含む。

 

甘苦い香り。

やわらかい甘さ。

 

少しだけ、息が落ち着く。

 

そのまま、意識が続いていく。

 



パリでの生活。

 

新しい家族。

よく笑い、よく話す人たち。

 

毎日が、どこか現実ではないようだった。

 



「こないだピアノ弾いてたな」


神代が言う。


「なんていう曲なん?」

 

「あ……即興なんで」

 

「ほな、“雨の出会い”にしとこか」

 

そう言って、また笑う。

 

その言葉に、何かが重なる。

 



雨。

 

出会い。

 

ローマ。

 

セシルに連れられて行った街。

 

先生と初めて会った日も、雨だった。

 

弾き終えたあと、

雨は止み、

空に虹がかかった。

 

“Oh, poesia di luce e colori nella profondità del bosco!”

 

先生の声。

そっと、抱き寄せられる。

 

森の奥にあったアトリエ。

古い街道を入った先にあった。

 

パリが“外の世界”なら、

ここは“内側”だった。

 

音を探すのではなく、

音が育っていく場所。

 

静かに。

ゆっくりと。

 

心の中に、旋律が広がっていく。

 

ローマの日々は、

翠にとって、始まりだった。

 



気がつくと、

足はもう山の奥へ入っている。

 

神代が立ち止まる。


「一休みしよか」

 

腰を下ろす。

 

カフェオレをもう一口。

甘さが、口に広がる。

 

その瞬間、

風が変わる。

 

懐かしい。

 

だが、

どこか、冷たい。

 

胸の奥に、

わずかな震えが走る。


もう、切り離せない。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


記憶は、時間の中には収まりません。

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