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第15話 雨の鍵盤

音が、少しだけ届きます。


敷地の奥に、アトリエがあった。


「ここに、あったんやな」


神代が、静かに見回す。


「ピアノ……すいくんの?」


「あ……母のです」


それ以上は、続かない。

神代は、何も言わない。


翠は、そっと蓋に触れる。

冷たい木の感触のまま椅子に座り、鍵盤に指を置く。


——配信、してなかったな。

パリに行ってから、少し。


最初の音が細く落ち、そのまま次へ続く。

間が、長く残る。 


やがて、音が、雨のように降りてくる。

外の気配と、重なる。

指は、考えない。

ただ、落ちてくるものを拾う。


最初は、ばらばらに落ちていた音が、

やがて、どこかでひとつに寄っていく。


触れているはずのない何かに、響きが、少しずつ合っていく。

その奥から、さらに音が降りてくる。

重なり、ほどけず、そのまま満ちていく。

息が、追いつかない。


そのとき、雨の奥に、白いものが見えた。

形は、はっきりしない。

それでも、こちらを見ている気がした。


音は、止まらない。

すべてが、そこに集まっている。


やがて、ふっと、途切れる。


気がつくと、すべてが静かになっていた。

音が消えたあとも、

空気だけが、少し残っている。


「……すごいな」


神代は、一つ、手を打ってから、


「生で聴くん、久しぶりやわ」


少しだけ息を吐く。


「……なんか」


言葉が、一度途切れる。


「さっき、そこにおった気ぃする」


視線は、雨の向こう。


そのまま、わずかに眉を寄せる。


「まだ、残っとるな。」


翠は、何も言わない。


視線が、ゆっくりと戻る。


ピアノの上。

布に包まれた石。


「……また光っとるで」


翠も、見る。

かすかな光が、布の奥で滲んでいる。


手を伸ばす。

布の端に、指が触れかけたとき、


「……やめとき」


低い声。


「まだ、あかん」


手が止まる。

しばらく、そのまま動かない。


「神代さん……」


問いかけかけて、言葉がほどける。


雨音が、少し強くなる。


神代は、石から視線を外さないまま、


「……知らんことの方が多い」


それだけ言う。


「せやけど、急がん方がええやつもある」


断定はしない。


翠は、ゆっくりと手を引いた。

 

少し間があって、翠は、鞄に手を入れる。

取り出したのは、一冊の本。


神代の前に置く。 


「これ……」


神代が、ページをめくる。


「……ドイツ語やな」


少しだけ、目を細める。


「どこで見つけたん」 


「チロルの山荘に……ありました」


「……そうか」


ページを閉じる。


「……ああ、同じ流れやな」


軽く言う。


翠は、本に視線を落とす。


植物の絵。

線の細さと、書き込みの癖。


どこかで、触れている気がする。

まだ、繋がらない。


左の耳に触れる。

触れるたびに、少しだけ息が整う。


雨の音が、遠くで続いている。


ページの上に、言葉が並ぶ。


読める。

けれど、まだ届かない。


翠は、小さく息を吸った。


まだ、届かない。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


まだ、開いていない。

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