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第14話 触れた先にあるもの

人の中にあるものは、

触れたときに、はじめて形を持つことがあります。


それが過去なのか、

それとも、これから選ぶものなのか。


まだはっきりしないまま、

少しだけ前に進む回です。


医師と看護師が、静かに検査を進めていた。


エリーは横たわったまま、動かない。

呼吸だけが、規則正しく続いている。


すいは、少し離れた場所に立っていた。

近づきすぎると、何かを壊してしまいそうな気がする。


「……意識は安定しています」


医師の声が落ちる。


「身体的な異常は見られません。問題は、記憶の方です」


それだけが、はっきり届く。


「過去の一部に、混線の可能性が見られます」


混線。


その言葉が、胸の奥で静かに引っかかる。


時間が、どこかで触れ合っている。


翠はゆっくりと視線を上げる。


機械の光が、エリーの顔をかすめる。


その白さに、呼吸が止まる。


光。

声。


その奥で、

いくつもの声が、かすかに重なりかける。


高く、澄んだ音。

揃いきらない呼吸。


どこかで聞いたはずの響きが、

指先に触れる。


そのあとで、

遅れて、空気がひらく。


押し寄せるような気配。


――すぐに、途切れる。


翠は、その場に立ったまま、動けない。


けれど今度は、目を逸らさない。


消える前に、そこへ手を伸ばすように、

ベッドのそばへ歩み寄る。


エリーの手に、そっと触れる。


冷たくはない。


その温度の奥に、

沈んでいるものが、わずかに応じる。


翠は、その手を離さない。


そのとき、廊下の方で気配が動く。


低い声。

抑えたやり取り。


「……はい」


マネージャーの声だった。


「オーストリアからも、確認が入っています」


その一言だけで、空気が変わる。


翠は、振り向く。


意味はまだわからない。

けれど、ここにあるものが、

自分の知らない領域へ続いていることだけはわかる。


やがて、マネージャーが近づいてくる。


「……あなた」


低い声。


翠は振り向く。


その視線は揺れず、

ただ静かに、こちらを見ている。


「エリーが、ここまで他人を近くに置くのは珍しいの」


事実だけが置かれる。


翠は、わずかに目を細める。


「そうなんですか」


それだけ返す。


短い間。


「……この後の予定は?」


「特には」


頷く。


すでにわかっていたように。


「彼、オーストリアに移すことになると思うわ」


静かな口調だった。

けれど、その流れは変わらないもののように感じられる。


オーストリア。


その響きが、さっきの断片と、かすかに触れる。


「そのとき」


視線が、まっすぐ翠に向く。


「一緒に来てもらえる?」


頼む、ではない。

ただ、必要なものを置くような言い方だった。


翠は、すぐには答えない。


エリーの手を握ったまま、視線を落とす。


さっきまで、自分はただそばにいただけだった。


けれど今は違う。


触れたとき、

確かに何かが応じた。


自分の中にあるものを、

もう見ないふりはできない。


その先にいるエリーを、

引き受けるように。


「……行きます」


一度、言葉を落としてから、続ける。


「どこでも」


静かに、決まる。


理由は言わない。


マネージャーは、わずかに頷く。


それで十分だった。


白い光が、ゆっくりと動いている。

時間だけが、確かに進んでいく。


その流れの中で、翠はエリーの手を握ったまま、

離さなかった。


——つづく



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


静かな回ですが、

翠の中で、ひとつ決まるものがあった時間でした。


このあと、舞台は少しずつ動いていきます。

引き続き、見守っていただけたら嬉しいです。


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