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第14話 石と祠

その場所に、立ちます。


すいがこの場所で、朝まで夢にうなされずに眠れたのは初めてだった。


香りで目が覚める。

コーヒーの匂い。

神代が、静かに湯を落としている。 


「おはよう。よう寝れたか」


翠は、ゆっくりと起き上がる。 

身体が、軽い。


「午後から雨らしいわ。降りるで」


井戸のことは、何も触れない。

それでも、戻れる場所があるという感覚だけが残っていた。


山道に入る。


湿った土。

踏みしめる音。


神代が、ふと足を止める。 


「……この辺やねんけどな」


そのまま獣道に分け入る。

翠も、そのあとを追う。


そのとき、

ポケットの奥で、わずかに光が滲んだ。


足が、止まる。


「……ここや」


神代の声。


視線の先。


小さな祠。

木に囲まれ、光が届かない場所にある。


音が、ひとつ消える。


神代は、何も言わず、頭を下げる。

手を合わせる。

そのまま、しばらく動かない。


翠は、少し遅れて、同じように立つ。

祈り方は、身体が覚えている。


ポケットの中で、石がかすかに熱を持つ。


「……やっぱりな」


神代が、小さく言う。

それ以上は続けない。


少し歩き出してから、


「昔、迷ったときに、ここに出たんや」


それだけ言う。


「白い猫に、ついてきって言われたみたいでな」


振り返らない。

翠も、何も聞かない。


確かに、何かがあった。

空気が、わずかに張っている。

触れられない膜。

重くはない。

むしろ、静かに守られている。


その奥で、かすかな音がする。

鈴のような、

途切れない、やわらかい響き。


今も、消えずに残っている。


翠は、少しだけ目を伏せた。


神代は、何も言わないまま歩いている。


——この人には、聞こえているのだろうか。


しばらく歩くと、遠くに人の気配が戻ってくる。


観光客の声。

現実の音。


 

アトリエに着いた瞬間、

空が崩れた。


激しい雨。


視界が、白くなる。


翠は、振り返る。


雨の向こう、一瞬だけ、

祠の形が浮かんだ気がした。


ポケットの中で、石が光る。


理由は、まだない。

それでも、

目を逸らさなかった。


雨の匂いが、花の香りを沈めていく。


それでも、目を逸らさない。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


まだ、消えていない。

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