第6話 アンコール
予定にはなかった旋律。
意図しない選曲。
けれど、それは“間違い”ではなく、
音がどこかへ触れた結果かもしれません。
舞台の上で、ひとりが迷い、ひとりが呼び戻す。
その一瞬を、静かに置いていきます。
拍手は、まだ止まなかった。
歓声は波のように続いている。
アンコール。
舞台袖で、翠はエリーを見る。
「大丈夫?」
翠はエリーの額に手を当て、熱を確かめる。
そして、そっと自分の額も重ねた。
エリーは少し笑って、
「熱、下がってきた」
そう言って、翠の指先にそっとキスをした。
エリーはギターを持ち直す。
「行こう」
二人は舞台へ戻る。
拍手が、さらに大きくなる。
ライトが落ち、また光が上がる。
その瞬間、ギターが鳴った。
翠は、思わず顔を上げる。
――え?
流れた旋律は、モーツァルトだった。
《魔笛》の終幕、少年たちの合唱。
古典の旋律。
この場には異質だった。
だがエリーは、そのまま弾き続ける。
同じ旋律。
繰り返される。
翠は気づく。
エリーの視線が、どこにも合っていない。
ライトの向こうを見ている。
ピアノの前で、翠はそっと和音を置いた。
旋律を壊さないように。
けれど、そのままにはしない。
リズムが揺れる。
音色が変わる。
流れを、少しだけずらす。
エリーのギターが続く。
まだ、同じ旋律。
ピアノが動きはじめると空気が変わる。
音が広がる。
静かな水のように。
ギターの旋律がその水面に落ちる。
淡い光の粒のように。
翠はさらに和音を重ねる。
旋律を遠くへ伸ばす。
もう一度。
もう少し遠くへ。
エリー。
ピアノの音が広がる。
翠は、全身で鍵盤に向かっていた。
音が、指先からこぼれる。
風のように、エリーの奥へ届く。
客席のざわめきが消える。
誰も動かない。
エリーの指が、ふと止まる。
そして顔を上げた。
「……なんで俺、これ弾いてる?」
その目が翠を見る。
翠は何も言わない。
ただ弾き続ける。
エリーの指が止まる。
一瞬の沈黙。
そして次の瞬間、
ギターの旋律が変わった。
エリーのいつものフレーズが、
そこに重なった。
熱を帯びた音。
鋭く、自由な旋律。
ピアノがそれを受ける。
二つの音が絡み合う。
旋律が広がる。
客席の空気が一気に変わる。
ギターが走る。
ピアノが追う。
そして、二人の音楽になる。
最後の和音。
静寂。
一拍。
そのあと、会場が爆発した。
拍手。
歓声。
「モーツァルトだ」
「湖へのオマージュか」
声があがる。
だが二人は何も言わない。
ただ頭を下げる。
ライトが落ちる。
舞台袖へ戻る。
そのとき、客席の奥。
VIP席から、一人の男が舞台を見ていた。
拍手の中で、視線はまっすぐ翠に向いている。
サンドロだった。
彼の視線は、
ただ翠だけを追っていた。
——つづく
アンコールという形を借りた、少しだけ危うい回です。
エリーが見ていたもの。
翠が音で引き戻したもの。
まだはっきりとは描いていませんが、
ここから少しずつズレが広がっていきます。
そして最後に現れた視線。
次の流れに、そのまま繋がります。




