第1話 名残の庭
今回は、シーズン3の第1話です。
まだ馴染まない気配の中で、静かに進んでいきます。
京都駅を出る。
気づけば、左の耳に触れていた。
空気が変わる。
湿り気を含んだ重さが、胸の奥へゆっくりと落ちてくるのを受け止めきれない。
タクシーに乗り込む。
ドアが閉まる音が、わずかに遅れて耳に残った。
走り出す。
窓の外は、曇りきらない空。
光はあるのに、どこか沈んでいる。
花の匂いが混じる。
甘い。
——知っている匂いだった。
息が、少し浅くなる。
覚えているはずの空気なのに、うまく馴染まないまま残る。
端末が震える。
「先に入る。もう京都に着いている」
父の声は短い。
「無理はするな」
それだけを残して、通話が切れる。
しばらく、動けなかったが、それでも向かうと決める。
「この先で」
声が、少し遅れて出る。
タクシーがゆっくりと速度を落とす。
門の前で止まり、そのまま降りる。
敷かれた御影石に足を乗せた瞬間、硬い音が足裏に返る。
少し遅れて、冷たさが上がってくる。
右手に、手水鉢。
水は静かで、底の影だけが揺れている。
金魚が一匹、狭い円をゆっくりと、同じ場所を何度も回っている。
翠は、その動きを目で追い——途中でやめる。
息が、少し詰まって、視線を外す。
顔を上げると、庭がひらける。
低く刈られた松の向こう、つつじが群れて咲いている。
紅。
目に残る色だった。
風が抜ける。
甘い香りが、わずかに遅れて頬をかすめる。
その瞬間、映像がひとつ重なる。
低い位置から見上げた、女の顔。
唇だけが、同じ色で浮かぶ。
そして消える。
足元が、わずかに揺れた。
玄関の影から、父が出てくる。
目が合う。
その一瞬だけ、時間がわずかに遅れる。
光が、睫毛の先でわずかにほどける。
何も聞かない。
ただ、そっと腕を取る。
そのまま引かれるように、上がる。
空気が変わる。
外よりも暗い。
香が、薄く漂っている。
古い家の奥へ、静けさが沈んでいく。
どこか他人事のように受けている。
音が、少しずつ遠くなる。
まだ、馴染まない。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
音だけが、残る。




