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第18話 月に響く音

まだ名のない音が、出会います。


都の夜は、ひそやかに張り詰めていた。

戦の気配が、まだ見えぬところで広がっている。


火は、すでにあちこちで燻っていた。


まだ、受ける時ではない。

だが、それを告げる術もない。


蘭は木に登り、屋根へと移る。

見上げると、月があった。冴え渡る光。


風が吹き、髪をさらう。

笛を取り出し、そっと、息を落とす。


音は、夜にほどけ、風に乗って遠くへ運ばれていく。


漆黒の髪を束ね、袴に、弓、脇差が、腰に二本。

男の姿に紛れても、どこか、目を引く。

気づけば、足はここへ向かう。


向ける先がない夜も、同じだった。


春の宵。満月の夜。

葉桜の名残が、ひとひら、風に舞う。


——このまま、どこか遠くへ。


胸の奥に溜まったものを、月へ差し出すように。

立ち上がろうとした、その時。


「……その音には、名があるのですか」


下から、声。

視線を落とす。


淡い髪。

異国の顔立ち。

蘭は、わずかに間を置く。


「知りたければ——来い」


短く。


沈黙。


やがて、瓦が軋んだ。

影が、屋根に現れる。


——登ってきた。


蘭は一歩退き、脇差に手をかける。

抜く。


「……何者だ」


刃の先が、月をかすめる。

男は、両手を軽く上げた。


「怪しい者ではありません。......あなたが、来いと」


少し間を置き、


「……ロレンツォ、と」


「申します」


ぎこちなく、頭を下げる。


蘭は名乗らない。

ただ、その目を見る。


夜の中に,青があった。

空の色が、そこだけ残っているように。


「名を知る必要はない」


ロレンツォは、わずかに首を傾ける。


「では、ひとつだけ」


「……なぜ、ここで笛を?」


蘭は、刃を下げぬまま、空を仰ぐ。


「月がある」


間。


「——捧げている」


ロレンツォの目が、わずかに揺れる。


「月に……?」


蘭は頷く。


「今宵は満ちておる。音も、よく届く」


風が吹く。

花びらが、ふたりの間を過ぎる。


蘭は、笛を持ち直す。


「……聞くか」


ロレンツォは、わずかに息を止めた。


蘭は、構えを変えず、息を落とす。

音が、また夜へほどけていった。


その音は、まだ名を持たない。



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


まだ、始まったばかりです。

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